えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...
ありのままに、ユーモラスに......♪

第5章 放射線治療 1.

2007年06月25日 | 乳がん闘病記

 

【お断り】(2017.9.1追記)
 この闘病記は12年前の闘病の記録です。
 したがって、現在厚労省の定める乳がんの標準治療は、当時と一部異なっています。治療についての最新情報は、
 「日本乳癌学会」「国立がん研究センター」乳がん情報など、信頼できる情報源を参考にすることをお奨めします。

 

お断り:この闘病記は2年前にさかのぼって記しております。現時点で進行しているのは、2005年4月の段階での話です。 (現在は女性ホルモンを抑える治療を続けており、今のところ再発や転移の兆候はありません。ご安心ください。)


第5章 放射線治療

1. 
 2005年4月10日。親友Aさんの誕生日だ。病院からカードを送っておいたので、すでに届いているだろう。
 この日も空は晴れ渡っていた。退院したときと同じように、青い空がまぶし過ぎて、心がチクチク突き刺されるような気がした。告知を受けて以来当面の最大の山場だった手術を終えたことで、怒涛の日々の緊張が解け、疲れが出たのだろう。また、病理検査の結果を待つ期間、落ち着かないからかもしれない。最初の山を越えたことで、次なる山が見えてきてしまったということか…。とにかく、退院してほっとしたと同時に、心にぽっかり穴が空いたような状態になっていた。

 庭に出ると、主の不在で放っておかれたはずの花々は力強く芽吹き、1週間で庭は様変わりしていた。花ガラ摘みをするだけでも癒され、そうするうちになぜかとても桜が見たくなってしまった。病院の窓から見ていた桜だけを記憶に留めるのは、淋しく切なかったからかもしれない。ちょうど日曜日だったので、夫にドライブするように頼み、気の向くまま走らせてもらった。桜が見られれば行き先はどこでもよかった。

 なりゆきで着いた所は、神奈川県津久井湖のそばにある城山公園*。夫も私も初めて訪れる場所だった。車を降り、城山ダムの周りの散策路を少し歩いてみることにした。短時間なら体にも負担にはならないだろうから、行けるところまで行って引き返すつもりだった。
 こじんまりとしたダムは蒼い水を穏やかにたたえ、散在する桜を淡く水面(みなも)に映していた。散策する人は少なく、鳥のさえずりと人の足音が静謐をときおりさえぎるだけだ。時は静かに過ぎていき、それにつれて私の心も鎮まっていった。

 写真を撮りながらゆっくり歩いていると、いつのまにか半周以上来てしまったようだ。患部がじんわりと疼痛を訴え、左脇から腕が少し重い感じではあったが、歩くには支障なかったし、歩いていれば忘れてしまう程度だった。足腰が少しなまったようだが、じきに元に戻るだろう。やはり内臓の手術より体への負担がずっと軽くすんだのだろうと思う。X先生が回診のとき「マンマは早いなぁ」と言ったことを思い出す。改めて、早期発見し、乳房もリンパ節も残すことができたことに感謝した。

 * http://www.kanagawa-park.or.jp/kenritu/12tukui/12tukuiko.htm


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