隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第42回 『雨の鎌倉・横須賀 2日間』 (その7・最終回)

2023年06月25日 | 食の文京

旅行記 第42回 『雨の鎌倉・横須賀 2日間』 (その6・Café&Meal MUJIで朝食を)  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/744d067e22236609067126fae4d39777

 

旅の二日目、鎌倉を東西に貫く、「大町大路」沿いの大町2丁目にある蕎麦屋「東京亭」で、昼食を済ませたのが、14時10分頃です。


大町大路を、「名越切通し」に至る、東へ向かいます。

 

 


鎌倉を南北に貫く「小町大路」と交差する「大町四ッ角」の交差点を越え、さらに進みと、右手におどろおどろしい建物が、見えてきました。

 

 


ここは、癌封じのお寺としても有名な、「上行寺(じょうぎょうじ)」です。正和2年(1313)、日範上人の創建と言われています。


明治19年(1886)に、大町名越(なごえ)の「妙法寺」の法華堂を移築したものといわれている本堂には、「薬師瘡守稲荷(やくし かさもりいなり)」、「癌除」、「身がわり鬼子母神」と書かれていて、他の鎌倉の寺院とは、異彩を放っています。

 

 


観光客は、殆ど立ち寄らず、真に願掛けをされる方が、お参りされているのでしょうね。


当山の山門。

 

 


上行寺の少し先、左手にあるのが、「安養院(あんよういん)」です。

 

 


安養院は、尼将軍と称される北条政子(ほうじょうまさこ)が、夫である源頼朝の冥福を祈るため、佐々目が谷に建立した祇園山長楽寺が前身である、と伝えられています。

 

 


その後、鎌倉時代末期に「善導寺(ぜんどうじ)」の跡(現在地)に移って、安養院になったと言われています。安養院は、北条政子の法名です。

 

 


北条政子と言えば、昨年度の大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』  での、小池栄子さん  の熱演が、記憶に新しいところです。


その先、妙法寺まで行こうと思っていたのですが、雨上がりで気温が上がり、これ以上は体力が持たないと思い、引き返します。


大町四ッ角の手前の角を右に曲がり、「八雲(やくも)神社」に向かいます。


当社は、昨年5月 に参拝 しているのですが、再びお詣りしました。


疲れが、ピークに達していたのでしょうね。写真を撮り忘れたので、八雲神社境内の様子は、リンク先をご覧ください。


当社の参道から、「小町大路」に出て、北に向かいます。


「滑川(なめりかわ)」に架かる、鎌倉十橋(じっきょう)の一つ「夷堂橋(えびすどうばし)」を渡ると、目の前に「本覚寺(ほんがくじ)」の表門に当たる「仁王門」が見えてきました。

 

 


当門は、江戸時代のもので、明治初期に三浦半島の寺院より移した、と言われています。

 

 


門を潜り、境内へ。

 

 


本覚寺の山号は、妙厳山(みょうごんさん)。宗派は、日蓮宗。ご本尊は、釈迦三尊(しゃかさんぞん)。創建は、永享(えいきょう)8年(1436)です。開山は、日出(にっしゅつ)上人。


御朱印を頂けるのは、門の脇にある寺務所です。持参した御朱印帳に、浄写して頂けました。お願いしたのは、三種類ある御朱印の内、「日朝大上人」です。納経料は、500円。

 

 


日蓮宗の総本山、身延山久遠寺の整備・拡張などを行った日朝を、日蓮宗では「宗門中興の祖」と仰いでいます。


日朝が61歳のとき、長年の苦行と布教活動の過労によって両目を失明します。しかし、さらに修行を重ねて精進したところ、目は平癒します。日朝は後の世に法華経を信仰する人が眼病で苦しんでいたら、平癒させると言う願(がん)を立て、「眼病消滅本尊」を書きました。こうして日朝が「目の神様」として信仰されることになるのです。

 

 


御朱印の右上には、「眼病救護」。右下には、当山の地名「小町」と、墨書きされています。


尚、拝受した御朱印の数は、これで117印になりました。その内、第1印~100印は、こちらをご参照下さい  。

 


寺務所の反対側にあるのが、「戎堂(えびすどう)」です。

 

 


夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものでした。その後、文永11年(1274)に佐渡に流されていた日蓮が、この夷堂を拠点に説法を行いました。


その後、永享(えいきょう)8年(1436)に、室町幕府第四代の鎌倉公方の足利持氏が、夷堂があった場所に本覚寺を建立し、日出上人に寄進しました。


手水舎(てみずや)

 

 

水盤の上では、二体の龍が絡み合っています。

 


大正時代に建てられた「本堂」。

 

 


賽銭箱の上には、神社拝殿の前の “鈴” のように、吊るされた紐で鳴らす円盤上の鐘がありました。これを、何と呼ぶか、御存知の方は教えて下さい。

 

 


扁額(へんがく)には、「常祥閣」と書かれています。

 

 


鐘楼の鐘は、日出上人が木更津八幡宮の別当寺・泉蔵寺での法論に勝ち、持ち帰ったものであると伝えられています。

 

 


北側の入り口にあたる山門から、境内の外へ出て、鎌倉駅を目指します。

 

 


同駅 14時57分発の横須賀線グリーン車に、乗車して帰京。こうして、『雨の鎌倉・横須賀 2日間』の旅は、終わりました。

 

 


==「旅行記」バックナンバー ==
http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/c/619e2d4e0638d6d11db6b03fbe07a87a
1~30回 省略

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