「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

石田梅岩に学ぶ④「意地の悪き事有りしが、十四五歳の頃ふと心付て、是を悲しく思ふより、(略)五十歳の頃に至りて意地悪き事は大概なきようにおもへり。」

2021-07-27 15:23:00 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第六十三回(令和3年7月27日)
石田梅岩に学ぶ④
「意地の悪き事有りしが、十四五歳の頃ふと心付て、是を悲しく思ふより、(略)五十歳の頃に至りて意地悪き事は大概なきようにおもへり。」
                                           (『石田先生事蹟』)

 梅岩は道を歩く時に、夏は日陰を他人に譲り、自分は日のあたる所を歩き、冬は日当たりを他人に譲り、自分は陰を歩いた、と「石田先生事蹟」に記されてある。孔子の言う「恕」「己の欲せざる所、人に施す勿れ。」の実践である。夏は暑く、人は競って日陰を求めるし、冬の寒さの中では日当たりの良い所を求める。それ故梅岩は、他人にその心地よい場を譲るのである。それが、自然に行われていたと、弟子達は敬仰している。

 梅岩は、生れ付きその様な優しい人間では決してなかった。逆に「意地悪」な性格だったと、梅岩自身が次の様に語っている。

「私は生れ付き理屈屋で、幼年の頃から友達に嫌われ、意地の悪い事があった。しかし、十四・五歳の頃に、ふと心に気付いて、その事を悲しく思う様になり、それを直そうと努力した。三十歳の頃には大概治った様に思えたが、それでも尚言葉の端に意地の悪さが表れたりした。四十歳の頃には、梅の黒焼きに少し酸っぱい所がある位迄、意地悪さも少くなった様に思われ、五十歳の頃に至って、意地の悪い所は大概無くなった様に思われた。」

 梅岩が偉いのは、十四・五歳で自分の「意地悪さ」に気付き、「悲しく思い」、是正の努力をし続けた所にある。そして、三十五年の月日が流れ、五十歳になって漸く是正出来たと自信を持って言える様になったのだ。梅岩にとっての学問とは、万物全てを等しく愛す「天」から生まれた「わが心」を、広やかで愛深い「天」の如くに磨き出す事に他ならなかった。その意味で、自らの「意地悪さ」を是正する事は、本性に帰るべく、自らの心を磨く必要不可欠な修行だったのである。

 私も、大学二年生で志を立てる迄は、自己を過信し、他人を裁き批判する意地悪い人間だった。だが、人は「生かされている」と気付いた時に転機が訪れた。更に、全九州の学生サークル代表の立場に就いた時に、地味だが必死で会を支えてくれる同輩や後輩達に深い感謝の念を抱く様になれた。それから「自反慎独」の人間学を学び続けている。

しかし、生れ付きの意地の悪さを脱却するのは中々難しい。例えば、車を運転する時に、出来るだけ人に譲ろうと心掛けているが、急いでいるとつい、理屈をつけて自己本位な運転をしてしまう。志を立てたのが二十歳の時だから、既に四十七年間も修行し続けているのに、未だに反省する事ばかりである。梅岩は六十歳で亡くなったから、意地悪を脱却できたのは、その十年前である。孔子も七十歳で自在の境地に到達したと述べている。私も寿命の尽きる十年位前までには、「意地悪」を脱却した「恕」「仁」の境地を体現出来る迄到達したいと願っている。


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