「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

石田梅岩に学ぶ⑤「学問の至極といふは、心を尽し性を知り、性を知れば天を知る。天を知れば、天即孔孟の心なり。」

2021-08-03 23:20:08 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第六十四回(令和3年8月3日)
石田梅岩に学ぶ⑤
「学問の至極といふは、心を尽し性を知り、性を知れば天を知る。天を知れば、天即孔孟の心なり。」 
(『都鄙問答』巻之二)

 学問の至極(根本)について問われた時、梅岩は次の様に述べている。

「学問の根本というのは、心を尽して自分に備わっている本性を知る事である。本性を自覚出来れば天を知る事が出来る。天を知る事が出来れば、天が即ち孔子や孟子の心なのである。孔子や孟子の心を知れば、シナの宋代の儒者(二程子や朱子等)の心も同じく一つである。心が同じだから註釈も自ずと天の心に適う。心を知る時には、天理は其の中に備わっている。それ故天命に違わない様に行う外に、他の生き方はありえないではないか。」

 梅岩達が求めた学問は、現代に言う「学問」とはその質を異にしている。学問とは知識の集積では無く、より良き人生を導く為に自らを磨き出すものに他ならない。それ故、先ず重要な事は、自分の心を尽して自分の本性とは何かを確り把握する事だと梅岩は言う。実際梅岩は二十代から四十代半ばまで、自分の本性の自覚の為に心を尽して神・儒・仏様々な学問を学び続けたのである。その結果、孟子の言う「性善」なる本性を確信した。そしてその本性は「天」(形而上の意味で、万物の創造者、万物をあらしめる法則)そのものから生じている事が解ったのである。天を自覚できた時に、学問の師である孔子や孟子の心は天そのものである事も知る事が出来た。更には四書五経の註釈を記した宋代の朱子学者の心も同じであり、全てが天の心だと認識できたのである。

梅岩が学んで来た論語や孟子などの経書に記されている言葉は、天そのものの言葉であり、心なのである。それは自らの心にも自ずと備わっているのである。自分の心に従って生きる事は、天の命、天の意思に従って生きる事に他ならず、それ以外に人間が真っ当に生きる道は有り得ないのである。

現代人には「性(本性)」や「天」という言葉さえ、馴染みがなく梅岩の言う言葉の意味は解りにくいと思われるが、人間は、何時の時代だって「自分探し」を行い、「自分とは何か」を問い続けている。自分の生命とは何か、心とは何か、どうすれば日々を充実し、心の安らぐ人生を送る事が出来るか、も死ぬまで模索し続けているのである。その意味で、人間とは何か、人生とは何かを教えてくれている孔子や孟子の言葉を羅針盤として、自らの心を磨き続け、善なる本性を確信し、自らの心に備わる天の心を見出した梅岩は、現代の我々をも導いてくれる求道者の鑑と言って過言ではない。


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