武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

2470. ポルティマオンの町角

2021-06-05 14:29:49 | ポルトガル淡彩スケッチ

2021年6月5日(土曜日)快晴。26℃-28℃~15℃-12℃。降水確率0%。湿度80%(7:51)36%(14:20)。紫外線量9。北のち北西の微風。

昨夜マドリッドで観客有りで行われたポルトガル選抜対スペイン選抜の試合は得点が入らず引き分け。

『きょうのニュース』リスボンなど10の自治体で感染リスク。きょう1日で7万2000人がワクチン接種。4月23日からは83万3000人。TAPの解雇問題。トマールでPAN党大会アンドレ・シルバ体制で確認。コーヒーの効能。FCポルトのセルジオ・コンセイサォン監督は2024年まで続投。

『COVID-19』によるポルトガル24時間の死者は3人、感染は573人、入院は2人減り265人、重篤は2人減り51人。

『昨夜の映画』は

ハンズ・オブ・ストーン』(Hands of Stone)2016年。アメリカとパナマで製作された伝記映画。111分。監督:ジョナサン・ヤクボウィッツ英語版)。パナマのスラム街で生まれ育ったロベルト・デュラン(エドガー・ラミレス)は、養父であるカフランから生きる術を叩き込まれていた。成長したデュランは地元のボクシングジムに通うようになった。クイノネスの指導の下、デュランはめきめきと腕を上達させていった。 16歳でプロボクサーデビューを果たして以降、連戦連勝を続けるデュランに目を留めた人物がいた。アメリカのボクシング界で輝かしい業績を収めたトレーナー、レイ・アーセル(ロバート・デ・ニーロ)であった。アーセルは1953年に暴行事件に巻き込まれて以降、ボクシングへの情熱を失い引退状態にあったが、デュランのファイトを見て、再びトレーナーとして活動する闘志が湧いてきたのだった。アーセルの指導を受けたデュランはますますパンチの鋭さを増し、向かうところ敵なしの状態に至った。また、後に妻となるフェリシダード・イグレシアス(アナ・デ・アルマス)と出会ったのもこの時期であった。 1980年、デュランは2階級上のチャンピオンであるシュガー・レイ・レナード(アッシャー・レイモンド四世)に挑戦する意向を表明した。この決断が順風満帆だったデュランのキャリアを大きく揺るがせることになろうとは、誰も予測できなかった。 (Wikipediaより)

油彩No.232.

「ポルトガル淡彩スケッチサムネイルもくじ」

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