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自撮りが世界を変える------はずやった

2024-02-28 23:53:00 | 日記




まずYouTubeで収益を出す条件は、
チャンネル登録1000人以上、
過去一年間の動画再生時間が4000時間以上、
過去3ヶ月のショート動画再生回数1000万回以上をクリアしないと、
YouTuberとしてはやっていけない。
(趣味としては大丈夫🙆)
YouTubeは動画撮影用に、
デジタルカメラや三脚、照明器具といった用具を購入して、
編集用パソコンを二台は持ってないと、
動画の質が保てない。

YouTuberは、
撮影時間と編集時間を多く取って、
動画を仕上げるので、
時間と労力がかかりゼニが飛ぶ。
その意味では、
動画が面白いことは言うまでもないことやけど、
話題性とブレないテーマが無いと、
チャンネル登録者は取れないという。
また、
編集もせずに雑な動画を上げても、
見向きもされない現実がある。

今回、
プラウダ(ロシア語で真実の意)というニックネームを持った高校生が、
GEOで中古の安スマホを買い、
このスマホを百桜と名付け、
今後は、
百桜が自分の目の代わりになると豪語した、
YouTuberへの限りなき(というか結果的に、限り泣き😭)、
挑戦の軌跡を記事化してみる。
尚、
プラウダは、
ノブミツのダチやということから、
この出来事は、
7年前くらいと推察される。

プラウダは最初に自己紹介自撮りをした、
「俺プラウダの家は東京総本家千鳥屋の一店舗やったが経営不振から地鶏屋経営へと舵を切った。その家の息子であるプラウダは自撮り屋としてこれからを歩む!」、と。

まず、
プラウダは、
焼き肉食い放題の店に現れて、
自撮りして、
「食うの食う!いっさいは食うでないと焼き肉食い放題の店には行けない」と語った。

が、
映画研究していた先輩から、
思想を撮ることは動画に命を吹き込むと言われ、
胃潰瘍で入院している祖父のお見舞いに来た。
そしてスマホ📱のカメラを祖父に当てて、
「魂が帰っていく」と語った。
プラウダは思想と死相を間違えた訳やけど、
この代償は、
祖父に尿瓶で頭を叩かれてこぶを作ったことで成されることになった。

プラウダはめげずに、
学食に行き、
自撮りしながら、
「おい!誰か、プラウダと飯食わねえか⁉️」と大声で尋ねたが、
みんな「ヤだね😛❗️」と返答した。
プラウダは相変わらず自撮りしながら、
「自由主義的選択の結果なんやろうけど、イジメやなかろうかとさえ勘ぐってしまう。ええわ😡ひとりで食うわ🤬」と、
いつものぼっち学校生活をスマホに撮った。

プラウダは、
スマホを青空に向けて、
振り振り撮影したり、
道を歩く自分の影を撮りながら、
「動画作家は被写となるものを王手飛車取りしなければならない」と、
訳のわからん語りを入れた。

そうこうしていると、
無人の工事現場に乱立しているコーンを、
コーン蹴り坊やが蹴りまくっていた。
早速、
プラウダはスマホ📱をコーン蹴り坊やとその行動に向け、
「白昼の反抗こそ悪の判子である」と再び意味不明な語りを入れた。
コーン蹴り坊やは、
プラウダの存在に気付き、
逃げて行った。
しばらく、
工事現場のあちこちにスマホ📱を向けながら、
「人よ!ひと夜のうちに、この空間が建築物に取って代わるとでも言うのか」と語った。
そこに、
現場関係者が来て、
ヘルメットを脱いでプラウダの頭を強く叩いた❗️
プラウダは驚いて😳
「ナニを御無体なさるのですか⁉️」と大声出した!
すると現場関係者が、
自身のスマホ📱を出して、
プラウダがコーンを投げまくっている動画を見せた。
プラウダは呆れて、
「コーン蹴り坊やよ❗️AI動画を作成いたすとは------」と悲痛に呟いた。

けど、
チャンネル登録者1000人を目指し、
YouTube仙人としての悟りを得たいプラウダやったけど、
多くの未熟なYouTuberは、
目的達成が果たされない時は、
動画削除して、
自身のチャンネルまで消してしまう結末を迎えるのが、
現実(プラウダ)やという。




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2 コメント

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Unknown (tsukikusa)
2024-02-29 14:46:21
TTKさん

面白い‼️✨🤭😆

お爺ちゃまの瓶が割れずに何よりでした🤗

1つ1つの場面がダラダラせずに、しかも的確な描写で展開して行くのがTTKさんの腕ですね💪

流石‼️

月草🌱
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Unknown (talk_to_keijiro)
2024-02-29 15:34:22
tsukikusa様こんにちは😃
いつも応援いただきありがとうございます😊

私もこの記事を書きながら、
YouTubeなんかとても無理だと実感させられました。
文字は文字ならではの魅力があり、
映像には映像の魅力があって、
伝えるという目的を除けば、
もう、
別物ですね。
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