28.
2月に入った。寒さが最も厳しいこの時季を、漢方薬とカイロでうまく乗り切りたかった。手術以来この方煩わされていた夜間の頻尿が、10ヶ月経った今頃ようやく改善してきたのは、厳寒の時季だけにとても助かった。自律神経の乱れが治ったのかもしれないが、八味地黄丸のお蔭でもあるかもしれない。ただ、一時期和らいだかに見えた左上腕の痛みは、完全にはとれないでいた。
息子が20歳を迎えておめでたいはずの月半ば、義母から久々に電話があった。この日の義母はいつもの落ち着きがなく、一気呵成に義父の起こした事件についてまくしたてた。なんでも、出先で場所がわからなくなり、とんでもない所まで歩いて行った挙句、怪我をして救急車で運ばれた由…さらに、その何日か後、昼夜の区別が全くつかずにまた事件を起こしたと言うではないか…。以前から少しずつ呆けてきてはいたが、老化のせいだろうと思っていた、でも今回はどう考えてもおかしい、認知症ではないかと思う、どうしたらいいだろうか、病院に連れて行きたいが何科にかかったらいいだろうか……。賢く、我慢強く、人には頼らない義母が、珍しくとり乱してそう言うのだった。
がんに関することならともかく、認知症への知識はおろか、心構えや準備さえもまだ持ち合わせていなかった私は、やはりうろたえてしまった。ここでまたヨガのS先生の話を思い出した。先生からここ何年か実母の認知症で苦労している話をときどき聞いていたのだ。とにかく、S先生や同級生の医師たちに訊いてみる、ネットでも調べてみる、と言って義母を元気づけるしかなかった。
「心配かけてごめんなさいねぇ。でも、あなただけが頼りだから…」と、彼女にしては珍しく弱気だった。そう、子供が一人だけの義母にとって、嫁は私だけなのだ。そして最後につけ加えた。「心配かけたくないから、K夫(:夫の名)にはまだ知らせないでおいてほしいの…インドネシアで大変だろうから…」 赴任以来咳が止まらずにいる夫には、私も悪い知らせを伝えたくはなかった。その義母には、私の病気のことは知らせていなかった。
義父の話を聞いた2日後、今度は息子が運転中に他の車と接触事故を起こした。人身事故には至らなかったし、先方の車がごくごく軽い傷ですんだのは不幸中の幸いだったが、事故直後に一報を受けたときは、えらく肝を冷やした。
さらにそれから1週間後、実家の母から連絡があった。「あなたに相談があるんだけど…」の改まった口調に嫌な予感が走っていると、「胃がんの疑いがあるって言われたのよ…」 遂に来るときが来たかと思った。でも、落ち着いてよくよく話を聞いてみると、ごく初期の段階らしく、たとえ手術することになっても内視鏡手術ですむ可能性が高いことがわかった。なんとか気をとり直していると、母もまた最後に言った。「まだはっきりしないから、お父様(:私の父)には言わないでおいてくれる?」 当然のことながら、いまだもって、私は母にも病気をひた隠していた。
いきなり大きな事件が立て続けに起こり、夫が不在である上、口止めもされたりで、私は一人ですべてを抱えこむことになった。甥っ子が大学受験の佳境を迎えているので、妹にもあまり負担はかけたくなかった。認知症や胃がんについて調べたり、息子に事故の事後処理をさせたりしているうちに、気づくと私はいつしか精神的に落ち込んでいった。折しも、トリノオリンピックで巷は賑やかだった。
2月に入った。寒さが最も厳しいこの時季を、漢方薬とカイロでうまく乗り切りたかった。手術以来この方煩わされていた夜間の頻尿が、10ヶ月経った今頃ようやく改善してきたのは、厳寒の時季だけにとても助かった。自律神経の乱れが治ったのかもしれないが、八味地黄丸のお蔭でもあるかもしれない。ただ、一時期和らいだかに見えた左上腕の痛みは、完全にはとれないでいた。
息子が20歳を迎えておめでたいはずの月半ば、義母から久々に電話があった。この日の義母はいつもの落ち着きがなく、一気呵成に義父の起こした事件についてまくしたてた。なんでも、出先で場所がわからなくなり、とんでもない所まで歩いて行った挙句、怪我をして救急車で運ばれた由…さらに、その何日か後、昼夜の区別が全くつかずにまた事件を起こしたと言うではないか…。以前から少しずつ呆けてきてはいたが、老化のせいだろうと思っていた、でも今回はどう考えてもおかしい、認知症ではないかと思う、どうしたらいいだろうか、病院に連れて行きたいが何科にかかったらいいだろうか……。賢く、我慢強く、人には頼らない義母が、珍しくとり乱してそう言うのだった。
がんに関することならともかく、認知症への知識はおろか、心構えや準備さえもまだ持ち合わせていなかった私は、やはりうろたえてしまった。ここでまたヨガのS先生の話を思い出した。先生からここ何年か実母の認知症で苦労している話をときどき聞いていたのだ。とにかく、S先生や同級生の医師たちに訊いてみる、ネットでも調べてみる、と言って義母を元気づけるしかなかった。
「心配かけてごめんなさいねぇ。でも、あなただけが頼りだから…」と、彼女にしては珍しく弱気だった。そう、子供が一人だけの義母にとって、嫁は私だけなのだ。そして最後につけ加えた。「心配かけたくないから、K夫(:夫の名)にはまだ知らせないでおいてほしいの…インドネシアで大変だろうから…」 赴任以来咳が止まらずにいる夫には、私も悪い知らせを伝えたくはなかった。その義母には、私の病気のことは知らせていなかった。
義父の話を聞いた2日後、今度は息子が運転中に他の車と接触事故を起こした。人身事故には至らなかったし、先方の車がごくごく軽い傷ですんだのは不幸中の幸いだったが、事故直後に一報を受けたときは、えらく肝を冷やした。
さらにそれから1週間後、実家の母から連絡があった。「あなたに相談があるんだけど…」の改まった口調に嫌な予感が走っていると、「胃がんの疑いがあるって言われたのよ…」 遂に来るときが来たかと思った。でも、落ち着いてよくよく話を聞いてみると、ごく初期の段階らしく、たとえ手術することになっても内視鏡手術ですむ可能性が高いことがわかった。なんとか気をとり直していると、母もまた最後に言った。「まだはっきりしないから、お父様(:私の父)には言わないでおいてくれる?」 当然のことながら、いまだもって、私は母にも病気をひた隠していた。
いきなり大きな事件が立て続けに起こり、夫が不在である上、口止めもされたりで、私は一人ですべてを抱えこむことになった。甥っ子が大学受験の佳境を迎えているので、妹にもあまり負担はかけたくなかった。認知症や胃がんについて調べたり、息子に事故の事後処理をさせたりしているうちに、気づくと私はいつしか精神的に落ち込んでいった。折しも、トリノオリンピックで巷は賑やかだった。
takuetsuさんのブログはあまりにリアルに書かれているので、まさに進行中の出来事であるかのように錯覚します。印象深い出来事について書かれているので詳細に覚えていらっしゃるのでしょうが、優れた記憶力に感心します。自分の記憶力のなさを痛感しているので、記憶力の良い方をいつも尊敬しています。
ブログの書き方でもうひとつ感心するのは、1回1回が読みきりではなく、次号へ続く期待を持たせて書いてあるところです(さすがに本を出版されている「作家」ということが納得されます)。この難局にtakuetsuさんがどのように対処されたのか、続きに興味が湧きます(不幸な出来事にこういう表現をするのは不謹慎で申し訳ありませんm(_ _)m)。
ですから、この「過去を掘り起こす」作業がしんどくなったり、めんどくさくなったりするときもあり(実際、しんどかったときのことを思い出すと、今またしんどくなるような錯覚を起こすことがあります)、「いつまでこんなことやってるんだ!」と自分で思うときもあるのですが、次に進むステップとして過去をきちんと清算すると申しますか、自分にとってそれらの出来事が何を意味したのかを踏まえることで次に進めるような気がしているので、最後までやり遂げようとは思っています。
ですので、だちょうさんのこうした身に余る賛辞は、何よりの励みになりますし、半分苦しみながらも書いてきてよかったと思えます。本当にありがとう......。