Steel Pan 珠(たまき)

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七夕の演奏会で浴衣を着ました(*^▽^*)

2023-07-08 08:10:00 | スティールパンで童謡唱歌
昨日、7月7日。
今年初の浴衣でスティールパン演奏🎶
とっても近くのデイサービスさんでの演奏、童謡唱歌、古賀メロディ、歌謡曲…大合唱してくださったり、始終笑顔で、とても喜んでいただけました☆


コロナ禍で数回お遊びで家で着たことあったけど…💦
ちゃんとピシッと着られてるかなぁ〜?
ちょいとまた太ってしまったので、痩せなきゃなぁ〜…と思いつつ。
まぁ、衣装も喜んでいただけたので良しとしましょう!!!


さてさて、七夕が過ぎ〜…
梅雨も開けてないから真夏でもなく〜…
とりあえず片っ端から童謡唱歌を弾いておこう!!!ってことで、本日はこの曲☆

7月8日。
スティールパンで童謡唱歌(189)
『あの子はたあれ』
作詞:細川雄太郎
作曲:海沼實


この曲は、1939年(昭和14年)に楽譜が発表され、1941年(昭和16年)にレコードが発売されたそうです。
『あの子はだあれ』とも表記されるとのこと。

「スキップ調の可愛い軽快な調子の曲」…とされていますが、『うれしいひなまつり』同様、マイナー調(短調)で暗めに感じるのは時代のせい!ということですね!?
(2023年3月3日のブログに書きましたが、短調の曲を悲しいとか寂しいとか感じるようになったのは、昭和の後期になってからの感覚だそうです。)

◎曲ができるまで。
まず、1939年(昭和14年)、細川雄太郎サンが同人誌『童謡と唱歌』に『泣く子はだあれ』というタイトルで発表したそうです。

その『童謡と唱歌』は『かわいい魚屋さん』の作詞者である加藤省吾サンが編集・発行をされていた雑誌で、細川雄太郎サンの詞が、作曲家の海沼實サンの目に留まってメロディがつけられたとのこと。

細川雄太郎サンは当時24歳で、群馬県の味噌・醤油会社の社員だったそうです。
故郷である滋賀県の、幼く楽しかった頃を思い出して詞を作ったということでした。

1940年(昭和15年)にレコードの制作が決まったそうですが、時節柄"泣く子"はマズいだろう…と"あの子"として、「だあれ」としていた部分は音が汚く、メロディーに乗りにくいとして、海沼實サンが「たあれ」と変えるよう主張し、改められたそうです。


◎細川雄太郎サン
1914-1999、滋賀県生まれ。
童謡作詞家。


◎海沼 實サン
1907-1971、長野県生まれ。
童謡作曲家。

『お猿のかごや』

『からすの赤ちゃん』

『みかんの花咲く丘』

『かえるの笛』(←まもなく登場します!)
『里の秋』…など。

*****♪*****

明日は190曲目!
7月は後半にちょっと難しそうな曲が…!!!
あれこれやることもありつつ、時間をうまく使っていかねばデス☆
コメント
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