えつこのマンマダイアリー

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第6章 ホルモン療法 18.

2007年09月22日 | 乳がん闘病記
18.
 2005年10月21日。術後6ヶ月目の定期検診の結果を聞きに行く。胸部のCT検査と血液検査の結果、胸はもちろんのこと、肺にも肝臓にも問題はなく、腫瘍マーカー、総コレステロール、骨密度にも問題ないと言われ、安心する。Y先生は、「これくらいの時期はまだ安心なんですよね。補助治療が効いていますからね」と言った。そういえば、2年から3年目辺りが再発の最初の山だと書物にあった。「センチネルリンパ節の郭清した上の部分の腫れが一番心配されるところなんですが、それもなく、問題ないと思います」とも言う。血液の状態も少しずつだが改善してきていた。

 こうして、自らはまった迷路からサイモントン療法によって抜け出し、半年目の検診も無事クリアしたが、その頃から年末にかけて、今度は肉体的な副作用に次々と悩まされることになる。それらは、前章で述べた放射線照射の晩期障害*とあいまって私を襲った。

 まずは、例の、入院中に端を発した夜中の頻尿だ。術後半年以上経っても、夜中に2~3時間おきに起きるリズムから抜け出せず、熟睡感が得られないでいた。退院直後は、入院中のストレスや緊張により交感神経の緊張状態が続いているのが原因だろうと勝手に解釈していたので、じきに元に戻るだろうと楽観していたのだが、半年以上続くとはいくらなんでも長すぎるではないか…。Y先生に尋ねてみると、「自律神経が乱れているのかもしれませんね」と言われた。

 次に、もともとの冷え性が、ホルモン療法が進むにつれて加速され、腰痛が頻発するようになった。くだんの6ヶ月目の検診も、本来は10月の初めに予約していたにもかかわらず、ぎっくり腰で延期を余儀なくされたのだ。このしつこい腰痛には手を焼いてしまった。腰は読んで字のごとく、体の要だ。腰が安定しないばかりか、しょっちゅう痛みを発していると、生活に支障が出るだけではなく、根気も集中力もなくなってしまうのだ。それだけではなく、坐骨神経痛かと思われる痛みを一時的に感じることもあった。

 それから、季節的な症状とは別に、急速に皮膚が乾燥して顔に小じわが増え、毛髪も細く腰がなくなるのを感じた。ひいては、体の表面だけではなく、体全体の細胞がパサパサしている感覚に襲われるようにもなった。Bさんがホルモン療法中の2年間は「体の中心が乾く感じがした」と再三言っていたが、その感覚と似ているのではないだろうか。体中の筋肉の潤滑油が減ってギクシャクし、筋肉や関節が硬くなるのがよくわかった。毎日のようにストレッチ体操をしているので、その変化が敏感に感じとられたのだ。腰痛は冷えだけでなくこのこととも関係があるかもしれないと思った。また、放射線照射の晩期障害とみられる術側の脇や上腕の筋肉のツレも、これとの相乗作用だったかもしれない。

 これらの窮状を訴えるためにY先生の診療予約を入れようとしたが、混んでいて年内はとれないと受付で言われてしまった。仕方なく、先生には手紙で予め伝えておくことにし、自分で応急的に対処するより他なかった。思いつくことはなんでもしてみた。もともと服用しているビタミン剤やサプリメントの量を匙加減する他、妹からもらったロイヤルゼリーを試したり、足湯を試みたりした。術側の脇には、整体師のS先生が手術前に伝授してくれたストレッチや蒸しタオルを試みたが、改善ははかばかしくなかった。11月から腰に当て始めたカイロは、なんと翌年のゴールデンウィーク頃まで離せないことになってしまう。


 * 過去記事:第5章 放射線治療 34.を参照してください。

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