9月 横浜戦 右中間への打球にダイブ・・・中心性脊髄損傷・・・
まさかの引退・・・
復帰を楽しみにしていたのでショックです・・・
『僕は100%の力を毎試合出せなければ他の選手に勝つことはできないと思ってやってきた。
どこかでセーブしなければいけないという恐怖感もある。プロとして、身を引くべきじゃないか』
入団から9年。プロでは通用しないと言われた小さい体にファンの夢を乗せ、全力で走ってきた赤星選手。
1年目から5年連続の盗塁王、6度のゴールデングラブ賞。
1番赤星・・・俊足、堅守 甲子園からあの姿がなくなるのはほんとうに残念です。
赤星選手が新人だった2001年の 2003年9月15日の広島戦。
春季キャンプで打撃指導する野村監督。 サヨナラ打した赤星選手を抱きしめる
赤星選手をプロに導いたのは、2000年 星野監督。
当時、阪神の監督だった野村克也氏 『忘れんよ…あのV打
あのガッツをもう一度見たかった…』
と星野仙一SD
アニキとは2003年に広島からFA移籍 阪神赤星 決死のダイブは後悔なし!
してから左中間でコンビを組み続けた。
『グラウンドで死ねたら本望かと聞かれれば、本望といえない自分もいた。恐怖心もあった』
悩み抜いた1カ月間・・・ プロとして・・・プロだから・・・引退という苦渋の決断を選択したのだと思う。
愛知・大府高から亜大―JR東日本を経て2000年ドラフト4位で阪神入団。
走攻守三拍子がそろった外野手として1年目からレギュラーに定着し、39盗塁
で盗塁王、新人王に選ばれた。
その後も05年まで5年連続盗塁王、リーグ優勝した03年と05年にはベストナイ
ンに選ばれ、ゴールデングラブ賞は6度選出。
04年に社会貢献活動が評価され、ゴールデンスピリット賞を受賞した。
今季は、91試合の出場で打率2割6分3厘。
プロ9年間の通算成績は1127試合で1276安打、打率2割9分5厘、3本打、215打点、381盗塁。