「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

伊藤仁斎⑥「書を読むは当に沙(すな)を淘(こ)して金を拾うがごとくすべし。取ることその広きを欲す。択ぶことその精を欲す。」      

2021-01-08 21:38:24 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第三十四回(令和3年1月8日)
伊藤仁斎に学ぶ
「書を読むは当に沙(すな)を淘(こ)して金を拾うがごとくすべし。取ることその広きを欲す。択ぶことその精を欲す。」      
                                                (「同志会筆記」第二十一則)

 仁斎は、五十歳前後の頃友人を集めて作った儒学研究会・同志会で、四十八則の学問の要点を述べており、とても良い言葉に出会う事が出来る。それは「同志会筆記」として、『古学先生文集』に掲載されている。その二十一則で仁斎は、読書の方法について述べている。

「書物の読み方は、砂金を探す方法に似ている。大量の砂を濾過する事で、漸くわずかの金を見つけ出す事が出来るのだ。書物の選択は広く行うべきである。しかし、本物を選び出すには内容を精査せねばならない。様々な学者の書物を、広く探して読み、遍く探って、兼ね合わせて学び、はっきり理解し深く体得する迄止めてはならない。私は、様々な学者の長所を集めて、偏りのない知恵を身につけたいと思っている。もっぱら一つの傾向の書物ばかりを読んでいたならば、慣れている考えだけで覆われ、見る所が泥んで、考えが凝り固まり成長が止まってしまう。例え大学者と言われている人でも完璧ではないのだから、必ず一長一短がある。特に長所は平易に記してある事が多くて気付かず、短所が際立って良く見えるものである。」

「書物を愛しては父母の様に接し、その内容を判断するに当たっては訴えを聞く様な厳しさで事の真偽を弁別しなければならない。これを愛する事父母の様でなければその正しい事を知る事は出来ないし、これを弁じる事訴えを聞く様にしなければ、その間違いを明らかにする事は出来ない。これが様々な学者の文字を看る方法である。」

 現代の世の中には玉石混交の書物が満ち溢れている。如何にすれば人生を賭する事の出来る様な真理・真実の言葉を得る事が出来るのか。仁斎が、ここで例えている「砂金」を見つけ出す例えの、幅広い読書と内容の精査、その為には父母の様な愛情で書物に接して良い点を見出す一方、裁判官の様な明晰さで良否を弁別せねばならない事が極めて重要である。吉田松陰も「万巻の書を読まなければ歴史に名を留める様な人物になる事は出来ない」と述べて学問に励んだ。私も、関心あるテーマについては様々な書物を繙いて、その中から真偽を弁別する努力を重ねて来た。それ故、仁斎の述べる一言一言が胸に響いて来る。

 但し、仁斎には『論語』と『孟子』という絶対のテキストが存した。今日の我々にとって書物の学び方は仁斎の如くすべきだが、真偽を見分ける「絶対の価値」についても、日々の人生観の磨きの中で縄墨となる世界観を見出す努力が不可欠である。勿論『論語』や『孟子』の学びも人生観の陶冶に於て不可欠の学びだと思う。


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