えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...
ありのままに、ユーモラスに......♪

第5章 放射線治療 6.

2007年06月30日 | 乳がん闘病記
6.
 退院後1週間は、娘に家事を手伝ってもらいながら無理をせず、少しずつ生活を日常に戻していった。術側のリハビリはもちろん、自力整体の体操も怠らなかった。夜中に2度も3度もトイレに起きる入院中のリズムがいまだ続いてはいたが、じきに治るだろうと楽観していた。

 そうして体は着実に回復しつつあるように見えたが、心に空いた穴はなかなかふさがりそうになかった。本来なら手術と同様に、あるいはそれ以上に重要な補助療法がこれから待っているというのに、気が抜けたままで力が湧かなかった。補助療法について勉強しておきたかったが、体が動かなかった。そして、退院後2度目の週末も、夫にドライブに連れ出してもらった。やはり、自然に癒してもらおうとしていたのだろう。

 でも、そんな自分と向き合い、受け入れようとする過程で、別の自分の声がどこからか聞こえてくるような気がした。「1ヶ月めいっぱいがんばったんだから、腑抜けになっても当たり前。ひと休みしてもいいのよ」という…。
 そういえば、手術の前に夫の海外赴任を巡って口論したときも、素直になれず、意地を張り通したっけ。弱音を吐いてしまえば楽になったかもしれないのに、できなかったのだ。今にして思えば、一旦夫の胸にすがり、泣いてしまったら、牙城が崩れてしまうような気がして怖かったのではないだろうか。一度人に頼ってしまったら、自分の足で、気持ちで、病気に立ち向かえなくなるような不安があったのではないだろうか…。
 今こうして力が抜けたままなのは、別の自分がそうさせているような気がしたのだ。山を一つ越えたことで、「もう意地を張らなくても大丈夫よ…自分に素直になって、弱音を吐いてもいいのよ…」と、別の自分がささやいているのかもしれなかった。

 そしてある日、告知後初めて、夫の胸の中で泣いた。泣いたというより、自分の衝動の赴くまま夫の胸にすがったら、体中の力が抜けておいおいと泣いてしまったのだ。「こんなことになってごめんね…」と言うと、夫は「いいんだよ…えつが悪いわけじゃないんだから…」と言いながら、ずっと背中を撫でてくれた。
 すると、どうだろう…山の地下水が少しずつ染み出て集まり、細い流れとなるように、体の隅々から水分が染み出し集まってきて、涙として湧き出てくるような、そんな感覚を味わった。涙が体中の不純物をも集めて洗い流してくれるような、清らかで爽やかな感覚だった。気のすむまでそうしていたら、すべての胸のつかえが一気に下りたようですっきりし、癒されているのがよくわかった。母親の胎内にいるときに、胎児はこういう感覚を抱いているのではないかと思うような、深く大きな安堵感で体中が満たされていた。

 自分にはこんなに安らぐことのできる場所があったのだと思うと、本当に嬉しかった。そして、やはり意地を張らずに、もっと早くからこうすればよかった、甘えればよかったと思った。夫の海外赴任の時期が先延ばしになり、せっかくそばにいてもらえたというのに…こうしてほしかったがために、そばにいてもらいたかったのではないのか…。
 でも、きっとそれは、山を一つ越えた今だからこそ、できることであったに違いない……。

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