ドキュメンタリーと言えども、演出された世界であるというのが持論です。
45分のドキュメンタリー尺を編集するなら
せいぜい、90分くらいのビデオ収録で撮影しないと
最初に考えていた本質より迷いが生じ、内容がぶれると自身は感じる。
よく、いろいろ撮影して素材が、多いことに越したことは
ないというご意見をいただきますが、
それは制作側の「直感力」と「完成イメージ」が、
乏しいすぎると感じるのは
自分だけだろうか。
確かに、「現象から曲折があり結果へと進むのが現世」である。
その現象が起こるであろう瞬間が撮影できれば
中間結果はさほど気にしなくても結果を撮影できれば
いいのでは?という場面が多い。
例えば、こんな具合である。。。
ボール遊び —— サッカー 野球 バレー バスケと何をするのか迷う — 結果として野球を選びました。
という、演出を考えるとする。
恐らく、取材の段階で、どの競技に興味があるのか無いのか
直感として取材対象者の動向がわかると思う、
だったら、興味がありそうな競技の様子をもしくは
その周辺を濃くして撮影できればと感じてしまう。
そこで、なぜ、他のスポーツが嫌いなのか?という
視点が見え隠れすると、すごくドキュメンタリーとして
盛り上がるかもしれないけど、決められた尺の中に収まるのかが
カメラマンとして不安になる。
まぁ、編集済みの本編尺を気にしなければ
OKなのでしょうが、人間は集中して映像を観てられる時間が
せいぜい90分である。
もし、90分を超えなら、続編として別に仕上げる必要があると感じる。
でないと、ネタの新鮮さもさることながら
視聴者に訴えるインパクトが薄くなるという持論である。
誤解して欲しく無いのが、
「長期間」のロケを否定することではなく。
無意味な長回し撮影が増えていることに疑問を感じる。
物理的に春夏秋冬での出来事を狙う面白さがドキュメンタリにはあるので。。。
そして、結婚式の記録ビデオについても明言はしない。
恐らく、言おうとしていることはお察ししていただけていると感じますが、
「無意味な間」を撮影することの意味が見え隠れしているからである。
本当、映像制作って魔物です。
45分のドキュメンタリー尺を編集するなら
せいぜい、90分くらいのビデオ収録で撮影しないと
最初に考えていた本質より迷いが生じ、内容がぶれると自身は感じる。
よく、いろいろ撮影して素材が、多いことに越したことは
ないというご意見をいただきますが、
それは制作側の「直感力」と「完成イメージ」が、
乏しいすぎると感じるのは
自分だけだろうか。
確かに、「現象から曲折があり結果へと進むのが現世」である。
その現象が起こるであろう瞬間が撮影できれば
中間結果はさほど気にしなくても結果を撮影できれば
いいのでは?という場面が多い。
例えば、こんな具合である。。。
ボール遊び —— サッカー 野球 バレー バスケと何をするのか迷う — 結果として野球を選びました。
という、演出を考えるとする。
恐らく、取材の段階で、どの競技に興味があるのか無いのか
直感として取材対象者の動向がわかると思う、
だったら、興味がありそうな競技の様子をもしくは
その周辺を濃くして撮影できればと感じてしまう。
そこで、なぜ、他のスポーツが嫌いなのか?という
視点が見え隠れすると、すごくドキュメンタリーとして
盛り上がるかもしれないけど、決められた尺の中に収まるのかが
カメラマンとして不安になる。
まぁ、編集済みの本編尺を気にしなければ
OKなのでしょうが、人間は集中して映像を観てられる時間が
せいぜい90分である。
もし、90分を超えなら、続編として別に仕上げる必要があると感じる。
でないと、ネタの新鮮さもさることながら
視聴者に訴えるインパクトが薄くなるという持論である。
誤解して欲しく無いのが、
「長期間」のロケを否定することではなく。
無意味な長回し撮影が増えていることに疑問を感じる。
物理的に春夏秋冬での出来事を狙う面白さがドキュメンタリにはあるので。。。
そして、結婚式の記録ビデオについても明言はしない。
恐らく、言おうとしていることはお察ししていただけていると感じますが、
「無意味な間」を撮影することの意味が見え隠れしているからである。
本当、映像制作って魔物です。