ちびもかの縁側

ちびモカ2猫との日々
2011年秋、むぎが加わり3にゃんとなる
2015年1月モカ、虹の橋へ
4月コタ仲間入り

モカと脳腫瘍 4

2015-01-29 11:59:50 | 猫の病気
・1月10日
10時の予約だったので遅れないよう早めに家を出る。キャリーバッグのモカは、はっきりした声で鳴いている。
具合が悪くなってからは、普段だと鳴くこともほぼ無いモカ。やっぱり病院は嫌だよね。
そういえば年末までは、朝、ケージの布を取ろうと近寄ると、中から鳴いて呼んでいたが、年明け後は全く声を聞かない。
ケージの布を取って声をかけても、返事もせず横たわっている事が増えた。ドキドキしながら呼吸してるか確認する為に様子を伺うのが日課。
お腹が上下に動いているのを見て、毎朝ホッとしていた。
車で30分程で到着。モカが鳴いてたのは最初だけ。バッグの中に手を突っ込み、撫でながらの道中。やっぱりただ力なく横たわっている。

病院は夜間救急もやっていて、施設も立派な所だった。受付を済ませじっと待つ。
呼ばれて診察室へ。助手?の若手の先生による問診。色々聞かれたけど「多頭飼いか?」「嘔吐、下痢の有無」あたりの質問はFIPを疑ってのものな気がした。モカは実家の猫屋敷出身。兄弟の中で一番弱々しかった(だから貰ってきたんだけどね)けど実家の20匹、FIPを発症した子は誰もいない。
そして我が家だって多頭飼いだし。この時「FIPにしちゃ進行遅い気もするし、可能性は低いよなぁ」と心の中で思っていた。
次に偉い?先生が登場。やはり脳神経の疑いが高い事。MIRを撮らないと詳しい事は分からない事。等々説明を受ける。
こっちはMIR撮る気持ちを固めてきたので同意してモカを預ける。「頑張れっ!」って声をかけ、しばしお別れ。
麻酔が醒めて検査結果が出るのは午後。2~3時になるという。早めの昼ご飯を食べに外へ。気分どんよりで正直、食事も美味しくない。ただ
メシでもたべて一服でもしないと間がもたない。1時半頃には手持無沙汰で病院に戻り待つことに。

3時には呼ばれるかと思ったけど、なかなか呼ばれない。後から検査を受けたであろう子達が次々帰っていく。麻酔後の覚醒が遅いのか?それとも
画像診断が難しくて結論になかなかいけないのか?不安は募るばかり。
4時頃ようやく呼ばれる。診察室に入った瞬間、中の空気が重い。ひと呼吸置いて先生が言ったのは「脳腫瘍でした」だった。
「あぁ、やっぱり・・・」と私は思った。脳神経の疑いが出た時点で、素人なりにあれこれ調べた。「前庭神経炎」だったら治る見込みあるなぁと期待を持ったりしたが症状が出てから長すぎる。眼振あるけど斜頸になってないし・・・脳でも耳の奥周辺の問題だったら治る見込みがあるんじゃないか?
手術できる場所っぽいし。とか、ステロイド注射してからシャキッとしてる日があったし、ステロイドが効くタイプの腫瘍の可能性もあるし!とか
望みをつなぐように、なるべく良い方へ考えようとしてきた。ネットの情報に振り回されて泣いたり期待したり。そんな私を見てダンナは「あんまり色々と見ない方が良いんじゃないか?」と苦言を呈したこともあったっけ。

先生は画像を見て説明してくれる。素人目にもすぐ分かる大きな腫瘍。脳の深く。脳脊髄液が流れる所をど真ん中で腫瘍が塞いでいる。
そのせいで脳がパンパンに浮腫み脳みそのシワが無い状態。脳圧を下げる為に打っていたステロイドは「全く効いていない」と言われてしまった。
それどころか腫瘍に圧迫された小脳が大脳へ食い込み、押された脳が頸の方へはみ出てしまっていた。「脳ヘルニアをおこしています」との事だった。
先生によると「大きな腫瘍を抱えていて、人間じゃ考えられないような状態でも歩ける子がいたりもする」らしいのだが、モカはもう歩けない。
それだけ早期発見が難しい病気だと言いたかったのかな。

先生は間を置いて、いくつか治療方法をあげた

「外科手術」
モカの場合脳の深部であるため、仮に手術しても助かる可能性が低い事。おまけに脳の手術ができるクリーンルーム等、設備の整った病院は日本ではほとんど無い。手術自体、日本ではほとんど行われてないし、現実味がない。

「外科手術で頭に穴をあけ管を入れ、もう一方をお腹へ入れる。溜まった脳脊髄液をお腹に流すシャント術」
これで脳圧は下げる事ができる。けども感染症のリスクもあり管は3ヶ月(だったかな?)位で交換が必要。
なにより腫瘍はそのままなので延命にしかならない。

「放射線治療」
 人間と同じように腫瘍に放射線を当てる治療だけども、少しでも動いたらだめなので毎回全身麻酔。これを週1~2回(だったかな?覚えてない)動物の放射線治療できる病院は限られてて関東に2、3か所。予約1ヶ月待ちとも。

先生は少ない選択肢の中、あえて上げてくれたんだろうけど、この時点で絶望的と理解した。したくないけど理解した。
シャント術やれば、延命はできるかもしれない。モカにとって辛い症状も一時は楽になるのかもしれない。でもそれも一時凌ぎにすぎないのだ。
放射線の予約待っている時間はないことくらい、とっくに分かってる。

「・・・もういいです。家でゆっくり過ごさせてあげたいです。」と言うのが精一杯。
ただ「少しでもモカの体がラクなように」したいと加えた。
すると「注射をしてゆっくり眠るように・・・という方法もあります」と暗に「安楽死」の提案。
・・・人によって色々な考えもあると思います。その子の症状にもよるだろうし、私は安楽死を否定はしません。
ただ、この時の私の心の声 「そうじゃなーくーてー!緩和ケアって意味でーーー!」
悲しいの通り越して、「いきなりソコに話いくかい!」と頭ん中で突っ込みを入れておりました。

日に日に弱っていく子。次々と違う症状が出てくる可能性だってある。ありとあらゆる痛みに襲われてるかと思うと可哀想で見ていられない。
それなら眠るように逝かせてあげるのも飼い主の務め。そう思う飼い主さんだっている。その選択は間違いじゃないと思う。

ただ、この時の私は、「モカが苦しくて辛くてに絶望しているか?」と問われたら「否」と答えていたと思う。この答えは今も変わらない。
2ヶ月あまり看病していてモカは「ただ、「今」を受け入れて、「今」を生きている」ように思えたから。
うーん、上手く言えないけど。人間みたく「どうして自分がこんな目に」とか「早く楽になりたい」とか思ってないと感じたからかなぁ。
そりゃ想像を絶する頭痛とか得体のしれないシビレとか、幻覚幻聴とかあるかもしれない。歩きたくても歩けないもどかしさも。
苦しくないわけない。ずっと看てるんだもん。キツい時だって分かってるつもり。
日に日に弱るモカを看てて「可哀想」と思う事もあるけども「たくましさ」を感じたり、「悟ったような瞳」を見て尊敬してしまう事があったくらい。

安楽死は、やんわりお断りして「痛みの緩和を考えつつ残された日を過ごす」事にしてモカに「もう病院はおしまいだよ。嫌な事はもうしないよ」と声をかけ家路についたのでした。
先生は「今週っぱいがヤマ」との事。
そういえば「インターフェロン投与」を提案されなかった所をみると、脳腫瘍には効かないとみて良いのか?

あ、ちなみにこれも遠回しにですが「献体」も提案されました。
猫の脳腫瘍っていうのは高齢の子に多いのでしょうか?MRI確定診断までいく数が少ないのかもしれません。
モカは若いし、きっちり診断が出たので今後の研究、治療の発展を考えれば亡くなった後に献体して役立てて貰うのも良いのかもしれない。
ただ、心情としては無理。生きてる子の前で、その子が死んだ後のこと。まして嫌いな病院で死んだ後にまで知らない人に頭切られるなんて
・・・さすがになんにも返答できずスルーしてしまった。

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モカと脳腫瘍 3

2015-01-28 12:27:20 | 猫の病気
・年末、「いつどうなってもおかしくない」状態のモカ。気が気でない。

夜はいつもケージで就寝。人間はそれぞれ別室で寝ていたのだが、どうにも気になって大晦日の夜、私のみすぐ隣の部屋で休む。
夜中に一度、唸り声のような声を聞く。気になったが、起きて明かりをつけると他の2匹が起きて騒がしくなると思ったし、なにより
「怖かった」のだ。見たところで何もしてやれない。「そのまま息絶えてしまったら・・・」と想像したら怖くて様子を見れなかった。
根性なしで自分勝手な飼い主だと、今は思う。
布団で息を殺してケージの気配を伺う。動いてる気配。大丈夫。まだ大丈夫。
結局、気になって一睡もできず。ダメだ、こんな事してたら私も体調を崩してしまう。冷たいようだけど、私が今倒れるわけにはイカン。
この頃から、モカに「いいかい?私が仕事行って留守の時とか、夜中に1人で逝っちゃあだめだよ?」と言って別室で寝るように。

・1月2日

輸液から3日目。正月でもやっている動物病院を探す。件のかかりつけ病院には2度と行かないと心に決めた。
予約診療のみかと思い電話で問い合わせると、幸いにも「来て下さい」と言ってくれた病院へ。
代診の若い女性の先生。今までの経緯を話し改めて診察。耳や目も細かく診てくれる。「やはり脳に問題がありそうです」と言われる。
更に「右目も、あまり見えていないかもしれません」と。反応が鈍いそうだ。ただ意識レベルはしっかりしている。
うんうん。だってキャリーバッグに入れて、到着するまで抗議の鳴き声あげてたもん。
輸液&ステロイド。ここで、2次診療の病院について聞くと、ここからでも紹介をしてくれるという。(当然休みなのだが)念の為、2次病院へその場で問い合わせしてくれた。
「2次病院の受付は4日からなので、それまでこちらに通院されるなら院長に引き継ぎしておきます。」とおっしゃる。かかりつけ医との兼ね合いも考えての発言だったと思う。元旦に飛び込みで来たせいか、「かかりつけの休み明けにそちらに行かれますか?」とも確認される。
「これからは、こちらでお世話になりたいと思います」と伝える。正直、厄介なの来たなぁと思ったんじゃないかな。でもそんな事、表に出さずきっちり仕事してくれるプロだった。
この日の夜はダンナの提案で、みんな一緒に寝る事に。
二人の布団の間にペットシーツ敷いたベッドごとモカ。ちびは私の布団(股間)むぎはフリーダム。気になって同じ部屋にいたり、別室で寝たり。
夜中、寝苦しいのかズリズリと体をけっこう動かすモカ。布団の隙間に頭がはまって窒息しやしないかと気が気でない。
ダンナも時々気にして撫でたりしてたが爆睡。私はやはり眠れず。モカも痛いのか辛いのか気になるのか、あまり寝ている感じではない。
結局、夜明けを待たずに1Fに移動。モカはケージへ。私は同室で仮眠。



・1月3日

モカ3.2キロ 院長による診察。たまたまこの先生、神経系を専門に勉強されていた方だった。結果、やはり脳神経の病気の可能性が強いとの事。
2次病院でのMRI検査をしないと確定診断も治療方針も立たない為、体力維持の為の輸液と「うまく効いてくれるタイプなら、脳圧を下げる可能性がある」ステロイドは2次病院での予約確定&診察まで、続ける事に決める。

・1月4日

モカ3.13キロ 強制給餌してても、どんどん体重が落ちていく。先生に不安を話すと「動けない為に筋肉が落ちてしまう」そうな。納得。
何かできる事を尋ねると「関節も固まってしまうのでマッサージやストレッチを」と答え。「・・・先生、もうやってます。本人は嫌っぽいけど」と言うと「現時点で、やれる事はちゃんと出来てますよ!」と言ってくれ、ちょっぴり救われる。何がキツイって強制給餌もマッサージも通院もモカは嫌がってるのが分かるだけに、心ポキッと折れたりする。医師のこういう一言って有難い。
流動食の内容を聞かれ、ロイカナの免疫サポート(粉をお湯で溶くミルク)を出してくれるが、摂取量はなかなか増やせない。
まだ口に入れたものは飲み込むし吐かないのが救い。

・1月5日

モカ3.1キロ なんとか3キロはきらないで欲しい。 この日、先生から1月10日に2次病院の予約が取れた事を聞く。
体重が減っているしMRIの全身麻酔に耐えられるか不安を口にすると「モカちゃんは若い!体重維持を頑張りましょう。大丈夫!」と励まされる。
そうだよね。迷ってても前に進めない。これでモカが御老体なら躊躇しただろうけど、まだ助かる可能性がゼロって訳じゃない。
一緒に頑張ろうね、モカ。

・1月6、7日

相変わらず寝たきりなモカ。だけどこの2~3日、朝見るとケージの中で頭を起こしてる。左右どちらか何かに寄りかかってないと倒れちゃうけど、上半身だけ香箱ポーズかスフィンクスのポーズ。
なんかシャキッとしてる。顔つきもしっかりしている気がする。ダンナと「ステロイドが効いてるんじゃないか?!」とちょっと喜ぶ。
調子に乗ってカルカンパウチを目の前に持っていくが、そっぽ向かれる。そう甘くはない。
ただ、目だけはちょっと前から妙にギラギラ、爛々としているのが気がかり。まばたきも少ない。これも病気のせい?
もう目もあまり見えてないって院長先生は言ってたけど、そんな風には思えない。周囲の気配を察知して、耳はちゃんと動いて聞いてる。
ちびが通りすがりにモカの後脚の臭いを嗅ぐと、嫌がってちょっと引っ込める素振りをするし。完全に麻痺してたら分からないんじゃないのかなぁ。
血行不良と床擦れが心配なので、6~8時間ごとに左右を返して体位変換。首が不安定だと嫌がる気がするので、頭を揺らさないよう支えて慎重に。

・1月9日

モカ3キロ この日は翌日の検査を控えている為ステロイドは無し。輸液のみ。
ちょっと調子良いと思ってたけど、この日がっくり悪くなった。もう頭を起こせない。強制給餌の時、体育座りした私の膝と腿の間でモカを支えて、なるべく体を立たせてあげるのだが(横になると誤嚥が怖い為) もうこの「体を立たせる体勢」が辛いのか嫌がる。腹ばいに正面を向けさせたくても、横向き寝で硬直し始めてるので難しい。
それでも頭を支えながら給餌を試みる。飲み込みが悪くなってきたと感じる。少しずつ飲んではいるけれど、あまり入っていかない。口の端から垂れてしまう量の方が多いかもしれない。給餌量は更に減った。食事を終わりにして、アゴ下に枕を置き、体の左右をクッションで支えて休ませる。(←いきなり横寝して吐かないように) ちょっと目を離した隙に枕に液体少々。少し吐き戻してしまった。
強制給餌も限界かもしれないと感じる。
枕をはずした時など、モカの頭がカクリ、カクリと小さく揺れる。発作?なのか。震えとか痙攣という程激しくはない。
時々、縮こまった前脚をグーッと伸ばす動作。本人の意思で伸びしてるのか、これもまた発作のようなものかわからない。
ここにきて色々と症状が進んだと感じる。
翌日の検査を控えて、ダンナと話す。
「嫌がる強制給餌しても、モカの症状が段々悪くなって、ここにきて更に全身麻酔で検査なんて、これってエゴなのかなぁ?」と私。
「強制給餌してたから、今まで体重も体調も維持できてたと俺は思う。やってなかったらもっと悪くなってたよ。」とダンナ。
更に「エゴなんて言い出したら、人間と一緒に住んでる時点で人間のエゴだ。本人達は望んでないかもしれないじゃん。」
「いいんだよ。エゴ上等! 」と。「何もせず諦める事はしない。できる限りの事はする。それでいいと思う」と。
そうなんだよね。モカは嫌かもだけど、私達はまだまだモカと一緒にいたいんだよ。我が家の一員としてとことん付き合ってもらうよ、モカ。
検査に備えて、12時間前には絶食。なのでその前に少しでもと流動食。やはり飲み込みが悪い。誤嚥も怖いのであまりあげられなかった。
この時も後になって少し吐いてしまった。




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モカと脳腫瘍 2

2015-01-22 12:44:20 | 猫の病気
10月の病院での診察で「異常無し」と診断されたが、以降、食欲はみるみる無くなっていったモカ。

病院でロイヤルカナン消化器サポート(ドライ)を出されたが、正直この時「食べるわけないじゃんか!」と思った。

同時にロイヤルカナン退院サポート(缶詰)も一緒に出され、「これ食べてくれれば、栄養ついていつものモカに戻ってくれるのか?」と

不安半分期待半分で帰宅したのを覚えている。そもそも好きなフードの汁しか飲まない時点で療法食なぞ食べるはずがないのに。

当然、全く口にしなかった。この時点でモカ、体重4.8㎏

・11月28日 ソファ下かタワーに籠ってるはずのモカ。朝、洗面所で発見。横になり上半身だけ香箱を組んだ体勢。鳴いて何か訴える。
洗濯機の裏にでも入り込んで隠れたかったか、水が飲みたかったのか、どうしたかったかは分からない。「洗面所まで歩いて来たんだ」と私は安心?
してしまい、「そこに居たくているんだな。そっとしとこう」と馬鹿な勘違いをする。だが、来客が玄関先で話してても、すぐそばの洗面所のモカは鳴くだけで逃げようとしない。いつもなら怖がって逃げるのに。半日たち、鳴くばかりで動かないモカをさすがにおかしいと思いそばへ。
「じゃあ一緒にリビング行こうか?」と抱き上げた瞬間、体重の軽さに驚く。試しにその場に立たせようとすると、よろけて倒れる。
「なんとか歩いて来たものの、自分で戻れなくなっていた」と、やっと気づく。フラついて、あちこち隠れようとしたら危険と感じ慌ててケージ(2F建てタイプ)設置。モカを入れ、しばらく布で隠し落ち着くのを待つ。この日以降、ケージ生活となる。

・11月29、30日 ケージ2Fにいたはずのモカ。朝になると1Fで横になっている。1F設置のトイレがひっくり返っている。29日の朝は「トイレが気にいらないのかな?」と思う。しかし30日の朝にようやく気づく「1Fにちゃんと着地できない。2Fに上れない」事に。つくづく馬鹿な飼い主だと思う。
慌てて、ありあわせの板&結束バンドで1F~2Fの穴を塞ぎ、部屋が見渡せる2Fのみが生活スペースとなる。

・12月初め ついに食欲廃絶。自らは全く口にしなくなる。トイレにすら行かない所をみると、水すら自分からは飲んでいないと推測。

・12月3日 猫は絶食が続くと、肝リピドーシスという病気になりやすく命の危険を感じた為、悩んだ末にかかりつけの病院に対策を聞きに行く。
この時、迷ったがモカはつれて行かず。頑なに籠っていた事もあるし、前回の診察で解決策が見えず、幻滅してたのもあるかもしれない。
当然、連れて行かないと「分からない」と言われるのも推測できた。が、この時の私は藁にもすがる気持ちだった。なんでもいい、できる事をアドバイスして欲しかったのかもしれない。
この日、応対してくれたのは、担当の先生でなく院長。「診てみないと何とも言えない」とあっさり言われる。が、「ちゃんと歩けないっていうのは、明らかにおかしいよねぇ。おまけに食べないとなると、肝リピドーシスとか色々と問題が出てくるねぇ。」と続けた。
以下、私の心の声。「前回の診察で、「異常なし」で帰されたのに、なんで今になってそんな不安を煽る事言うんだ?!」
何か対策をアドバイスしてくれるでもなく、「すぐに連れて来なさい」と言うでもなく、院長はそれ以外何も発言してくれなかった。
いたたまれなくなり、退院サポート缶を一缶だけ買って、私は病院を後にした。
この時、半泣きで歩いた。あの日の事は今思い出しても、胸が苦しくなる。途中、ホームセンターであらゆる種類のフードを買い漁り、「これでダメなら強制給餌しかない」と思う。(そういえばかかりつけ病院は強制給餌の指示もなかった。)道すがら、目に入った動物病院に飛び込み、シリンジを分けて貰った。日記にも以前書いたけど、ここの先生の優しさは沁みた。「あきらめちゃダメだ。」と決意できた。

ここまでで、話だけでモカを診察してない人を含めると3人の医師が関わった。でも誰も「脳の問題」を疑った人はいない。勿論、私も。栄養失調で歩けないんだとばかり思っていた。

この日より強制給餌開始。市販のスープタイプから始めて、明らかに足りないと感じた為カナン退院サポートの割合を増やしていく。が、慣れない強制給餌&あまりモカに恐怖心を持たせると、ますます食べなくなるのでは?という不安から15ミリのシリンジで1~2本/一日が限度。ただ、嫌がる時に突っ張る前脚は力強い。顔をそむける力もある。必要カロリーには全く足りない。カルカンパウチのスープだけは、かろうじて自分で飲む。これでは少しの水分補給のみ。ケージ内に設置したトイレはまたぐのが大変と思い、ペットシーツを全面に敷く。トイレスペースとして体半分隠れるように囲いを設置。たまに囲いの中に成功、それ以外は寝床でもしてしまう。


・12月13日 強制給餌の努力及ばず、どんどん痩せていくモカ。新たに肝臓や腎臓に発病の不安もあり病院へ連れて行く。「あらら、痩せちゃったねぇ」と呑気に担当医に言われる。モカ3.8㎏ 「人間で言うと10㎏位、痩せた事になります」とも言われる。いつものモカなら恐怖で固まったままなのに、何故かこの日は医師に腰を撫でられるとシッポを立てて喜ぶ。今までなら絶対にありえない。とても不思議に思ったが継続してたサプリ「ジルケーン」の効果?とも思う。よろけているが、この時は後ろ脚も頑張って踏ん張っていた。「こんなに甘えん坊なのに、どうして食べないのかな?」と医師。そりゃ、こっちが聞きたい。切実に訴えると血液検査、レントゲン、口内チェックをやってもらえた。
結果・・・脱水以外、血液、レントゲン共に異常なし。口内炎無し、「あえて言うなら少し歯石がつき始めてるかなぁ、位です。」との事。
原因になりそうな点は、徹底的に排除したかったので、その場で取れそうな歯石は軽く取ってもらう。脱水気味なので皮下輸液。更に、具体的な薬の名前は言ってくれなかったが「抗生剤と抗炎剤」を一緒に注射される。この時点でも医師の判断は「食べてないからよろける」だったのではと推測。
今更反省すると、「何の為に?」とか、「何て名前の薬か?」とかきちんと聞くべきだった。医師の発言を待ってたらダメですね。
自宅に戻りしばらくすると、モカ大声で鳴き続ける。興奮状態に見える。体は横にしたまま頭だけ持ち上げた姿勢。夜まで続き気を揉む。注射した薬の副作用だったのかもしれない。食欲増進剤の類か?


・12月15日 通院翌日は特に変化無かったが、この日は自らの足でしっかり立ち上がるのを目撃。短時間で、ややフルフルしてたけど、しっかり立っていた。モカの立ち姿を見るのが、この日が最後になるとは、この時考えてもいなかった。
この日より一週間程は、自らカルカンパウチを汁だけでなく具もしっかり食べる。といっても1袋~2袋/一日と少ないが。今までを思えば大きな進歩。
「よく分からないけど、注射が効いたのかなぁ」とダンナと話した。この勢いで、食べる量も増えるのではと期待。様子を見ながら、強制給餌の量を減らしてみたりする。

・12月22日 再び食欲廃絶 頭を持ち上げる事が少なくなり、バッタリ横になっている事が増えてきた。かといって、ずっと眠ってる訳ではない。
目は開いている。強制給餌の際、抱き上げると後ろ脚が細くなったと感じる。ゴハンを口に運ぶと嫌がるが、しっかり飲み込み吐き出す事はない。
ロイヤルカナン退院サポートだけでは不安に思い、ヒルズad缶、リーナルケアという経口缶を併用開始。15mlシリンジを一日5本、頑張っても8本。
やはり栄養が足りない。

・12月23日? 横になったまま時折、唸り声のような大きな声で鳴く。今思えば、激しい頭痛があったのでは、と思う。目は開いてるがうなされているようだった。この後も別の日に夜中など、確認できただけで2回あった。
この頃、朝の起床時に確認すると、夜寝かせた姿勢と反対側を向いていたり、前後が入れ替わっていたり。良く思えば「寝返りはなんとか自分でうっていた」悪く考えれば「苦しくてもがいていた」事になる。
強制給餌を嫌がり、抵抗する力が無い為、私が「ゴハンセット」を持ってケージから抱き上げると膝の上でオシッコされるのがお約束となる。
意志を持って「している」のは明白だったので、失禁ではない。ここがモカらしい。こちらも慣れたもので事前にペットシーツにゴミ紐をくっつけ腰に巻き(簡易エプロンです)「食べてくれるんだったら、そんなのへっちゃらだもんね~」とテンションが妙に上がる。こんな事でも「モカらしさ」が見えたのが嬉しかったのかもしれない。

・12月27日 目にみえて状態が更に悪くなる。後ろ脚を動かしていない為関節が固く硬直が始まっている。マッサージ、ストレッチ開始。
給餌量も増えないどころか、やや減ってしまう。漠然と「その時」が近い気がして不安になる。「原因も分からないままサヨナラなんておかしい。
治せる病気かもしれないのに、衰弱させちゃったら治るものも治らない!」必死になるが空回り。ネットであれこれ情報収集をだいぶ前から始めていたが、なかなか「これ」という情報にたどり着けない。FIPのドライタイプでも、食欲不振や神経症状で歩行障害が出る例を知り愕然とする。

・12月30日 モカ3.4㎏ 状態が良くないのに、動物病院は正月3日は休み。今のうちにせめて脱水改善の為に栄養点滴だけでもと向かう。この日は担当医でなく院長。正直、苦手意識を持ってしまった私。モカを診るなり「脱水がひどいな」体温を計ると「35.5℃ 低体温だね。ちょっと危ないな」という。
すっかり踏ん張れなくなってしまったモカ。支えてないと倒れてしまう。顔をみて「あぁ、眼振があるなぁ。ほら、右から左に。ほらっ、ほら」
以下、私の心の声「何?眼振って?ちょっ、そんな大声でモカの顔の間近で話さないでよ!怖がってるじゃんか!何がほらっほらっだよ!」
・・・「脳神経系の病気で間違いないかな。」と言われる。「低体温だから、とりあえず温めて、脳圧を下げる作用を期待してステロイドの注射します。」続けて「大きな病院に紹介状書いてもいいんだけど、もう年末だからなぁ。まぁ、そのへんは問い合わせして貰って・・・」とパンフレットを手渡される。「年末だから分からないなぁ・・・」と繰り返すばかりの院長。保温処置が終わり、皮下輸液、注射と処置の終わったモカ。思い切って「いつどうなってもおかしくない状態って事ですか?」と問う。「そうですね」と答え。それっきり院長は特に何も言わない。言う事といえば
「年末だからどうかなぁ、やってるかやってないか・・・そのへんは調べて貰って・・・」と繰り返す。
この時思った。「あぁ、サジ投げられた」と。「分かりました」とだけ行って病院を後にした。一緒にいたダンナは「なんであの院長、目合わせて喋んねぇの?聞いた事と違う、同じ答えしか言わねぇし」と静かにキレていた。私は半泣きだった。なんでって、モカは今この時点で生きてるし「いつどうなってもおかしくない」としても明日も生きてる可能性だってある。この病院、大晦日もやっている。なのに「来れるなら明日も来て。脱水改善とステロイド注射なら出来るから。」みたいな、「最後まで出来得る事をする」姿勢が全く無かったから。

家に戻りモカを寝かせ、貰ったパンフを見る。HPを確認すると年末年始の2次診療はやはり休みだった。それは予測していた事。何より驚いたのは「飼い主様からのお問い合せにはお答えできません。お問い合せは主治医の先生からお願い致します」という趣旨の一文。どのみち私が問い合わせてもダメだったのだ。紹介状書いて貰ってそのまま訪ねたところで「主治医の先生から予約頂いてません」と門前払いされる所だった。院長は今まで紹介なぞしたこと無いのかもしれない。システムを理解していないし。「この状態じゃ今更何やっても無駄だし、どうせ年明けには死んじゃってるよ」とでも思ったから、テキトーにあしらわれたんだろうか?
ずっと堪えてた何かが、この時切れてしまった。「ちょっとごめん」とダンナに言い残し隣室へ。布団にくるまり大泣きした。悔し泣きだった。




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モカと脳腫瘍 1

2015-01-21 11:19:32 | 猫の病気
初七日まで、あっという間でした。まだ思い出したり、夜寝る前のちょっとした瞬間とか、涙が出てしまう。

でも、落ち込んでばかりじゃだめだと思う。モカが心配してのんびり天国で過ごせないじゃないか!

このへんでモカの病状の変化とか、闘病など書き留めておこうと思う。

思い出すと辛いんだけど、書いて「自分の気持ちを整理」したい。もう、自分の為に書きます。

あと、同じ病気かも?って不安を感じてる飼い主さん。心折れそうになっている飼い主さんもいらっしゃるかもしれない。

今、同じ病気で戦ってる最中のワンちゃん猫ちゃんへ。

エールをこめて 決して孤独な戦いではありませんよ


・変化

.いつからだったかハッキリ分からないけど、器のゴハンをたべるのが遅くなった&へたになった(ぽろぽろこぼす)と感じる。
手に取って近くまで持っていくと食べていた。

当時は歯石ついてるか、キバが一本ちょっと欠けてるせいで食べ辛いのか?と思っていたが、今思えば頭を下げると違和感があったり首が痛いとか
口が痺れるとか、フード皿の距離感がつかめなかったのかもしれない。

・14年夏 震災以来、音や光に敏感になったなと思っていたけど、強風や大粒の雨音まで怖がるようになったなぁと感じる。関係ないのかもしれないし、もしかしたら神経異常で怖く感じたのかもしれない。モカのみぞ知る。

・14年9月終わり

台風や地震の度に押入れに逃げ込んでやり過ごしていた。来客があったが、その時はちびと一緒に距離を保って遠くから様子を伺っており、さほど恐怖しているようには見えず。が、夜になり押入れにこもる。押入れ内で夜中に探索中、置いてあったキャリーバッグを落下させ、その大きな音に驚き固まる。
この日から、日中は出て来なくなる。
ゴハンは押入れに持っていくと食べていた。量は半分から2/3程度。カリカリの食いが悪いと感じた為ウェットにするも、やはり残す。
トイレは夜中に皆が寝静まってから、こっそり2Fトイレ部屋に行っていた。

・14年10月10日

引きこもって3日。引っ越し時も籠った事があり、一週間程様子を見ようかともダンナと話したが、食も細く、なんとなく漠然とした不安があり
焦りすぎかとも思ったが病院へ。
「ゴハンをほとんど食べず、籠っている」と伝える。右目の涙目がひどいのも伝えると目薬で検査?され、特に異常無しと言われる。
診察中、モカはずっと恐怖の為か?震えていた。元々病院は苦手だが、こんな様子は初めて。
触診と皮下点滴、念の為の抗炎目薬を出され帰宅。
押入れが安全じゃないと思ったのか、キャットタワーの巣箱に籠ってしまう。
この日より、ますます食べなくなる。ダンナが近寄るとタワーから放尿。「病院に連れて行った事が、ますますモカを頑なにしてしまった」と私は後悔する。当然、目薬はさす事は出来ず。

・10月中旬~下旬

巣箱に籠って数日は、夜中にトイレには行っていた。が、ダンナが巣から出そうとした時、血尿を確認。ストレス原因の突発性膀胱炎と思われた。
日中、トイレ我慢しているし。慌ててヒルズC/dマルチケアコンフォート(パウチ)に食事変更。が、やはり食が細い。塊のフードを避けて汁だけ飲んでしまう。ので、スプーンで塊をつぶしてペースト状にする。食べても2/3程度。

この時点でストレスと思い込んでる為、ジルケーンやフェリウェイ、フラワーレメディ等あれこれサプリなどを試す。が大きな効果は感じない。
何を思ったか、巣箱から出たモカがリビングでひざ掛けの下に籠り、カーペットに放尿。このあたりから2Fのトイレに行かなくなる。

ソファ下へ籠り、朝には部屋のあちこちに粗相するようになる。モカは元々神経質で何かストレスがあると粗相の癖があった為、この時点でまだ私は
「まだ気持ちが回復しないのかぁ」と呑気に思っていた。
ソファ下からタワーの巣箱へ再び移動。一切出て来なくなる。抱っこもできず。タワーの巣箱で放尿。あまり食べてないが脱糞も確認。
ますます食べなくなる。

「綺麗好きの猫が糞尿にまみれて、じっとしてるなんておかしい」とさすがに不安になる。「でも病院で異常無しと言われたし」と悩む。
今思えば、明らかに「異常あり」なのに。現状を受け止めるのが怖かったのかもしれない。

ある日、タワーで放尿しようとするモカに気づき巣箱から引っ張り出し、抱っこして近くに置いたトイレに座らせようとする。
その時、腰が抜けたようにへたり込む。そのまま脱糞も。し終わるとダッシュでオシッコしながら押入れへ。その時少しフラついて走っていた。
そのまま押入れ内で放尿。
その時の私は「ブチッ」とキレてしまい。ムキになり半泣きで掃除。その物音に怯えるモカ。・・・ひどい事しちゃったなぁ。
連日の粗相の掃除で、気持ちに余裕のなかった私は、モカのふらつきを「食べてない&動いてないから、栄養不足で筋肉が減ったのか?」などと思っていた。

1人の方が落ち着くかと思い、別部屋に隔離するも片隅で怯えるばかり。ちびが騒ぐため解放すると自分の足で階段を降りタワーへ戻る。
この時はさほどフラつきはひどくなかった。

この頃からケージに入れて、布をかぶせたら落ち着くかな?と考え、ケージ購入。入れるタイミングを考えていた。

本当に、今思えば・・・になってしまうけど「猫が飲まず食わずで、暗い所に籠る」のは何か重大な事が体に起きているんです。

「今までも、こういう事あったから」とか「医者に異常無しと言われたから」とか自分が安心できる材料を探してしまった私。

普段の猫の様子を一番知っているのは飼い主。もっともっと病気を疑うべきだったと思います。


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虹の橋

2015-01-14 12:25:24 | 猫の病気
昨日、朝8時すぎ モカは駆け足で虹の橋を渡ってしまいました。

5才。まだ5才なのに。

こんなにせっかちだとは、思ってもみなかったよ。



脳腫瘍でした。

脳幹の深く、とんでもなく大きい。

水頭症、小脳が圧迫されて変形・・・脳ヘルニアをおこして延髄の方に脳が押し出されてる

・・・なんて

それでも、すごい頑張ってた。

激しい頭痛や思うように動かない体、「なんだか目もよく見えない。食欲なんか沸かないよ。そんな気ないのに、オシッコしちゃったよ、なんで?」

モカ自身が自分の変化に、一番戸惑ってたに違いない。わけが分からず怖かったに違いない。


もっと早く気づいてあげれば。と堂々巡りしています。医師は早期発見は難しいし、見つかったとしても治す手段がない。という。

それでもやはり思ってしまう。病と分かっていれば他に何かできたんじゃないかと。



いつもの粗相と思ってイライラしちゃってごめんよ。

タワーに籠ってたのは具合が悪くて不安だったんだよね。なんであの時優しくしなかったんだろう。ごめんね。

フラフラした足取りで洗面所にいたのは、必死に歩いて洗面器からお水飲みたかったのかな?分かってあげられずにごめんね。

お腹は減っていたのかもしれないけど、上手に食べられない事だってあったよね。

一番きつかったのはモカだったよね。


大嫌いな病院での点滴や注射、麻酔でのMRIまで耐えて、本当に頑張った。

上手く飲み込めなくなってきて、強制給餌もできなくなって、少しでも乾きとだるさが取れるなら、少しでも楽に旅立てるならと決めた自宅輸液。

ダンナと二人、先生に丁寧に教えて貰って、明日からやっていこうと決心した。

その翌朝に旅立つなんて、「おっ母は不器用で痛そうだから嫌だよーだ。」とでも思っちゃったかな?

お父は「仕事が詰まってるから、休めるとしたら明日くらいだなぁ。」って言った事を泣いて後悔してたよ。

「一日ずっと一緒にいられるって意味で、その日に旅に出ろって意味じゃないのに」ってさ。

お父は「医者の余命宣告なんて知らん。まだまだだ!」って息巻いてたのに。

モカは聞き分けがよすぎるよ。「そっか明日なら出発の見送りしてくれるんだ!」って思っちゃったのか?

それは早とちりってやつだよ、まったくもう。そんなトコ、モカらしいっちゃらしいけどね。


旅立った直後、あんなに硬直してた体が嘘だったみたいに力が抜けちゃって・・・

抱っこすると安心しきって脱力する、元気な頃のモカみたいで涙止まらなかったよ。


最後の5分位?一番苦しかったかな・・・お母は「お守り代わりの痙攣止め」を貰っていたのに、動揺して使うの遅かったかな。

最後の最後まで、ダメ飼い主だったかな。

モカが橋の向こうで、次の猫生準備の修行をしている間、お母も飼い主修行を頑張ってみる。

よかったら次の猫生の時、私達夫婦のトコに来てくれたら嬉しいなぁ。そん時はきっと超ご長寿猫まちがいなしだよ!

あ、でもお母が嫌なら無理強いはしないよ。幸せで長生きできるなら、どこだっていい!



しばらくは日記書けそうにないです。

でも、落ち着いたら過去にさかのぼって経過を書いていこうとは思っています。

同じ病で命を落とさないように、少しでも参考にして頂ければと思っています。






コメント (6)
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