甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

再び夢舞台

2012-02-26 | 高校野球

1995年(平成7年) あれから17年の月日が流れました。

この年に起きた阪神淡路大震災。

この年に甲子園出場を果たした高校3年生だった球児たちは今、34歳になります。

昨年、東日本大震災が起き、球児たちの心の中には「野球をやっていいのか・・・」

「甲子園・・・ムリだろう」という気持ちを持ったことだと思います。

あの年も、同じ気持ちで甲子園でプレーをした球児たちがいました。


甲子園球場がある兵庫県西宮市は、1960年から大会でベンチ入りをする選手たちにアルバムを贈呈してきたそうです。

しかし、95年春、夏、96年春の3大会に出場した選手たちには、震災復興に追われ贈呈は中止となりました。

この大会に兵庫から出場した報徳学園、神港学園、尼崎北、滝川第二、姫路工業の元高校球児たち53人が再び夢の舞台へ。

あの年、受け取るはずだった記念品を17年の時を超え手にすることができました。

仲間と共に汗を流した青春のときや、あの時感じた思いが蘇ったことだと思います。

良かったですね。


「野球ができることに感謝しながらプレーしたことを思い出す。再び夢舞台へ立たせてもらえて感謝している」

・・・元神港学園副主将 竹田氏の言葉。


高校球児にとって甲子園は特別な場所ですよね。

甲子園でプレーするため懸命に練習をして・・・。

甲子園出場が決まればみんなの祝福と期待の中で、ワクワクするのでしょうね。

毎年そんな光景が繰り返される中、「特別」となってしまったあの年や昨年、

甲子園出場を果たした選手たちは真に喜べない状況の中での夢舞台だったことでしょう。

本当ならワクワクドキドキしながら経験した夢舞台の想い出だけが、いつまでも色褪せることなく心に残るはずだっただろうと思いますが、

辛い出来事でしたが、見過ごしてしまいがちな人を思いやる気持ちや感謝の気持ちが持てたことは財産で、

時が過ぎ、元球児たちには忘れることができないもっと大きな思い出が届き嬉しい気持ちになりました。

兵庫の球児以外にも、この年に甲子園に出場した約2000人の球児たちの元へも、思い出が届くそうですよ



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