Steel Pan 珠(たまき)

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集中力発揮!頑張った〜!!!(アルバム制作)

2023-07-14 08:00:00 | スティールパンで童謡唱歌
おはようございます😃


昨日は夕方から6時間?7時間?くらい、ぶっ通しで、アルバムを作っていました。
集中力すごいっ!!!笑。

ネットプリントでフォトブックを注文…と思いましたが、選んだ写真を丁寧に並べながら、想いを込めて作業できるって、やっぱりいいな、と思いました。

我が家のプリンターも大活躍☆
綺麗に印刷できました◎

カメラマンのおふたりの上手なことっ!!!
中でも、いつもたくさんお世話になっているアキラちゃんの写真に、米寿のおふたりの背中を狙って撮っている写真があって、ものすごく感動しました。

88年の背中。
生まれは全く違う場所だったけれど、おふたりが出会い、これまで生きてきた、その88年が語られているような背中の写真。

あきらちゃんに、いい写真だね!とラインをしたら、しっかり狙って撮ったそうで、さすがだなーと思いました。
画面ぼかしましたが、背中の雰囲気、伝わるかなぁ?


さぁ、一つ一つ着実に進んでいます!
手首のガングリオンは2つになっちゃって痛いけどっ!!!
でもほっとくしかない。

さぁー、今日はリハーサルとレッスン仕事。

あ!告知を忘れてました!
7/17、梅屋敷で演奏しまーす☆
以前、明治記念館のビアテラス演奏でお世話になった日本舞踊の美尾屋さんとのコラボレーション🎶
楽しみです!


では、海関係の曲2曲目!
どうぞー!

7月14日。
スティールパンで童謡唱歌(195)
『浜辺の歌』
作詞:林古溪
作曲:成田為三


「浜辺の歌」は歌曲なのですが…☆
大好きな曲なので、過去の歌曲同様、"スティールパンで童謡唱歌"に入れてみました!

2007年には「日本の歌百選」に選定されています。
現在でもたくさんの方々が歌っていますね!
歌曲の中でのジャンルは"叙情歌"だそうです。

【歌詞】
あした浜辺をさまよえば
昔のことぞしのばるる
風の音よ雲のさまよ 
寄する波も貝の色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞしのばるる
寄する波よ返す波よ
月の色も星のかげも

はやちたちまち波を吹き
赤裳のすそぞぬれひじし
病みし我は すでにいえて
浜の真砂 まなごいまは


◎歌詞について
1913年(大正2年)8月に、林古渓サンは東京音楽学校(現在の東京藝術大学)学友会が発行する雑誌「音楽」に『はまべ』と題した三節からなる詩を発表したそうです。

当初、第一節、第二節はすべてひらがな表記、第三節も「赤裳」「真砂」(「マナゴ」とルビがある)の2語のみ漢字で後はひらがなだったとのこと。
この曲(歌詞)の舞台となった「はまべ」はどこか?→林古渓サンが少年時代を辻堂で過ごしたことから、辻堂海岸を思いだして書かれたとする解釈が多いそうです。

◎作曲について
東京音楽学校に進学した成田為三サンは、「音楽」編集者の牛山充サンから林古渓サン詩を紹介され、『はまべ』への作曲を勧められたとのこと。
牛山サンは旧知の山田耕筰サンに『はまべ』の作曲について相談した結果、山田耕筰サンのもとに住み込みで弟子入りしていた成田為三サンを紹介したそうです。
成田為三サンは、当時流行したウィンナ・ワルツのリズムに乗せた曲を書き上げたということでした。

成田為三サンは秋田県出身ですが、東京に住んでおられ、東京大空襲で家が全焼…、書いた楽譜や集めてきたレコードなどすべて焼失…。
途方に暮れた成田為三サンは一時秋田へ帰郷したが、その後終戦を迎え、東京へ戻ってきたそうです。
しかし成田為三サンは列車を降りたところで突如体調管理となりそのまま亡くなってしまったということです…(泣)
成田為三サンは戦後の日本を見ることはできなかったけれど、1947年(昭和22年)、文部省が新たに編纂した中学生用の教科書「中等音楽」に『浜辺の歌』が掲載され、1977年(昭和52年)以降は中学校学習指導要領において「夏の思い出」「早春賦」と並んで第2学年の「共通教材」として指定されたとのこと。


◎林 古溪(はやし こけい)サン
1875-1947、東京都生まれ。
歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。


◎成田 為三(なりた ためぞう)サン
1893-1945、秋田県生まれ。
日本の作曲家。

今までに弾いた、成田為三サンの曲。
もっとたくさんあると思ったら、2曲でした!笑

『赤い鳥小鳥』

『かなりや』
コメント
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