ちびもかの縁側

ちびモカ2猫との日々
2011年秋、むぎが加わり3にゃんとなる
2015年1月モカ、虹の橋へ
4月コタ仲間入り

秋の気配

2015-08-28 13:56:29 | 日記
先日までの暑さが、嘘のように涼しくなりました。

暑い盛りの頃、むぎは寝てばかり。暑いの割と平気なちびも、さすがにエアコン部屋で寝ていたりしたのだが



・・・コタの場合、エアコン部屋にしかいなかったから、そりゃ暑さ関係なくアクティブだわな


で、ここ数日。涼しくなってからは



変わらず遊ぶの大好きなんだけど、割とまったりしてる時間が長くなった・・・気がする。

不思議なもんで、ちびむぎが今度はアクティブになっとるし。ちびむぎはスポーツの秋といったところ?


で、このコタがアンニュイな感じの時って・・・



え?眠くてウトウトしてるからじゃないかって?

まぁ、そうとも言えるが1人静かにソファにいる時にまるで「考える猫」状態。

この時のちっちゃいお目目が、可愛いんですの(≧▽≦)

最近は就寝時間になると、3匹揃って寝室へゾロゾロ集合。人肌恋しい気温って事ですね。

これ、もう少し気温下がったら夢のちびむぎコタ「3色だんご」寝が見られるんじゃないかしらん


















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むぎ昔話

2015-08-25 15:45:27 | 日記
誕生日もあったし、むぎと出会った頃を思い出していた。

2011年の11月。私の仕事先のお宅でのこと。

ここのお家、交通量の多い道路から一本入った住宅街にある。道路に面した駐車スペース、置かれた花の鉢の影に何故か箱が一つ。

私)「・・・あの箱何?」客)「ん?野良ちゃんの寝床」

近所に野良猫に餌やりしてる人がいて、ゴハンの心配はないみたいだけど、何故か「寝場所はココ!」とこのお宅に来るようになったそうな。

物陰に隠れてまるくなってるのを、この家の当時高校生の息子さんが見て「寒いし可哀想だ!」と言うので、ひっそり箱を設置。

実はこのお宅、2人のお子さんがいるのだが2人とも重いアレルギー体質。なので当然、猫は飼えない。

近所は猫嫌いな人もいるので、こっそり箱は置いたものの、ずっとこのままって訳にもいかない。

その時、私は猫の姿を見る事はできなかったのだが、数日後写メが私宛に送られてきた。


タイトル「かわいい親子でしょー?」・・・って

見ると茶白&アビ風柄の2匹の子猫と、キジ虎の母猫の姿。・・・餌貰ってるせいか近距離撮影も逃げないらしい。

そして本文には「息子が相談があるそうなので、時間ある時に寄って下さい。私(母)は仕事で不在かもだけど」とあった。

・・・相談って、別に進路相談じゃないよね。嫌な予感。かといって、幼稚園児の頃から知ってる息子さんの相談をむげにもできん。

数日後、再びお宅訪問。(この時点でキャリーバッグ持参な私。すでに負け(笑))

アビ風の子はいなくなっていた。息子さんが「誰かに連れて行かれちゃったかも。それとも事故かなぁ」と、この時点で涙目だし

「人慣れしてたし、誰か良い人に貰われたんだよ」と慰める。

「ねぇ、野良って長生きできないんでしょ?○○病とか○○病とかあるっていうし」「車にひかれちゃうかも」とネガティブ全開な青少年。

確かに餌場からここまでは大通りを横断している。事故のリスクはある。

もーっっ!アレルギーで触れないってのに涙目になるなよっ!お年頃男子しっかりしろ。まぁ昔からキミのそういう優しいトコは知ってたけども。

・・・ここまで訴えられて、何もしないのは人としてイカンですよ

「わーーーーかったわかったよ。一時保護して病院連れて行くから。そのかわり里親探しは一緒にやるんだよ?」「うんっ

かくして人慣れしてた茶白は、あっさり素手で保護。


大真面目に話しかけてます。

私、犬や猫って「言ってることを理解してる」と信じてる。この時の母猫、私の顔をじっと見つめて聞いていた。納得はしなかったかもだけど。

抱っこされた子を見て2、3度「ミャー」と鳴いてたのを覚えてる。

「この子に里親さん見つかったら、次はあなたの事考えないとね。」とも言ったと思う。

さすがに母猫は撫でさせてくれる程慣れてなかったし、捕獲機借りないと無理かなぁなんて漠然と思っていた。

・・・こうして保護されたのが、むぎだった。

あれこれあって、むぎは我が家の子となり落ち着き「そろそろ母猫を考えないと」と思った矢先に、このお宅から連絡があった。

母猫が亡くなったという連絡だった。

いつも通り餌場でゴハンを貰った後、仲良しだった他猫(むぎ達の父猫だったのかもしれない)を追いかけて大通りに飛び出して車に轢かれてしまった。

この親子猫をとても気にかけていた近所のコンビニのお兄さんが見つけ、お花と一緒に弔ってくれたそうな。

その時「もう少し早く保護してれば」と後悔と共に、あの時の母猫の瞳を思い出してなんだか運命的にも思えたり

あれから4年。ほんとに早かったなぁ。

涙目だった青少年はもう20歳。でっかく育ったむぎの写真を見て

「えっ嘘だっ。こんなに大きくなっちゃうの」と発言(笑)

大きくスクスク育つのは、とっても良い事なんだってば。むぎもキミも大きくなったよ











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ハッピーバースデー

2015-08-20 13:51:56 | 日記
加入してる某ペット保険から、ちびむぎ宛にバースデーカードが届いた。

ちびもむぎも、生まれた年は確実に分かってるけど、月日となると正しくは分からない。

なんせ野良さんだったしね。二匹とも秋に保護して、パッと見の大きさと「そろそろ親離れって事は2~3ヶ月ってとこか?」

と、推定もざっくりしたものだった。

で、夏の終わり生まれって事にして、2匹とも8月31日を誕生日ってことに。

当時、ちびはガリガリに痩せてたし、警戒心もとっても強く、なんつーか野良猫として出来上がっていた。

今思えば、栄養不良で体が小さかっただけで、本当は3ヶ月超えてたのかなーと。


誕生日おめでとう、ちび様!

8歳かぁ・・・時のたつのは早い。若さも美貌も気まぐれも、磨きがかかって素晴らしい限り

むぎは保護当時、栄養状態は良かった。なんせ餌やりさんから美味しいフードや、コンビニ店員のお兄さんから、唐揚げを貰ったりしてたから。

(なんでもご丁寧に唐揚げは衣を外し、真ん中あたりの味がついてなさそな所を、更にほぐしてくれていたそうな。まさにVIP待遇)

うちに来た時カリカリ食べてたけど、本当ならまだ離乳食かウェットの月齢だった気もする


こーんなに・・・


こーんなに小さくて


兄の手を焼かしてた子が


お兄ちゃんになるとはねぇ( *´艸`)

むぎ、4歳の誕生日おめでとう!

こうやって、誕生日を迎えられるって幸せ。たぶん猫たちより私が幸せを噛みしめてる(笑)

楽しい、美味しい、安心をいっぱい感じてくれてますように。






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いまさらanan

2015-08-16 12:12:10 | 日記
だいぶ前になるけど、春に雑誌ananで猫特集をやってた。

私は人から聞いて知ったので、発売から日数が経ってたし、その時には購入できず。

なんでもすごい人気で、コンビニや書店で売り切れが相次いだそうですよ~。

どんなカンジだったか気になったので、今更ながら調べてみた。


表紙がコレ!

くぅ~、購買意欲をそそるじゃないですか。フォトグラファーに拍手。この子を表紙に選んだ編集さんも偉い。

…はっちょいまち!

この子でこんな素晴らしい出来ならウチの子だってイケるんじゃないの?

そう思った全国の猫飼いの間で、この時期「うちの子anan」って画像加工が流行ったらしい。

気づけば表紙の子とコタって毛柄似てるし。

という訳で、今更ながらやってみた…

トップバッター、むぎさん。


あら、美少年

なかなかだけど、如何せん飼い主の写真加工技術が追いつかない。

ふさふさの子は画像のトリミング難しいなぁ

続きまして真打ち登場



どーん

…真正面からのプリティー顔写真、撮れなかったんだも


爆睡の寝顔ドアップで勝負。

これはこれで、なかなか味わい深いじゃありませんか

…完成して私は笑いました(*゜∀゜*)

ちび様は撮影拒否だそうで。「気安く撮らないでよ」と、大御所女優な態度でございます。











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爺ちゃんと馬

2015-08-15 08:39:03 | 日記
毎年この時期になると思い出す人がいる。

その人は、私が平成の世というのに丁稚奉公チックな修行時代からの知り合いで、独立してからも長い間優しく、時に厳しく応援してくれていた。

ガラス屋さんをやってた爺ちゃん。当時で御年86歳。

生まれも育ちも東京で、若い頃は映画館通いが趣味。当然好きな女子もいた元シティボーイな爺ちゃん。

世間話の間に、こんな話をしてくれた事があったっけ。

志願兵として中国戦線に赴き砲兵をやり、馬の世話係も命令されたが、なにせ都会派だった爺ちゃんは馬なぞ触った事もない。

上官に怒られたり時に殴られたり、騎乗すれば内腿の皮がズル剥けになりながらも一生懸命世話をした。

努力が認められ将校の馬の世話を任されるようになった。

ある時、部隊の移動中に将校殿の馬を連れた爺ちゃんは隊とはぐれてしまい道に迷う。そこは中国大陸の生い茂った深い森の中。時は深夜。

東西南北もわからなくなる程の深い闇。いつどこから敵が襲ってくるか分からない恐怖。

爺ちゃんは死を覚悟したそうだ。

すると馬が歩き出し爺ちゃんは馬の行きたい方向へ身を任せてみた。

不思議な事に明け方目にしたのは、はぐれた部隊が駐留している場所だったとか。

「あの時は馬に命を救われた」と爺ちゃんは言ってた。

そして敗戦。話しぶりから、当時の爺ちゃんがいた場所は中国といっても日本人は即、皆殺し。な感じではなかったようだった。

ただ帰国にあたって金目になりそうな?物資は全て引き渡さなければならない。当然、馬も。

「中国人にたづなを渡した時、あの時は本当に悲しくて涙が出たなぁ」と爺ちゃんは言った。

必死に一から世話を覚えて、馬の気持ちがわかるようになり、命まで助けて貰った馬との別れ。

それ以上、爺ちゃんはあまり語らなかったけど、別れの寂しさと共に、その馬の行く末を案じての涙でもあったんじゃないかなぁと思う。


「ねぇ爺ちゃん、こういう話って孫とかに話してあげてるの?」

「いや、こんな話したって孫は喜ばねぇし退屈だろうからさ」

・・・若い世代の人達は是非聞いてもらいたい。当時を知ってる人はもうそんなに多くはいないから。そんな爺ちゃんも、数年前に旅立ちました。

余談ですが、この爺ちゃん

「子供の頃、俺の枕元に置いた木箱ん中で飼い猫が子猫生んだんだぞぉ。俺が世話してさ。猫って隠れて産むだろ?ありゃ、めちゃくちゃ俺に心許してたね!」

と、私に自慢してた。「へーんだ!私だってそういう時来るかもしんないじゃん」「いやいや、ないね!」・・・子供の言い争いかっつーの(笑)

そんな楽しい思い出もあるナイスな爺ちゃんでありました



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