おはようございます。
アトリエebcのカフェ担当、陶話作家のクメタマリです。
さて、すべからく、ひとりぼっちでこの世に生まれて来て、ひとりぼっちで死んでゆく運命の私たちは、その上に置いて等しく平等です。これ以上の平等は無いのではないかとも思えました。
それなのに、当時の私にも「生きている人」と、「生きていない人」がいるように見えた。それは、貧富の差には関わらないようにも思えました。
確かに子どもの病気もあったけれど、一見何不自由無いような私自身も、心に大きな不満や不安や居心地の悪さを抱えて、自分自身に押しつぶされそうになっていました。その時には、自分を押しつぶそうとしているのは、自分自身だと言う事に気がつきませんでした。
私は、生きていなかったのかもしれません。でも、あるときから、生きようと思いました。自分を生かそうとし始めました。
その頃出会った「竹内レッスン」は私を生かしてくれました。
その後出会った沢山の方々、なかでも、芝居に関係する方々は、本当に私を生かしてくれました。
あれだけ沢山の友人、お仲間、お弟子さん達に囲まれながら、やはり、たった一人で旅立たれた竹内敏晴氏に今さらながら、心から感謝いたします。
アトリエebcのカフェ担当、陶話作家のクメタマリです。
さて、すべからく、ひとりぼっちでこの世に生まれて来て、ひとりぼっちで死んでゆく運命の私たちは、その上に置いて等しく平等です。これ以上の平等は無いのではないかとも思えました。
それなのに、当時の私にも「生きている人」と、「生きていない人」がいるように見えた。それは、貧富の差には関わらないようにも思えました。
確かに子どもの病気もあったけれど、一見何不自由無いような私自身も、心に大きな不満や不安や居心地の悪さを抱えて、自分自身に押しつぶされそうになっていました。その時には、自分を押しつぶそうとしているのは、自分自身だと言う事に気がつきませんでした。
私は、生きていなかったのかもしれません。でも、あるときから、生きようと思いました。自分を生かそうとし始めました。
その頃出会った「竹内レッスン」は私を生かしてくれました。
その後出会った沢山の方々、なかでも、芝居に関係する方々は、本当に私を生かしてくれました。
あれだけ沢山の友人、お仲間、お弟子さん達に囲まれながら、やはり、たった一人で旅立たれた竹内敏晴氏に今さらながら、心から感謝いたします。
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