黒部川阿玉川水門のへら、マブナは、先週まで連日の釣果に沸いていたのですが、ここの所さっぱりで、釣り人もまばらです。常陸川も高浜付近で4,5枚マブナが釣れたという方がいましたが、やはり型を見れば良いほうのようです。今のところどこへ行ってもそんな様子でしょうか。釣れればまずまずの型が出ますので、それに期待しましょう。
鹿児島の朝は遅いです。小見川では7時前には明るくなっていますが、鹿児島では7時をかなり過ぎないと明るくなりません。「秀水園」の窓からは鹿児島湾(地元の人は錦江湾といっています)が穏やかに見えました。鹿児島の旅も最終日。良くしてくれた仲居さんとお別れの記念撮影をして、大社長にも見送ってもらって朝9時に宿を出ました。また揺れるのかと思っていた指宿枕崎線の列車は、快速「なのはな」。これは揺れませんで快適でした。来るとき揺れたのは乗った車両が昭和56年制となっていましたから、私たちの結婚期間とと同じくらい古い車両だったせいでしょうか。帰りの飛行機が14時50分発なので、鹿児島中央駅で降りて市内散策。駅の観光案内で聞くと、市内観光地巡回バスが出ているとのこと。乗り場を教えてもらって、西南戦争の激戦地、展望台のある城山公園へ向かいました。運転手さんが気の利いた人で、西郷さんの銅像の前や、鶴丸城跡付近になると、もちろん交通に注意しながらスピードを緩めてくれたり、写真を撮影できるくらい停車してくれました。名所の説明もしてくれますので、ありがたかったです。城山公園展望台で下ろしてもらい、桜島を見に登っていきました。噴火が近いとの情報だったので、テレビ局なども来ていましたが、それほど煙は出ていませんでした。巡回バスは1日乗車券(500円)を買えば、何度でも乗り降り自由。私たちは城山の下まで降りてから、名所をめぐって少し歩くことにしました。西郷さん終焉の地まで来ると、空が暗くなり、雨が降り出しました。旅行前見た天気予報では、鹿児島は雨が降る予報だったので、良くここまで持ってくれたと言う感じでしたが、結構な本降り。傘は持っていたのですが、観光を断念して、近くを通る市電に駆け込み、鹿児島中央駅まで戻りました。何か郷土料理を食べたいと、思っていると、空港へ向かうバスターミナルの地下に「さつま地鶏の鶏膳」と言うお店を発見。千葉まで帰るというと店長さんが絵葉書をくれたり、親切にしてくれました。もちろん食事もぷりぷりでおいしく、今までいた指宿に鶏を飼っているとのことでした。鹿児島中央駅からはほぼ10分間隔で鹿児島空港行きの高速バスが運行されていました。ちょっと早かったのですが乗り込み、40分くらいで空港到着。帰りの飛行機はほとんど雲の上で、富士山も見えず、気流が悪いとのことで、機内サービスも早々に打ち切られシートベルトをして座ったままでした。東京は雨で、何にも見えない中、見事に羽田空港に到着。結局それほど揺れることはなくて安心しました。羽田到着後は、モノレール、バスを乗り継ぎ、19時ころ小見川まで一気に帰り着きました。
鹿児島の朝は遅く7時30分近かったと思います。
秀水園から見た錦江湾
器にところどころついてくる人
秀水園に飾られた西郷さんの書
秀水園さんに展示された薩摩の偉人たちの書。左から陸軍元帥の大山巌さん。連合艦隊司令長官東郷平八郎さん。いわずと知れた大久保利通さんのもの。
秀水園さん建築中に出土された弥生時代の土器。たくさん出てきたそうで、大変だったそうです。
鹿児島の西郷さんの銅像。バスから撮影。
鶴丸城の城壁。篤姫像や、博物館もあった。
城山展望台から見た桜島。
鹿児島市内。
「もうここらでよか」西郷さん終焉の地。
鹿児島市電
地鶏の鶏膳
帰りの飛行機は雲の上ばかりでした。
鹿児島の朝は遅く7時30分近かったと思います。
秀水園から見た錦江湾
器にところどころついてくる人
秀水園に飾られた西郷さんの書
秀水園さんに展示された薩摩の偉人たちの書。左から陸軍元帥の大山巌さん。連合艦隊司令長官東郷平八郎さん。いわずと知れた大久保利通さんのもの。
秀水園さん建築中に出土された弥生時代の土器。たくさん出てきたそうで、大変だったそうです。
鹿児島の西郷さんの銅像。バスから撮影。
鶴丸城の城壁。篤姫像や、博物館もあった。
城山展望台から見た桜島。
鹿児島市内。
「もうここらでよか」西郷さん終焉の地。
鹿児島市電
地鶏の鶏膳
帰りの飛行機は雲の上ばかりでした。
鹿児島2日目は、朝6時に温泉につかる贅沢から始まり、いつもは納豆とご飯と豆腐の味噌汁だけの朝食が、卵焼きから、焼き魚、イセエビの入った味噌汁など豪華な朝食でお腹もびっくり。9時過ぎ指宿駅近くのトヨタレンタカーまで送ってもらい、自動車を借りて出発。仲居さんに教えてもらったJR最南端の駅「西大山」駅で、千葉でもまだここまで咲いていないのではと思う満開の菜の花と、標高924mの薩摩富士と呼ばれる美しい「開聞岳」をバックに記念撮影。近くには浦島太郎が亀に乗って、竜宮城へ向かったと言う浜のある、長崎鼻という岬やフラワーパークがあるそうですが、午後から天気が悪くなると言う予報だったので、目的の知覧を目指しました。途中、イギリスのネス湖の怪物「ネッシー」と同じようなこぶを見たという人が続出した池田湖を見学「イッシー」と名づけられた、その池田湖の怪物にはお目にかかれませんでしたが、池田湖には大きなうなぎが生息するそうです。1時間ほど走って知覧に到着。天気が悪くなる前に、武家屋敷群を見学。日本の道100選に選ばれたと言う綺麗な小路を、名物の知覧茶をご馳走になりながら、これまた四季折々の色彩、風情たっぷりの庭園を見ながら歩きます。7軒ほど開放してくれてあり、住んでいる家は「私有地につき・・・」と立て看板が出ています。武家屋敷近くの川にかかる永久橋のたもとには、特攻作戦当時、出撃のため飛行場に向かう特攻隊員がこの世の別れに枝を折っていったという、桜の並木が健在でした。そしてその隊員たちを、母親の変わりにかわいがってくれた特攻の母「鳥浜トメ」さんが経営していた富屋食堂もあり、今ではホタル館となって、隊員たちの写真や、高倉健さんと田中裕子さん主演で映画化された「ホタル」でも紹介された、富屋食堂でのエピソードを伝えています。トメ観音にもお参りして、戦後になって知覧を訪れる遺族の方々のために、建てたという別館となる旅館で、コーヒーなど飲みながらしばらく過ごしました。その後、特攻平和会館へ。たくさんの灯篭が献納され、隊員と隊員を見守る母親の像、出撃前の隊員が寝泊りした三角兵舎を見学後に中へ。館内は撮影禁止。100円で解説のレシーバーを借りることが出来ます。知覧は陸軍航空隊の基地で、海軍航空隊は大隅半島側の鹿屋などに基地がありました。ここから沖縄へ飛び立って帰ってこなかった方々の写真が遺書などとともに並び、視聴覚室では説明や朗読もあり、継母だったが、優しくしてくれた母親にお母さんと呼ぶことが出来ず寂しい思いをさせてしまってすまない気持ちと、最後に「お母さん。お母さん。お母さん」と書き続けてある遺書など聞いて涙があふれました。戦争はいい若者をたくさん失ってしまいました。来るときに見た開聞岳は、特攻隊員が最後に見た日本本土の山だったのです。
開聞岳と菜の花とJR最南端の駅
池田湖
知覧武家屋敷の小路
武家屋敷の庭園。季節によって色が変わって趣も変わる。
永久橋近くの桜並木。
特攻隊員が過ごした富屋食堂は昔のままの姿で。
特攻平和会館近くのたくさんの灯篭。
特攻隊員の像。
見送る母親の像。
出撃前に寝泊りした三角兵舎。
知覧特攻平和会館。
開聞岳と菜の花とJR最南端の駅
池田湖
知覧武家屋敷の小路
武家屋敷の庭園。季節によって色が変わって趣も変わる。
永久橋近くの桜並木。
特攻隊員が過ごした富屋食堂は昔のままの姿で。
特攻平和会館近くのたくさんの灯篭。
特攻隊員の像。
見送る母親の像。
出撃前に寝泊りした三角兵舎。
知覧特攻平和会館。
先日、休みをいただきまして、子供たちの応援もあって、新婚旅行以来33年ぶりに夫婦で2泊の旅行で、鹿児島に行ってきました。私は始めて、奥さんは高校の修学旅行以来の九州でした。小見川から朝8時ころの東京浜松町行きのバスに乗り、浜松町から東京モノレールで、羽田空港第2ターミナルビルへ。12時出発のANA鹿児島行きの飛行機に乗り込みました。予約してあったので、バーコードをかざすだけで、荷物検査口も搭乗口も通過できるので楽でした。天気はよかったので、順調な飛行で、太平洋沿岸を一路九州へ。あいにく富士山は反対側の窓からしか見えませんでした。2時間ほどで無事到着。鹿児島空港から高速バスで、指宿まで行く手段もあったのですが、海沿いを桜島を見ながら列車で行こうということで、日豊線を選択。空港から路線バスに乗り込み最寄り駅の加治木を目指しました。20分ほどで到着。鹿児島中央駅行きの列車まで時間があるので、物産コーナーを見ていると、「かじきまんじゅう」なるものがあるようで、駅前のまんじゅう屋さんで購入して食べました。噴火が心配された桜島は、その日は午後3時ころ小規模の噴火があったようですが、我々が鹿児島にいる間は、穏やかでした。1時間ほどで到着した鹿児島中央駅で指宿枕崎線の鈍行に乗り換え、指宿へ。2両編成の列車で、これがまたすごい縦揺れで、奥さんは飛び跳ねながら大笑いでした。そんな中、トイレから出てくる人もいて大丈夫なのかといらぬ心配をしてしまいました。17時ころ指宿到着。小見川だともう真っ暗になる時間ですが、指宿はまだまだ明るい。宿の「秀水園」さんの自動車が迎えに来て待っていてくれました。「秀水園」さんは、割烹旅館から大きくなった宿で、食事は人気だそうです。2,3分で宿に到着。浴衣に着替えて、指宿に来たらぜひ体験して欲しいと薦められた、砂風呂に挑戦。宿から5分ほど歩いて、砂風呂会館へ。備え付けの浴衣に着替えて、海岸へ降りていくと、シャベルをもった方々が、渡したタオルを頭に巻いてくれ、「ここに寝てください」と言われるままに横になると砂をかけてくれます。これが結構な重さ、宿の人に長い間入っていると低温火傷すると言われていたので、適当に体をよじったりして、熱くならないようにして、きっちり10分ほどで出ました。それでも十分汗をかき、そのまま浴衣を脱いでシャワーで砂を落として浴場に入って落ち着くというコースで、約1時間の行程でした。宿に戻ると、楽しみの食事、仲居さんがいい人で、楽しく食事が出来ました。お腹いっぱいになってもまた大浴場へ。戻ると締めの「ぜんざい」がでてきます。「もう無理」と言いながらも食べました。これがしつこい甘さがなくおいしかった。と言う第1日でした。
ANA12時発の鹿児島行きで、はじめての九州へ。
ボーイング787。この飛行機に乗る。
天気もよい。太平洋岸を順調に飛行。
午後2時ころ鹿児島空港到着。
日豊線加治木駅構内。
物産コーナーでかじきまんじゅうを発見。
日豊線の列車。
車内から見た桜島。海岸線を鹿児島中央駅まで。
指宿駅に到着。
指宿まで乗ってきた指宿枕崎線の2両編成の列車。よくゆれた。
宿の食事は最高。出てきたときびっくりした。これは「かまくら」のなかに刺身。ほかに出てくる料理の器も有田焼だそうです。/font>
ANA12時発の鹿児島行きで、はじめての九州へ。
ボーイング787。この飛行機に乗る。
天気もよい。太平洋岸を順調に飛行。
午後2時ころ鹿児島空港到着。
日豊線加治木駅構内。
物産コーナーでかじきまんじゅうを発見。
日豊線の列車。
車内から見た桜島。海岸線を鹿児島中央駅まで。
指宿駅に到着。
指宿まで乗ってきた指宿枕崎線の2両編成の列車。よくゆれた。
宿の食事は最高。出てきたときびっくりした。これは「かまくら」のなかに刺身。ほかに出てくる料理の器も有田焼だそうです。/font>
小見川へら研の1月例会が、千葉県旭市の長熊釣堀センターの3号桟橋、南向きで行われました。時折、冷たい風が吹いて水面が見ずらくなる場面もありましたが、全体的には静かな1日でした。釣果も静かで、皆さん大苦戦。釣堀のお客さんも、多かったためかもしれません。優勝は9尺の宙釣りで、14.6kg。2位は13.3kg。3位が10.9kgでした。なかなか魚信が出ない中、段底の人、長い竿で底釣りの人、宙釣りの人など、それぞれ得意な釣り方で、ポツポツ拾っていった感じです。