9月9・10日と日本協議会の四国ブロックセミナーが開催され、私も3年連続で研修担当という事で参加した。それにしても、私が参加したこの3年、毎回の様に雨が降る。一昨年愛媛県の三机で開催された際には台風が直撃した。昨年の土佐山田では終了後雨の中を谷秦山先生のお墓や山下奉文大将の生家跡などを訪れた。今回は、二日目から雨になり、セミナー終了後に行ったブロック理事会の時には土砂降りになった。
四国ブロックは「維新は四国から」を合言葉に4県の結束が非常に強いブロックである。県民性にはそれぞれ違うものがあるらしいが、それを超えたお互いの連携が素晴らしいと思う。今回は徳島県が担当という事で、鳴門の阿波一の宮「大麻比古神社」の近くの民宿で開催された。近くには、四国霊場1番札所の霊山寺があり、「バルトの楽園」のロケ地もある。
悠仁親王殿下ご誕生の喜び覚めやらぬ中に集った同志たちの中には、幸運にも悠仁親王殿下と同学年の子供を持つ親が二組あった。これから3・4年、悠仁親王殿下と学習院で席を同じくする事が出来る可能性を持つ子供たちが陸続と誕生して来る。昨今の宮内庁役人の尊皇心のかけらもない現状を鑑みる時、殿下のご学友に、尊皇心篤き吾らが同志の子弟が仕え奉る事の意義は大きい。その意味でも、今後「まほろば合宿」「中高生セミナー」が親王殿下の忠臣を生み出す場と是非なってもらいたい。
ブロックセミナーでは、現在の公権力に対し「象徴天皇でしかない」との戦後的体質から「象徴天皇であらせられる」との歴史的日本的体質に変えて行く為の方策論、運動論についても提起した。今回の親王殿下ご誕生奉祝の記帳所設置を見れば、各地の自治体が皇室と国民との絆について如何に考えているかが歴然として見えて来る。女性・女系天皇推進派の宮内庁は、皇位継承権者第3位の親王殿下ご誕辰にもかかわらず、「宮家のお子さんですから」とお祝いの記帳所設置をかたくなに拒否している。今回の親王殿下ご誕生を喜ばれている天皇皇后両陛下や、危険を伴う中でご出産を決意された秋篠宮同妃両殿下のご覚悟とお喜びとが全く解っていないのである。
九州では、わが熊本県を始め福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・鹿児島県の県庁で記帳所が即日設置された。熊本県では事前の日本会議熊本からの要請もあって、全ての市町村役場でも記帳所が設置されている。皇室のご慶事に国民の祝意表明の記帳所を設ける事は慣例となっている。四国でも合宿の前に愛媛県・徳島県で記帳所が設けられていたが、合宿後参加した同志がすぐに行動を起こし、香川県、更には高知県でも記帳所が設置された。正にセミナーの成果であった。
セミナーでは、7月に急逝した利根洋一氏の遺志を如何に受け継いでゆくかも大きな課題であった。特に、高知から駆けつけた同志の面にはその決意がみなぎり、他の3県の同志も高知を助けるために何時でも駆けつけると語っていた。私自身も、高知の日本会議の再建の為に尽力する決意である。合宿の間、研修室の一席が常に空いていた。そこには故利根洋一氏が座って研修を受けていたのだと思う。「生きて死友に負かず」松陰先生のこの言葉が今更強く感じられたセミナーであった。
四国ブロックは「維新は四国から」を合言葉に4県の結束が非常に強いブロックである。県民性にはそれぞれ違うものがあるらしいが、それを超えたお互いの連携が素晴らしいと思う。今回は徳島県が担当という事で、鳴門の阿波一の宮「大麻比古神社」の近くの民宿で開催された。近くには、四国霊場1番札所の霊山寺があり、「バルトの楽園」のロケ地もある。
悠仁親王殿下ご誕生の喜び覚めやらぬ中に集った同志たちの中には、幸運にも悠仁親王殿下と同学年の子供を持つ親が二組あった。これから3・4年、悠仁親王殿下と学習院で席を同じくする事が出来る可能性を持つ子供たちが陸続と誕生して来る。昨今の宮内庁役人の尊皇心のかけらもない現状を鑑みる時、殿下のご学友に、尊皇心篤き吾らが同志の子弟が仕え奉る事の意義は大きい。その意味でも、今後「まほろば合宿」「中高生セミナー」が親王殿下の忠臣を生み出す場と是非なってもらいたい。
ブロックセミナーでは、現在の公権力に対し「象徴天皇でしかない」との戦後的体質から「象徴天皇であらせられる」との歴史的日本的体質に変えて行く為の方策論、運動論についても提起した。今回の親王殿下ご誕生奉祝の記帳所設置を見れば、各地の自治体が皇室と国民との絆について如何に考えているかが歴然として見えて来る。女性・女系天皇推進派の宮内庁は、皇位継承権者第3位の親王殿下ご誕辰にもかかわらず、「宮家のお子さんですから」とお祝いの記帳所設置をかたくなに拒否している。今回の親王殿下ご誕生を喜ばれている天皇皇后両陛下や、危険を伴う中でご出産を決意された秋篠宮同妃両殿下のご覚悟とお喜びとが全く解っていないのである。
九州では、わが熊本県を始め福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎・鹿児島県の県庁で記帳所が即日設置された。熊本県では事前の日本会議熊本からの要請もあって、全ての市町村役場でも記帳所が設置されている。皇室のご慶事に国民の祝意表明の記帳所を設ける事は慣例となっている。四国でも合宿の前に愛媛県・徳島県で記帳所が設けられていたが、合宿後参加した同志がすぐに行動を起こし、香川県、更には高知県でも記帳所が設置された。正にセミナーの成果であった。
セミナーでは、7月に急逝した利根洋一氏の遺志を如何に受け継いでゆくかも大きな課題であった。特に、高知から駆けつけた同志の面にはその決意がみなぎり、他の3県の同志も高知を助けるために何時でも駆けつけると語っていた。私自身も、高知の日本会議の再建の為に尽力する決意である。合宿の間、研修室の一席が常に空いていた。そこには故利根洋一氏が座って研修を受けていたのだと思う。「生きて死友に負かず」松陰先生のこの言葉が今更強く感じられたセミナーであった。
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