16.
こうして、原点に戻って自分の病気、自分の体に向き合うことができるようになった私は、それまで気づかなかったことに気づくことができたり、振り回されていた事柄について発想を転換できるようになったりした。
病気の原因については、福田氏の「乳がんの予防はむずかしい、遺伝子変化の予測は不可能」という言葉に同意し、ひいては病気になった自分をも肯定したい気持ちが強かった自分の心理に気づいた。問題を直視したくない患者としての心理が働いていたのだろう。でも、患者としては辛いことだが、「がんの原因は自分の体の中にある」という安保氏の考え方に軍配を上げ、がんと正面から向き合うべきだと思い始めたのだ。そうして落ち着いて考えてみると、危険因子として西洋医学的に挙げられるものには思い当たらなかったが、食生活や考え方の癖など、細かいことで思い当たることがないわけではないことに気づき、それを改善してみようと思えるようになった。
それでもなお、「乳がんの予防はむずかしい、遺伝子変化の予測は不可能」であることが客観的事実の一側面であるとすれば、「原因ばかりに気をとられてくよくよしたり時間を費やしたりするよりも、免疫力を上げることを考えた方がよいのではないだろうか」、そんなふうに発想を転換することができるようになった。
今回の発病で一番ショックだったのは、仕事を辞め、無理のない気楽な生活をしているにもかかわらず、大病をしてしまったことだ。人生まだ半ばというのに、これ以上楽はできないと自分で思うような状況で大病していたら、これからもっと大変な状況になったときに自分はどうなるのだろうと不安になったものだ。そんな軟な自分を認めたくなかったのだろう。
それでも、サイモントン療法の中で、今までの人生の出来事をその折々の思い出や気持ちとともに辿る作業をしてみて、「私はこんなにも一所懸命生きてきたじゃないか」と思えたとき、初めて自分の過去と現実を受け入れられるような気がした。「父親譲りの虚弱な体質で人並みの生活をしてきただけでも、私にとっては大病するほど重労働だったのかもしれない。だとすれば、私はちっとも軟ではないではないか」と初めて考えられるようになったのだ。自分を労わることと甘やかすこととは違うということを、私はこの療法から教わった。
すると、さまざまな精神的な痛みを取り除くには、痛みを相対化するのではなく、がんばれと自らに鞭打つのでもなく、辛いものは辛いと受け入れようと思えるようにもなった。自分を偽って元気なふりをするのをやめよう、苦しいときは誰かに苦しいと伝えよう、と思った。
元気なふりをしてしまうのは、家族や友人に対してだけではない。早く元気になって医師にも喜んでもらいたいと思うのが、患者の自然な心理だ。それが医師との良好な人間関係を作る早道のように思えるのかもしれない。でも、無理をせず、主治医に対しても自然にふるまおうと決めた。
がんの2文字の重みから自分を完全に解放するのには、まだまだ時間がかかりそうだったが、がんになったお蔭で得られた恩恵を、常に意識していこうと考えられるようにもなった。
こうして、原点に戻って自分の病気、自分の体に向き合うことができるようになった私は、それまで気づかなかったことに気づくことができたり、振り回されていた事柄について発想を転換できるようになったりした。
病気の原因については、福田氏の「乳がんの予防はむずかしい、遺伝子変化の予測は不可能」という言葉に同意し、ひいては病気になった自分をも肯定したい気持ちが強かった自分の心理に気づいた。問題を直視したくない患者としての心理が働いていたのだろう。でも、患者としては辛いことだが、「がんの原因は自分の体の中にある」という安保氏の考え方に軍配を上げ、がんと正面から向き合うべきだと思い始めたのだ。そうして落ち着いて考えてみると、危険因子として西洋医学的に挙げられるものには思い当たらなかったが、食生活や考え方の癖など、細かいことで思い当たることがないわけではないことに気づき、それを改善してみようと思えるようになった。
それでもなお、「乳がんの予防はむずかしい、遺伝子変化の予測は不可能」であることが客観的事実の一側面であるとすれば、「原因ばかりに気をとられてくよくよしたり時間を費やしたりするよりも、免疫力を上げることを考えた方がよいのではないだろうか」、そんなふうに発想を転換することができるようになった。
今回の発病で一番ショックだったのは、仕事を辞め、無理のない気楽な生活をしているにもかかわらず、大病をしてしまったことだ。人生まだ半ばというのに、これ以上楽はできないと自分で思うような状況で大病していたら、これからもっと大変な状況になったときに自分はどうなるのだろうと不安になったものだ。そんな軟な自分を認めたくなかったのだろう。
それでも、サイモントン療法の中で、今までの人生の出来事をその折々の思い出や気持ちとともに辿る作業をしてみて、「私はこんなにも一所懸命生きてきたじゃないか」と思えたとき、初めて自分の過去と現実を受け入れられるような気がした。「父親譲りの虚弱な体質で人並みの生活をしてきただけでも、私にとっては大病するほど重労働だったのかもしれない。だとすれば、私はちっとも軟ではないではないか」と初めて考えられるようになったのだ。自分を労わることと甘やかすこととは違うということを、私はこの療法から教わった。
すると、さまざまな精神的な痛みを取り除くには、痛みを相対化するのではなく、がんばれと自らに鞭打つのでもなく、辛いものは辛いと受け入れようと思えるようにもなった。自分を偽って元気なふりをするのをやめよう、苦しいときは誰かに苦しいと伝えよう、と思った。
元気なふりをしてしまうのは、家族や友人に対してだけではない。早く元気になって医師にも喜んでもらいたいと思うのが、患者の自然な心理だ。それが医師との良好な人間関係を作る早道のように思えるのかもしれない。でも、無理をせず、主治医に対しても自然にふるまおうと決めた。
がんの2文字の重みから自分を完全に解放するのには、まだまだ時間がかかりそうだったが、がんになったお蔭で得られた恩恵を、常に意識していこうと考えられるようにもなった。