辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

撮影素材の良し悪しを判断できる担当者のための「フォトディレクション」始めました

2017-11-10 23:15:12 | パソコン

プロカメラマンに的確に仕事を依頼するためには、
動画にしろ静止画にしろ、
「写真や動画を見て、そのものがどんなものか的確に理解出来る」ということが
前提になります。

動画や写真は「購入者の代理」であり
されに、それらを購入したいと思わせる切っ掛け作りなのであります。

よくある例が、
不動屋さんの広告写真で
写真の出来栄えで、売れ行きが変わってくるということが
すべてだと思います。

構成を担当するディレクターとして、カメラマンに伝えておく注意点として、

撮影日時、撮影場所、天候(気候)の共有

撮影の着地点 ゴール(撮影依頼書などの資料)

どのように撮るか(ラフ画な、絵コンテで事前に可視化)

モデルや撮影に使う小道具の必要性

納品する画像の枚数やデータ形式

と、最低限どの項目となります。


さらにワンランク上では、

編集者の要望やイメージ、狙いなどは可能な限り具体的に、
ちょっと細かすぎるくらい細かく共有しておくことが意外と重要だったりします。

そして、被写体の訴求ポイントが感じられるように
カメラマンと意見交換するべきだと私は感じます。

そして、それらの7つの要素値して

1、ライティング 照明
2、アングル
3、構図
4、色味
5、遠近感
6、質感
7、背景と背景色

以上の要素をカメラマンと共有できればスムースだと私は感じています。

また、編集者がドツボに陥らないためにもコツがあります。
カメラマンには撮影に集中してもらう為でもありますが、、、

被写体の構図に必要な余白(マージン)が取れているか
照明 光の具合が適度になっているのか
被写体の「ヨリ」「引き」「縦位置」「よこ位置」で撮れているかを随時、気にしておくべきです。

今の日本の報道には「正しい」「正しくない」の二つしかないのが気になる。日本は〇〇だった事実

2017-11-10 04:52:04 | 日本の情景
報道の歴史って紐解くと奥深いものを感じます。

江戸時代の報道がコレ!

(引用:東京大学大学院情報学環図書室webサイト・瓦版「江戸浅草 御蔵前女仇討」 )

仇討ちのニュースである。

日々、いろんな事件 事故が起こります。

確かに、死亡事故はあってはならないことだし
たとえ偏見報道としても、軽く見てはいけないと思う。

そんな日本で報道を見ていると
「正しい」「正しくない」の二つしかないので
報道を見ている人にとっては、知らないうちに洗脳に
近い状態に陥っていると自分は強く感じるのである。

さらに、自分の気持ちを言ってしまうと
そんな報道を受け、解決策というか「着地点」を感じる
報道ではないので、気持ちがうやむやになる、
だから非常に気持ちが悪い。

最近、東京ドームでの「カメラ落下」事件があった。

確かに「落下」が「人災」だし、人が亡くなる重大インシデントにもつながる
だから、カメラを設置 運営したものが完全悪なのかというと
そんなことではなく、そんなカメラのカメラアングルを求める
世論も一体になっていると私は感じる。
運命共同体ということを私は強く言いたい。

まぁ、報道機関のゲートキーパー(報道デスク)も大変で
あるのは理解できる。

日本の報道の自由度ランキングも昨年は、世界ランキング2016年は72位
2015年は61位と年々、悪化している中。

本当のジャーナリズムって、もっと、中堅的な報道があってもいいのではと
感じるのは私だけだろうかと感じている。

結論ありきの報道は「不倫報道」くらいあればいいと思うし、
もっと、国民の心に添う「本当のジャーナリズム」へ転向すべき時期なのでは? と、
私は強く感じる。


「義理と人情」vs「人工知能」 〇〇なんて必要なくなるんだなーと感じる時代

2017-11-10 04:00:22 | パソコン


人工知能には、義理と人情が理解できるのだろうか?
そんな背景を真剣に考える時代に突入してきたと感じる。

今年は、第3期AIブームとなり、人工知能と会話ができる端末が
2万円弱で購入することができる。

そんな中、業務でも人工知能の性能が向上しつつ
人間の知識の限界に「人工知能」がサポートするのではなく
「人工知能」がメインで業務に当たることが
当たり前になってきている。

金融、医療での参戦事例は多くなってきている。

金融では投資信託の管理で、人間の知識より
人工知能の管理下での方が安定している運用が
ふててきているという事が
多く聞かれるようになった。

医療では、がん治療の方向性をめぐり
年間、何万と発表される論文を人工知能が蓄積し、
過去の治療事例を踏まえつつ
治療効果のあった薬剤を検索、
新たな治療にも効果が認められたなん言うてことも
珍しくなくなった。

「人工知能」は、完璧なのである。

そんな事例と並行して、
俗にゆう、金融機関の対面窓口もなくなり
人工知能のモニター画面と対話することも
急速に増えであろうとも考えられる。

何でもかんでも人工知能に取って代わる
そんな時代になりそうである。

みんな完璧を求めるのである。

でも、「大阪の商人」と言う言葉があるけど、
「対面」での暖かさは人工知能にはできない
暖かさがあるし、
不完全な中から発生する、人との対話で生まれる
「義理と人情」というのも日本の商売の歴史なんだろうと
ついつい思い起こしてしまう。

まぁ、現時点では「人工知能」の珍しさが勝って面白く感じるが、
これが、第5期、第6期とバージョンアップすると
笑っていられなくなる。

人気知能、機械知能の向上で
「泣く人」「笑う人」との格差が生まれてくるだろう。

自分は「笑う」ことができる立場でありたい。