阪神電車の車内釣りに、嵐山へ!と言う広告がでて、阪神・阪急フリ-キップの紹介がされてるんですが、もみじがとても鮮やかで… 目を引くんですよ。
(フリ-キップ=10月18日に載せたきっぷです)
両社の統合効果で、「阪神沿線の人も梅田乗換えで阪急嵐山へ行こう」という狙いの車内釣りですね。
阪急電車のほうも、↓もみじのヘッドマ-ク付けて快走してます。 ホント嵐山へは10月22日に行きましたけど、近々もう一度行ってみるつもりです。

↑ 11月4日 阪急神戸線 梅田行き普通
(フリ-キップ=10月18日に載せたきっぷです)
両社の統合効果で、「阪神沿線の人も梅田乗換えで阪急嵐山へ行こう」という狙いの車内釣りですね。
阪急電車のほうも、↓もみじのヘッドマ-ク付けて快走してます。 ホント嵐山へは10月22日に行きましたけど、近々もう一度行ってみるつもりです。

↑ 11月4日 阪急神戸線 梅田行き普通
学生時代、社会人になってからも阪急、豊中、箕面に住んでいましたのでもうそれは毎日のように阪急に乗ってました。
神奈川に家が移ってからも、同僚と大阪に出張し、上司が先に帰るからといって帰ると、それこそあの梅田ターミナルから夜の阪急の発着光景を悦に入って眺めて柱にたたずみ物思いにふけったり電車に乗りました。開放感でいっぱい、その上阪急に乗れるのですから。
その頃恋人がいて阪急神戸線、僕は宝塚線ですからここで手を振って分かれました。
「さよならと振り返り手を振りし人、心の中に今も住んでる」
いやこんなことまでお話し、でも阪急線は最高の思い出なんです
沢山の写真から阪急電車の想い出につながりました
素晴らしい写真をまた見せてくださいね
神戸線の恋人のお話までお聞かせ下さり、ありがとうございます。梅田駅でのその当時の光景が目に浮かんできます。
それほどひきつける魅力があるようで、正直阪急に魅力を感じ、大阪梅田の阪急ショップでビデオを買い阪急のPCシュミレーションを買い、なかなかいけないので宝塚線のビデオで満足しています。
それでも飽き足らず今公開してこの間みていただいたCGが8000系1車しかありませんが、また、今度は梅田ターミナル、箕面線を再現したいと思っています。
なぜか、あの3線9ホームに立つともう体全体がぞくぞく震えるのです。都会的でヨーロッパを思わせる近代的な大ターミナルと大きなエスカレーター、広い構内、何もかもすべてが気に入っています
夕暮れ、夜にずらりと阪急電車が並び、赤いテールライトと暖かそうな車内の照明。一時間くらい見とれています。
東京でひとつだけ風情のある東武浅草駅には時々行きますが。私鉄ターミナルは関西に限ります。
こういう満足感を与えてくれる関西に住んでおられる方って本当にうらやましいです。
ありがとうございました
でも私にとっての阪急梅田駅は、今の近代的な大タ-ミナルではなくて、40年以上前の、あの阪急百貨店の下から出て行く阪急電車の終点の梅田駅なんですよ。
昭和48年に最終の京都線が今のタ-ミナル駅の位置に変わって工事が終了したのですが、昭和42年以前には国鉄大阪駅のガ-ドの南側まで来ていた梅田終点が私にとっての阪急梅田駅なんですよ。昭和41年が中学1年生でしたから随分昔の思い出になるのですが、今でも鮮明に光景が思い出されます。当時も9番線までありましたが、確か9番ホ-ムは短くて神戸線が6~9の4線を、3~5の3線を宝塚線が使い、京都線は1~2番線しかなかったように記憶しています。京都線は一部十三折り返し線を利用していて2線でOKだったものと思います。
なんか横槍的な単なる私の思い出投稿となり申し訳ないです。
電車も京都線が1000、かってのデイ100?新京阪といわれた頃走行していたリベットを打った大型車で、宝塚線は中型車500、600そしてしばらくして高性能車のさきがけの1000、2ドア車、後に3ドア車、神戸線は700が多く、路線ごとに特徴のある車両が走行していました。
高架線で国鉄ガードをくぐるために線路が降りてきて、先端ホームに立っていると京都線大型車が高架線から急に地平ホームに入ってくる光景が今でも目に焼きついています。
現在の梅田ターミナルは広大で外国のターミナルを思わせますね。