「道の学問・心の学問」第四十五回(令和3年3月26日)
貝原益軒に学ぶ④
「人の心の内に、もとより此楽(たのしみ)あり、私欲行はれざれば、時となく所として、楽しからずといふ事なし。是本性より流れ出でたる楽なり。」
(『楽訓』巻之上)
益軒は、「楽」(たのしみ)という事を強調し、『楽訓』をも記している。人間と生まれた幸せを実感する中で、日々楽しく生きて行く事の大切さを説いている。ここで注意したいのは、真の楽しみとは何かという点である。益軒は言う。
「人の心には、天地から受けた万物生成の元気が備わっている。それが人の生きる原理なのだ。草木が発生して止まない様に、常に自分の心の内に、天機(造化の秘密・自然に備わった機能)の生きて、和らぎ喜ぶものを持っている。それが“楽しみ”なのである。」
「人の心の内には、元よりこの楽しみが備わっている。私欲に妨げられなければ、何時でも何処でも楽しくない事は無い。それは人間の本性から流れ出た楽しみなのだ。外にあるのでは無い。自分の耳目口鼻形の五感は、外の物に交わって、色を見、声を聞き、物を喰い、香りを嗅ぎ、動き静まる等五つのわざを為すが、それらに於いて、欲が少なく、過度に陥ら無い程良い程度であれば、何事であれ事ごとに楽しくないはずがない。それは決して外の物が楽しみを齎しているのではなく、人の心の内に、元々生れつきの楽しみがある為に、外の物に触れてその助けを得て、内なる楽しみが盛んになるのである。」
「朝夕に目の前で繰り広げられる天地の大いなる姿、月や太陽の明るい光、四季の巡りに伴う折々の景色、雲や霞たなびく朝夕の変化、山の佇まい、川の流れ、風のそよぎ、雨露の潤い、雪の清さ、花の装い、芳草の栄え、嘉木の茂り、鳥獣虫魚の仕業まで、全てに万物の生気が充ちている。これ等を興じ愛好するなら、楽しみは限りない。これ等に対すれば、心が開かれ、情が清くなり、道を求める心を感興し、卑しさやけち臭さを洗い落としてくれる。この事を『天機を触発す』と言う。触発とは外の物に触れて善い心を起こす事を言う。これらは、外の物を借りて内なる楽しみを助けているのである。」
益軒は、楽しみとは自らの内に天与で備わっているものだと言う。だが、それは私欲=五感の好みに引っ張られて度を越せば苦しみを生み出す。五感の欲を制御し程良くすれば、楽しみは愈々増して行くのである。その楽しみを涵養する事こそが人間の生きる力なのだと言う。その為には、人間と同様に天が創り出した自然の様々な美に触れる事を推奨する。『楽訓』巻之中には、四季折々の自然が織りなす様々な美しさについて詳しく記されている。益軒は日本の自然の美を自らの心の楽しみに成して、心の内を楽しみで満たしつつ八十五歳と言う長寿を生きた。私も益軒の言う「楽しみ」に満ちた日々を重ねて生を全うしたいと思う。
貝原益軒に学ぶ④
「人の心の内に、もとより此楽(たのしみ)あり、私欲行はれざれば、時となく所として、楽しからずといふ事なし。是本性より流れ出でたる楽なり。」
(『楽訓』巻之上)
益軒は、「楽」(たのしみ)という事を強調し、『楽訓』をも記している。人間と生まれた幸せを実感する中で、日々楽しく生きて行く事の大切さを説いている。ここで注意したいのは、真の楽しみとは何かという点である。益軒は言う。
「人の心には、天地から受けた万物生成の元気が備わっている。それが人の生きる原理なのだ。草木が発生して止まない様に、常に自分の心の内に、天機(造化の秘密・自然に備わった機能)の生きて、和らぎ喜ぶものを持っている。それが“楽しみ”なのである。」
「人の心の内には、元よりこの楽しみが備わっている。私欲に妨げられなければ、何時でも何処でも楽しくない事は無い。それは人間の本性から流れ出た楽しみなのだ。外にあるのでは無い。自分の耳目口鼻形の五感は、外の物に交わって、色を見、声を聞き、物を喰い、香りを嗅ぎ、動き静まる等五つのわざを為すが、それらに於いて、欲が少なく、過度に陥ら無い程良い程度であれば、何事であれ事ごとに楽しくないはずがない。それは決して外の物が楽しみを齎しているのではなく、人の心の内に、元々生れつきの楽しみがある為に、外の物に触れてその助けを得て、内なる楽しみが盛んになるのである。」
「朝夕に目の前で繰り広げられる天地の大いなる姿、月や太陽の明るい光、四季の巡りに伴う折々の景色、雲や霞たなびく朝夕の変化、山の佇まい、川の流れ、風のそよぎ、雨露の潤い、雪の清さ、花の装い、芳草の栄え、嘉木の茂り、鳥獣虫魚の仕業まで、全てに万物の生気が充ちている。これ等を興じ愛好するなら、楽しみは限りない。これ等に対すれば、心が開かれ、情が清くなり、道を求める心を感興し、卑しさやけち臭さを洗い落としてくれる。この事を『天機を触発す』と言う。触発とは外の物に触れて善い心を起こす事を言う。これらは、外の物を借りて内なる楽しみを助けているのである。」
益軒は、楽しみとは自らの内に天与で備わっているものだと言う。だが、それは私欲=五感の好みに引っ張られて度を越せば苦しみを生み出す。五感の欲を制御し程良くすれば、楽しみは愈々増して行くのである。その楽しみを涵養する事こそが人間の生きる力なのだと言う。その為には、人間と同様に天が創り出した自然の様々な美に触れる事を推奨する。『楽訓』巻之中には、四季折々の自然が織りなす様々な美しさについて詳しく記されている。益軒は日本の自然の美を自らの心の楽しみに成して、心の内を楽しみで満たしつつ八十五歳と言う長寿を生きた。私も益軒の言う「楽しみ」に満ちた日々を重ねて生を全うしたいと思う。
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