
前回記事でこうお伝えしました。改憲に向けて着々と歩む安倍政権と、それに連動するかのごとく見えるメディアの動きに、大きな危機感を抱く国民の一人として、手許にある「平和百人一首」の拙ブログでの普及を思い立ったと。(前回から少し間が空いたので、再度くだんの初回記事をご高覧くださると嬉しいです。)
さらにこの間に、アルジェリアで10名もの日本人がテロの犠牲となり、安倍政権の改憲への動きに拍車がかかりそうな気配ですね。まずは自衛隊法の改正から手をつけるのでしょう。
この「平和百人一首」については、絵本『百のうた 千の想い 甦る平和百人一首』(大竹桂子 編 稲田善樹 絵 トップ画像↑)として復刻版が出版された2008年に、一度ここで紹介しました。解説はそちらに譲るので、ぜひこちらをご参照ください。
昭和24年に23,000首余りの応募から選ばれた100首には、戦後の混乱や困窮の生活の中で、戦争で多くのものを失った哀しみとともに、戦争がないというだけで「足るを知る」喜びを感じて暮らしていた当時の国民の姿が、浮き彫りになっています。
入選者の一人だった星野せいさんは、一男四女5人の子どもたちそれぞれに、この「平和百人一首」を手作りのカルタとして残しました。取り札と読み札とで200枚、合計1000枚にも及びます。紙の調達にも苦心したようです。
その次女の登き子さんがとりわけそのカルタを大事にし、正月に集まる彼女のお子さんたちがカルタを取り終えるまでは、家に帰さなかったとか。そのお子さんの一人である大竹さんの奥様が、くだんの復刻版絵本を編んだ大竹桂子さん、というわけです。もちろん大竹家でも、このカルタ取りの慣習は孫世代まで続いているそうです。
つまり、詠み手だった星野せいさん→娘の登き子さん→孫の大竹さんご夫妻→ひ孫さんたち→玄孫さんたち...と、すでに5世代に亘って引き継がれているのです。
さらに、大竹桂子さんは、復刻版絵本を上梓した後に発見された作者たちの解説文を、冊子『平和の歌』(トップ画像↑)にまとめ、非売品として昨年出版しました。
ただのカルタがここまで取り継がれるでしょうか? ただの平和の歌がここまで読み継がれるでしょうか? そうではないと、この100首を知っている私は思います。作者たちと編者の“平和への想い”が、歌とともに世代を超えて引き継がれてきたということではないでしょうか。
さらにさらに、この歌とそれに込められた想いを自分のブログで紹介しようとしている赤の他人の私とて、誰に頼まれたわけでも強いられたわけでもなく、義務感からでもなく、湧き出る想いからそうしようとしているのです。この絵本と冊子を手にするとき、ひしひしと伝わってくる想い...作者たち・当時の編者・絵本の編者・絵本の画家・冊子の編者と、関わってきたすべての人たちの平和への感謝や願いや熱い想いが、私を突き動かしているのでしょう。非売品である冊子を一人でも多くの人の目に触れさせてあげたい...という衝動に、私を駆り立てるのです。
私の申し上げようとしていることは、実際に歌とその解説を読んでいただければ、すぐに伝わると思います。
ですが、最初の歌を紹介する前に、まだ前置きがございまして...
序文として書かれている編者、小神野藤花さんの言葉をまず引用します(ご子息にご了承いただいています):
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歌は叫びであり、生命のあらはれであるという。
人類永遠の理想である平和国家として生れ変わつた祖国日本を、久遠の楽土と築き上げんとする我々が平和への情熱のあふるることは必然であり、その情熱を一片の詩に託して歌い上げることも亦、やむにやまれぬ真心であろう。
本書に収むるもの、或は国輝けと祈り、平和なる世に生ける幸に感じ、働くことの喜びをうたい、よみがへる春を謳歌し、或は還り来れるなつかしさに祖国の再建を誓い次世代を背負ひ立つ子を清く育し立てんと叫ぶ等々、全土を通じて湧きあがる平和への讃歌に接し、強く胸打たれるものがある。
この情熱に耳を傾けられ、祖国永遠の平和を共に打立てるべく努力を捧げられんことを。
昭和24年 終戦記念日
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次に、冊子『平和の歌』を昨年まとめられたとき、大竹桂子さんが付された文章を引用します(ご本人にご了承いただいています):
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平和の大切さを、伝えなければいけない
癌と闘う夫を支える日々が続いている。私も若くはない、「もし、人生最後にしておかなければならないものがあるとしたら?」と考えたとき、「平和の歌」を遺すことだと思った。
5年前の新緑の5月、祖母・星野せいが手造りのカルタで伝えた平和百人一首に、画家・稲田善樹さんの百枚の絵を添えて『百のうた 千の想い』(てらいんく)を編んだ。
平和百人一首は、昭和23年に「平和の鐘楼建立会」が全国から募集したものだ。うたには戦後の何もない貧しい日本で、希望を持って生きた日本人の純粋な魂が宿っている。活き活きとした庶民の息吹が伝わってきて感動する。その背後には、辛くて長い戦争があり、その傷跡が深く濃く刻まれている。平和百人一首を詠んだ人たちが、うたを詠んだ心境を綴ったのが『平和の歌』で、戦後を生きた庶民のひとつの歴史が浮かびあがってくる。
編者は、小神野藤花、つくば市在住のご子息・藤雄氏のご承諾をいただき、再版することができた。本には藤花の平和に対する並々ならぬ思いがこめられている。
昨年3月、東日本大震災が起こり、原発事故では甚大な被害がでた。こんな時代だからこそ「百のうた」に触れ、『平和の歌』を紐解いて「命の大切さ」と「平和を守ること」を、後の世に語り継いでいかなければならないと考えている。
平成24年5月5日
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残念なことに、大竹さんは闘病の末、昨夏亡くなってしまいました。病の床で最期まで、「平和百人一首」をとても大切になさっていたそうです。桂子夫人が上の句をうたうと、下の句を口ずさんでいたとか...平和の歌をうたっているそのときは、穏やかな表情だったそうです。
最期まで、おばあさまの平和への想いを抱きながら、かみ締めながら亡くなった大竹さんのご冥福をお祈りしつつ、『平和の歌』を一首ずつ紐解きたいと思います。
前段が長くなって申し訳ありませんが、長くなったので本編は次回から始めますm(__)m