何のお知らせもなくお休みを続けており、申し訳ありませんm(__)m いつの間にか4月に入り、1週間が過ぎようとしています。
私の自宅から通いやすい老人施設に母を入れてほっとしたのも束の間、母の状態が安定するまで用事やプチ事件が絶えず、なかなか気も手も抜けない日々で、あれやこれやと母関連で時間をとられております。留守宅への対応もあるし、近くなったらなったで、安心と引き換えに仕事が増えるものなのですね(^_^;
また、夜は夜で、春休み中で暇とエネルギーを持て余している孫たち@ドイツとのスカイプに時間をとられまして…。母の介護に疲れた心身を孫に癒してもらえるので、ありがたいことなのですが、ブログ更新にまでなかなか手が回りません。ネタや画像は沢山あるのですが、「今日は記事を書けるかな?」「いや、だめだった…」「今日こそ画像編集できるかな?」「いや、今日もやっぱりだめか…」の繰り返しで、本日に至ってしまいましたm(__)m
でも、その間に、見過ごせない社会問題や政治問題が多々進行しており、気が気ではありません(^_^; そこで、ちょっと頑張って最近の新聞から書き写してみました。お読みくださると嬉しいです。東京新聞朝刊より、3編のコラムを紹介します。
2017年4月2日付東京新聞朝刊掲載の「本音のコラム」欄より
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少数者の覚悟 山口 二郎(法政大教授)
過日、アメリカの大学を訪問した際、菅直人氏が福島原発事故について講演したので参加した。質疑で、日本人留学生が原発事故は日本以外の国にも大きな衝撃を与え、エネルギー政策の転換を促しているのに、日本国内では何事もなかったかのように再稼働が進んでいる。この差はなぜかと質問した。日本全体に対する厳しい問いである。
日本では最近「忖度(そんたく)」という言葉がにわかに注目されている。そこに一つの答えがあると思う。世の中の多数派の意向を慮(おもんぱか)り、先回りしてそれに同調するという心理である。原発再稼働を差し止めた一審判決を覆した高裁の判事も、政府に逆らうなという最高裁の意向を忖度したのだろう。
今まで長く続いた仕組みには既得権が絡みついている。転換を最初に主張するのは少数派である。少数者を圧殺する社会は誤った政策を変えられないまま、破局に向かって転がり落ちていく。
折しも、政府は教育勅語を憲法や教育基本法に反しない範囲で教材にすることは可能だとの見解を示した。「一億一心」で亡国への道を歩んだ経験の根底には、勅語に象徴される権力、権威への従順さを植え付ける教育があった。過去の事実を直視することなく、個人の尊厳を否定する教育が復活しようとしている。
われわれは、多数者の誤りに異を唱える少数者たる覚悟を固めるしかない。
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2017年4月2日付東京新聞朝刊掲載の「時代を読む」欄より
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ソンタクという妖怪 宇野 重規(東京大学教授)
日本政治の中枢に一つの妖怪が徘徊(はいかい)している。その名はソンタクである。この妖怪が現れると、人々は不機嫌な沈黙状態に陥る。何を聞かれても、関係者は「申し上げることはない」、「規則通りやっている」と繰り返すばかりである。とはいえ、誰がどう見ても、何か話すべきことはあるだろうし、規則通りに物事が動いているとは思えない。誰もがおかしいと思いながら、何ごともなかったように時間だけが過ぎていく。
ソンタクと比べるならば、ケンリョクオウボウという名の怪獣は乱暴だが、ある意味でわかりやすい。その怪獣の名前を前に出して、戦っていくしか道はないからだ。これに対しソンタクの場合は、独特な無気力が支配する。人々は低い声でボソボソとしゃべりながら、誰に明確に命令されなくても、自分に「期待されている」はずの役割を粛々と果たすのである。
しかし、ソンタクによってもっとも損なわれるものがあるとしたら、それは政治そのものであろう。政治においては、さまざまな利害がうごめく。とはいえ、だからと言って、腕力のある者の意見ばかりが通るわけでもないし、あらゆることが馴(な)れ合いで決まっていくわけでもない。すべての利害関係者が自分の主張をし、相互に説得を試みて、妥協できるところは妥協し、できないところは場合によっては問題を先送りする。
肝心なのは、政治は議論を通じて行われるということだ。それも密室において、特定の関係者だけで議論をするのではなく、あくまで衆人環視の下で物事を決めるのが政治の本質である。人々は言葉を尽くして自らの主張の正当性を主張し、その代わりに、他人の主張にもきちんと耳を傾けることがその第一歩となる。
ソンタクに取りつかれた政治はその逆だ。多くの人には物事がどこで、どのように決定されるかわからない。それでも「そのようなものなのだろう」という諦めの思いとともに、人々は自分の思いをのみ込む。結果として、政治の舞台からは真剣な主張や説得の試みが見られなくなり、聞こえるのはただ騒がしい騒音や、あるいは真剣にものを言おうとする人間に対する冷笑ばかりとなる。
今回の森友問題がどのような決着を見るかわからない。とはいえ、問題を通じて得られるものは少ないのではないか。普通、どれだけばかげた事件であれ、人々に何らかの教訓を与えてくれるはずである。しかしながら、今回の問題を通じて明らかになったのは、日本政治の中枢にいかに怪しげな人物が集まるかということと、妖怪ソンタクがどれほど日本政治において力を持っているかということくらいである。
世界が不安定化し、とりわけ極東の状況は緊迫の度を増している。欧州では重要な選挙が今後も続く。このような状況で、日本の国の指針を間違えば、取り返しのつかない事態となる。にもかかわらず、日本政治を妖怪ソンタクが支配しているのは異常である。
「どうしようもない」、「他に選択肢がない」という言葉は、ソンタクにとって何よりの好物である。この言葉を安易に口にするとき、妖怪が忍び寄ることを忘れてはならない。これ以上妖怪を跋扈(ばっこ)させないためにも、この二つの言葉は歯を食いしばっても口にすべきではないと思うが、どうだろうか。
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2017年4月1日付東京新聞朝刊掲載の読者投稿欄より
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沈黙より発言 退職後も実行 無職 高畠 修 65(横浜市戸塚区)
1970年に地方の郵便局に就職してから47年、この3月末に退職を迎えた。好きで入った郵便局だったが決して順風満帆ではなく、労働争議で職場を追われたり、東京生活を余儀なくされたりしました。
郵政当局の権利はく奪や差別政策と闘い、所属労組の不正や腐敗も許さないという立場を貫いてきた故の結果です。不本意ですが自らに恥じない生き方に悔いはありません。
これからは地域社会での生活です。「最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である」と米国の故キング牧師は言いました。私も一市民として、平和や人権、環境を守るために声を上げていきたい。共謀罪や原発問題など問題は山積しており沈黙していられません。
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(※いずれの記事も、文中の段落のブロック分けと太字化はブログ管理人によります。)
森友問題に国民の耳目が一気に集中し、国会で連日質疑されはしたものの、問題の本質に迫れない応答の繰り返しで、隔靴掻痒の思いと虚無感が募るばかり…何ともやるせない毎日です。でも、国民がこの問題に気を奪われている間に、自衛隊の日報隠蔽問題など、他の重要な問題がうやむやになったり、忘れられたりしてはなりませんね。この問題については、本日NHKの「クローズアップ現代+」で、「新証言 自衛隊“日報問題”」として続報が取り上げられていたのにはほっとしましたが…。
一方、気になる組織犯罪処罰法改正案(共謀罪法案)は…先に提出された他の法案を優先すべきだと主張する公明党をも尻目に、与党自民党は最優先で国会で審議する構えを見せています。これもまた、これまでと同様、野党や多くの国民の反対を数で押し切り、強引に成立させるのでしょうか? しっかり見守らなくてはいけませんね。高畠氏が引用しているキング牧師の言葉に、思わずハッとさせられました。“見えない敵”にとて、声を上げていきましょう。
長々とご高覧ありがとうございましたm(__)m 次にいつ出てこられるかはわかりませんが、何とかやっておりますのでご安心くださいませ。
自衛隊の隠蔽問題も「忖度」の力学が働いた結果のように思えるtakuetsu@管理人でした。
ご無沙汰してます。
今日の強い風で,桜もかなり散ってるねー
たしかに,虚無感に捉えられるというのは,特に最近ありますね。
いやいやそれではダメだぞと,記事を読んで思いましたよ!ありがとう
今年は桜を長く楽しめましたが、桜のピーク・好天・自分の都合や体調とが合致せず、よい写真を撮ることができませんでした。
でも、日本人にとって桜のある光景は、個々の心象風景になっているものなんだなと、最近息子と話していて思いましたよ。
彼は、宅浪生活を始めた直後に乞田川の桜並木を友人と眺めたときの風景と自分の気持ちが、今までの人生で最も鮮烈に思い出されると。
そして私には、病気の治療でN医大付属病院に入院中に、本館と病棟をつなぐ連絡橋から眺めた桜並木が、とても印象深く残っていると。
今年の桜は、私に何を残したかしら? そんなことを思う日々です。
政治に虚無感を覚えた日々の桜…そんなふうにはしたくないですね(^_^;