「道の学問・心の学問」第十七回(令和2年9月11日)
熊澤蕃山に学ぶ②
「仁者の心、動きなきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。」
(『集義和書』巻第四)
蕃山に寄せられた手紙の「昔の賢人には及び難い者があります。少し学んだとしても心根は凡人であり、外面は君子の様にしても内面は小人と言う様に、難しいものがあります。」との言葉に対して、「近頃昔の賢人や君子の心を察し、自分にも備わっているかどうかを考えて、学舎の壁に書き付けて、小人を離れて君子となるべき一助にしているものの写しを御覧に入れましょう。」と書いて、「君子」八ヶ条、「小人」十一ヶ条を示している。
君子とは道徳的に立派な人物で、小人(しょうじん)とは利欲に左右される俗人の事を言う。
今回から其々数回に分けてそれを紹介、解説する。今回は「君子」についての二ヶ条。
一、仁者の心、動きなきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。
君子にとって最も大切なのは他者への思い遣りの心である。それを孔子は「仁」と表現した。それ故、我が国の皇室では歴代天皇の諱にも多数「仁」の字が用いられている。今上天皇は「徳仁」、上皇陛下は「明仁」である。仁が備わった者を「仁者」と称し、君子の理想の姿を表している。他者への深い思い遣りの情が備わった者の心は、世俗の利欲には惑わされず、動く事もない。それは大きな山の不動の姿のそのものである。無欲なので、常に静かな境地に安住する事が出来る。蕃山が目指した境地が表現されている。
一、仁者は太虚を心とす。天地・万物・山水・河海みな吾有なり。春夏秋冬・幽明昼夜・風雷雨露霜雪、みなわが行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み何をかにくまむ。義と共にしたがひて安し。
太虚とは万物を生み出す宇宙の根源の事を意味している。仁者の心は「小宇宙」として外の「大宇宙」と繋がっている。それ故、宇宙の凡ゆる事象は仁者の心に備わっている。春夏秋冬・幽明昼夜・風雷雨露霜雪という自然現象の移り変わりの姿も全て自らの行いの姿と同じなのである。万物は陰と陽の原理から成り立つ様に、自分の順境・逆境は人生の陰陽に他ならない。人間の死生は一日に昼と夜がある様に自然なものなのだ。全てが宇宙の法則で動いており、人間の好き嫌いや憎悪などは取るに足らないものである。ただ「義」を第一として生きて行くならば、天地万象に恥じる事無く、心は何時でも安らかで居られるのだ。儒学の世界観の言葉で難しいが、自然現象と融合した自然な生き方が君子の生き方なのである。
熊澤蕃山に学ぶ②
「仁者の心、動きなきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。」
(『集義和書』巻第四)
蕃山に寄せられた手紙の「昔の賢人には及び難い者があります。少し学んだとしても心根は凡人であり、外面は君子の様にしても内面は小人と言う様に、難しいものがあります。」との言葉に対して、「近頃昔の賢人や君子の心を察し、自分にも備わっているかどうかを考えて、学舎の壁に書き付けて、小人を離れて君子となるべき一助にしているものの写しを御覧に入れましょう。」と書いて、「君子」八ヶ条、「小人」十一ヶ条を示している。
君子とは道徳的に立派な人物で、小人(しょうじん)とは利欲に左右される俗人の事を言う。
今回から其々数回に分けてそれを紹介、解説する。今回は「君子」についての二ヶ条。
一、仁者の心、動きなきこと大山のごとし。無欲なるが故によく静なり。
君子にとって最も大切なのは他者への思い遣りの心である。それを孔子は「仁」と表現した。それ故、我が国の皇室では歴代天皇の諱にも多数「仁」の字が用いられている。今上天皇は「徳仁」、上皇陛下は「明仁」である。仁が備わった者を「仁者」と称し、君子の理想の姿を表している。他者への深い思い遣りの情が備わった者の心は、世俗の利欲には惑わされず、動く事もない。それは大きな山の不動の姿のそのものである。無欲なので、常に静かな境地に安住する事が出来る。蕃山が目指した境地が表現されている。
一、仁者は太虚を心とす。天地・万物・山水・河海みな吾有なり。春夏秋冬・幽明昼夜・風雷雨露霜雪、みなわが行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み何をかにくまむ。義と共にしたがひて安し。
太虚とは万物を生み出す宇宙の根源の事を意味している。仁者の心は「小宇宙」として外の「大宇宙」と繋がっている。それ故、宇宙の凡ゆる事象は仁者の心に備わっている。春夏秋冬・幽明昼夜・風雷雨露霜雪という自然現象の移り変わりの姿も全て自らの行いの姿と同じなのである。万物は陰と陽の原理から成り立つ様に、自分の順境・逆境は人生の陰陽に他ならない。人間の死生は一日に昼と夜がある様に自然なものなのだ。全てが宇宙の法則で動いており、人間の好き嫌いや憎悪などは取るに足らないものである。ただ「義」を第一として生きて行くならば、天地万象に恥じる事無く、心は何時でも安らかで居られるのだ。儒学の世界観の言葉で難しいが、自然現象と融合した自然な生き方が君子の生き方なのである。
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