概要:本会議で中期財政計画等々質疑。政治家の責任が明確に示されない現代の社会、政治への関心が低くなるのも理解できてしまいます。
解説)3月9日(月)、朝ほんの少し会社に出た後、早々に議会へ。昨日は9時30分~【代表者会】、10時~市議会定例議会にて『中期財政計画』(例年の向こう5年間に加えて今年はプラス5年の財政運営の見通し)、『定員適正化計画』(公務員さんの人数と人件費のあり方と状況、見通し)、『第4次行政改革大綱(延長版)』(高砂市行政が取り組む様々な改革)について本会議場にて質疑が行われました。
よく「高砂市の財政は厳しいのか?」と聞かれます。「厳しい」とお応えしますが、難しいのは民間企業だと赤字、黒字で明確に答えが出てくるのですが、行政の場合は利益という概念がありませんので、何をもって「厳しい」「厳しくない」をいうのか?
当然、必然的に必要な社会保障費や人件費、施設の維持管理等に必要な必須経費で歳入を上回ってしまった場合は論外に「厳しい」と結論付けることが出来ますが、そうでない場合はどう判断するのがいいのか?
漸くその考え方に1つの指針が見つかりました。
その答えは「必要なタイミングで必要な事業が出来る財政状況にあるか?」これだと思います。
昨日、本会議にてこの質問をし、登幸人市長より「今はその状況にない。中学校給食や、、、、等、やりたいことができていない」とのご返事。
誰の責任でこうなっていったのか?首長?議員?市民?
凄く不思議に思うのは、国が1000兆円の借金をしたことは意図した事ではなく、「この時だけ」のカンフル剤(借金をして公共事業等を実施)として使用した結果であるもに関わらず、意図した方向に行っていない結果にも誰も「私の責任です」と語ったことがないこと。
「それが選挙じゃかいか!」と言われそうですが、そうでもない様な気がするだけに、、、。
あらゆることについて”今後”は語るが、結果への責任は語ることのない政治の世界。これでは世間、社会、若者が本気で関心を持たないのも分かる気がしてしまいます。
このままでは駄目です。(じゃあ、自分はどう出来るの?と聞かれて答えを持ち合わせていないのは情けないです)
本日は代表質問、4番目14時~です。「この高砂でどうやって夢を持つのでしょうか?」から質問を始めます。