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えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...
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第3章 セカンドオピニオン 11.

2007年05月27日 | 乳がん闘病記
11. 
 2005年3月29日。Nクリニックに行った翌朝、私はN医科大学付属病院に電話した。その日までに治療を受けるかどうかの返事をする約束だったし、借りた資料も戻さなければならなかった。

 Y先生に指定された時刻に行き、少し馴染みのできた外科の待合室で待っていた。前2回の診療のときとは、だいぶ気持ちが違っていた。治療の方向が見え、Y先生にすべてを託す心づもりができていたので、不安も緊張もほとんどなかった。あとはN先生とのカンファレンスで課題として上がったことやこの前聞きそびれたことを、Y先生に確認すればよいだけだ。

 患者が1人減り2人減り…15時近くになって、残るは私だけだった。午前の診療の最後なのだろう。だいぶ耳に馴染んだY先生の明朗な第一声を聞いたとき、私は内心で快哉を上げていた。なぜなら、名前のコールの前に「お待たせしました」がついていたからだ。今まで呼ばれた患者の誰にも、この「お待たせしました」はついていなかったのだ。ラブレターの効果があったのだと我田引水していた。自分の愚か加減に呆れながら、元気に第3診察室の扉を開けた。

 Y先生は、開口一番「大変お待たせしてすみませんでした。ゆっくりお話しできるように、午前の最後にさせていただきました」と言った。―あれ? ラブレターの効果じゃなくて、私が居すわることを見越してだったの? ま、なんでもいっか…― 「お手紙を拝見しました。わざわざありがとうございました。お返事も出さずに申し訳ありません」と言ってくれる。なんだか逆に恐縮した。

 まず資料を返すと、先生は待ちかねたように訊いてくる。「いかがでしたか? N先生はなんとおっしゃってましたか?」 私は結論を伝えた。「後日N先生からY先生に直接連絡があると思います。とにかくY先生に治療していただくことに決めました。どうぞよろしくお願いいたします」と。すると、Y先生の全身に喜びと安堵感が漂った。患者が第三者のセカンドオピニオンを経て熟慮の上、自分の治療を選んだとなれば、医師としてもやはり嬉しいのだろう。今日のカンファレンスはうまくいきそうだと思った。

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