今、東京本郷の東京大学の近くにある旅館に来ています。日本協議会の常任理事会が開催されているからです。内容は公開できませんが、これからの私の行動で判断してください。国家の主要問題について全国の同志が真剣に語り合い、意見交換の場を持てるという事が本当に素晴らしいと思います。安岡正篤氏の言葉に「明師良友は我々の隠れたる内在の性に通ずる道を拓き、我々をこの道に鞭撻する。我は何であるか。真実何を有(も)つかを徹見(徹底的な理解)せしめる。」とあるが、その事を痛感する会議内容であった。
今朝、『日本の息吹』県民版の原稿を書いて日本会議熊本事務局にメールで送信した。その後時間があったので、一風呂浴びた。爽快なり。「活きた時間というのは朝だけだ。」との言葉があるが、本当にそれを痛感する。
今、『安岡正篤一日一言』(致知出版社・平成18年6月2日刊)を紐解いているが、中々素晴らしい言葉が多く身を正す糧となる。私は、この『一日一言』の類や『語録』などを多数読んで来たが、『一日一言』だからといって、一日に一項目しか読まないで居ると、結局部分しか詠めない事が多いので、最近は、『一日一言』でも、一回で2か月分位はまとめて読むようにしている。そうすると、6日で一冊読み終わる事が出来る。大体、これらの書物は一日一言と分けてはあるが、その月の文章で扱う内容は繋がっている事が多いのである。
この本の3月28日の項に、「陶鋳力(とうちゅうりょく)」との項があるが、この言葉は初めて知った。日本文明の特質を言い当てている言葉なので紹介する。
「日本には、世界中の飲食物がある。そして我々が食べてもおいしいと思う。西洋人にはこれができない。他民族のものを食べると直ぐ腹をこわす。この点日本人の胃のい腑は非常な包容力・消化力を持っている。山鹿素行に言わすと陶鋳力(とうちゅうりょく)である。陶鋳力とは消化力・包容力を併せた創造力をいう。仏教が来れば仏教、儒教が来れば儒教と、なんでも自由自在に消化してしまう。時には腹下りも中毒もやるが、いつの間にか日本化してしまう。」
坂本太郎氏が『日本歴史の特性』で日本歴史の特性を「連綿性」「躍進性」「中和性」と指摘されているが、正にこの「陶鋳力」で言い表されるのである。
今日も、午前中は会議、夕方からは富士宮研修所に赴いて2泊3日で、ここ20年間携わって来た大学生の合宿についての総括の会議を行う。何せ不便な所なので、PHS電波が届かず、私からの発信も出来ないようだ。2日程はこのブログもやむを得ず休みます。
今朝、『日本の息吹』県民版の原稿を書いて日本会議熊本事務局にメールで送信した。その後時間があったので、一風呂浴びた。爽快なり。「活きた時間というのは朝だけだ。」との言葉があるが、本当にそれを痛感する。
今、『安岡正篤一日一言』(致知出版社・平成18年6月2日刊)を紐解いているが、中々素晴らしい言葉が多く身を正す糧となる。私は、この『一日一言』の類や『語録』などを多数読んで来たが、『一日一言』だからといって、一日に一項目しか読まないで居ると、結局部分しか詠めない事が多いので、最近は、『一日一言』でも、一回で2か月分位はまとめて読むようにしている。そうすると、6日で一冊読み終わる事が出来る。大体、これらの書物は一日一言と分けてはあるが、その月の文章で扱う内容は繋がっている事が多いのである。
この本の3月28日の項に、「陶鋳力(とうちゅうりょく)」との項があるが、この言葉は初めて知った。日本文明の特質を言い当てている言葉なので紹介する。
「日本には、世界中の飲食物がある。そして我々が食べてもおいしいと思う。西洋人にはこれができない。他民族のものを食べると直ぐ腹をこわす。この点日本人の胃のい腑は非常な包容力・消化力を持っている。山鹿素行に言わすと陶鋳力(とうちゅうりょく)である。陶鋳力とは消化力・包容力を併せた創造力をいう。仏教が来れば仏教、儒教が来れば儒教と、なんでも自由自在に消化してしまう。時には腹下りも中毒もやるが、いつの間にか日本化してしまう。」
坂本太郎氏が『日本歴史の特性』で日本歴史の特性を「連綿性」「躍進性」「中和性」と指摘されているが、正にこの「陶鋳力」で言い表されるのである。
今日も、午前中は会議、夕方からは富士宮研修所に赴いて2泊3日で、ここ20年間携わって来た大学生の合宿についての総括の会議を行う。何せ不便な所なので、PHS電波が届かず、私からの発信も出来ないようだ。2日程はこのブログもやむを得ず休みます。
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