「道の学問・心の学問」第四回(令和2年6月12日)
中江藤樹に学ぶ①
天子より以て庶人に至るまで、壱是(いっし)に皆身を修むるを以て本と為す(『大学』)
これから、江戸時代の「心学者」の言葉を通して、「道の学問、心の学問」の有り方について学んで行きたいと思う。
「心学」とは自らの心の在り方を深めて行く学問で、儒学では、南宋の陸象山、明の王陽明などの学問は「心学」と称された。特に、内省的な人格者は「心学」を重んじ、修養の目標とした。心は、磨きを重ねる事によって、より強く、より高く、より深く、より広く成り得る。無限の進歩深化を遂げる事が可能なのである。その進み具合によって、「徳」が備わり人格の魅力が生まれて来る。
第一回の内村鑑三の言葉で紹介した様に、我が国では江戸時代の儒学者の中に数多くの人格者を輩出している。その中で、最初に紹介するのは中江藤樹(慶長13年(1608)~慶安元年(1648))である。藤樹は、日本陽明学の祖とも言われている。近江国上小川村で生まれた藤樹は、九歳の時、農業を営む両親の下を離れ、米子藩に仕える祖父の養子となり学問に励む事となった。翌年には藩主の領地替えに伴い、伊予国大洲に移った。
その翌年、儒学の経典四書の『大学』を紐解き、この項で紹介している「天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本と為す」という文言に出会う。『大学』は大人(立派な人格者)となる為の学問の在り方について記した書物である。言葉の意味は「上は天子様から下は庶民に至るまで、ひとえに身を修める事が学問の根本である。」と、万人全てが自らの身を修める事で、聖人(人格完成者)に成る事が可能である事を述べている。身分の差を超越する学問万人平等論である。この言葉に藤樹は感激し、人生の目的と学問の方向性を見出し、自らも「聖人」になろうとの志を立てた。藤樹十一歳の時の事である。
『大学』には、修身→斉家→治国→平天下と、国家天下を治める根本が自らの修身にある事が記されてあり、かつ修身の中身として、格物・致知・誠意・正心を明示している。十一歳の藤樹にとって「修身」こそが、自らを聖人迄磨き上げる日々の実践の目標となった。ここに、後に「近江聖人」として数多くの庶民・武士から仰ぎ慕われる藤樹の「道」の出発が為されたのだった。藤樹の人生は僅か四十一年で終わる。だが、十一歳からの三十年の日々の実践を通して心を磨き、己の道を歩み続けて完成させたのである。
私自身は二十歳の時に「道の学問・心の学問」の存在を知り、衝撃を覚え、藤樹同様に「志」を立てた。爾来四十六年が経過するが、中々藤樹先生の高み迄至る事は出来ないでいる。しかし、決して迷う事無くこの道を生涯歩み続け、心を磨き真の日本人に成りたいと思っている。
中江藤樹に学ぶ①
天子より以て庶人に至るまで、壱是(いっし)に皆身を修むるを以て本と為す(『大学』)
これから、江戸時代の「心学者」の言葉を通して、「道の学問、心の学問」の有り方について学んで行きたいと思う。
「心学」とは自らの心の在り方を深めて行く学問で、儒学では、南宋の陸象山、明の王陽明などの学問は「心学」と称された。特に、内省的な人格者は「心学」を重んじ、修養の目標とした。心は、磨きを重ねる事によって、より強く、より高く、より深く、より広く成り得る。無限の進歩深化を遂げる事が可能なのである。その進み具合によって、「徳」が備わり人格の魅力が生まれて来る。
第一回の内村鑑三の言葉で紹介した様に、我が国では江戸時代の儒学者の中に数多くの人格者を輩出している。その中で、最初に紹介するのは中江藤樹(慶長13年(1608)~慶安元年(1648))である。藤樹は、日本陽明学の祖とも言われている。近江国上小川村で生まれた藤樹は、九歳の時、農業を営む両親の下を離れ、米子藩に仕える祖父の養子となり学問に励む事となった。翌年には藩主の領地替えに伴い、伊予国大洲に移った。
その翌年、儒学の経典四書の『大学』を紐解き、この項で紹介している「天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本と為す」という文言に出会う。『大学』は大人(立派な人格者)となる為の学問の在り方について記した書物である。言葉の意味は「上は天子様から下は庶民に至るまで、ひとえに身を修める事が学問の根本である。」と、万人全てが自らの身を修める事で、聖人(人格完成者)に成る事が可能である事を述べている。身分の差を超越する学問万人平等論である。この言葉に藤樹は感激し、人生の目的と学問の方向性を見出し、自らも「聖人」になろうとの志を立てた。藤樹十一歳の時の事である。
『大学』には、修身→斉家→治国→平天下と、国家天下を治める根本が自らの修身にある事が記されてあり、かつ修身の中身として、格物・致知・誠意・正心を明示している。十一歳の藤樹にとって「修身」こそが、自らを聖人迄磨き上げる日々の実践の目標となった。ここに、後に「近江聖人」として数多くの庶民・武士から仰ぎ慕われる藤樹の「道」の出発が為されたのだった。藤樹の人生は僅か四十一年で終わる。だが、十一歳からの三十年の日々の実践を通して心を磨き、己の道を歩み続けて完成させたのである。
私自身は二十歳の時に「道の学問・心の学問」の存在を知り、衝撃を覚え、藤樹同様に「志」を立てた。爾来四十六年が経過するが、中々藤樹先生の高み迄至る事は出来ないでいる。しかし、決して迷う事無くこの道を生涯歩み続け、心を磨き真の日本人に成りたいと思っている。
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