ロングテール:タッチポイントの最大化

2006年04月13日 | 人生はマーケティングもある。
「ロングテール」とは、小さなものの積み重ねが大きなものになるという意味合いで使われる言葉です。インターネットマーケティングがある程度確立した、最近において言われ始めたことです。イメージとして、ディプロドクスの尻尾を思い起こしていただければわかりやすいかも。超大型恐竜の長い長い尻尾は、見た目には細いけれども全体としては大きな重量をもつという意味。ま、重量(マス)とマスメディアをかけて、ニッチの積み重ねがマスになるといった意味で使われています。

「タッチポイント」とは、 「顧客接点」。顧客接点って、言葉はわかりにくいですね。「企業と顧客が接触し、コミュニケーションを交わしたり、取引を行う場」。すなわち送り手と受けての接点、コミュニケーションの場と言ってもいいかもしれません。

メディアの多様化によって企業と顧客の接点(タッチポイント)はさまざまなものが出来ています。従来の新聞・雑誌・電波媒体などの既存マスメディア、特にテレビ媒体だけとっても、地上波、衛星波という2種類の分類から、地上デジタル波がSD,HD,1セグの3波、BSデジタル波、CS放送波と何十ものチャネルが提供されている。
インターネットメディアなんか、無限大のメディアだと考えてもいいかもしれないけれど、あえて、分類しても、数個のポータルサイト、数百個のニュースサイト、数万個の専門情報サイト、数十万個の企業サイト、数百万個のblogサイト。
目を現実世界に戻しても、最近特に注目を浴びるOOH(OutOfHome)メディア。
自宅から会社にたどり着く通勤途上で視野の中に広告が入らないことは、すでに無い。ラッピングバス、改札口の自動改札機、駅のホームに続く階段、電車の車両の中にも液晶テレビが設置されている。

ありとあらゆる生活の風景の中に企業と顧客の接点「タッチポイント」が存在する、マスメディアとは、「マスに向けたメディア」ではなく「種類がマスなメディア」と意味づけを変えている、と言っても良い状況が今の日本だといえるでしょう。

一つ一つのメディアは小さいけれども、それを束ねると力を持つという「ロングテール論」を元に、顧客(ターゲット)の生活のあらゆる場面で接点「タッチポイント」を持つというマーケティング戦略を「デザイン」していくことが、いまのマーケティングには必要なのだと思っています。

大阪砲兵工廠:大川端の桜:歴史のモニュメント

2006年04月12日 | 人生は花が必要。
今年は雨の多い桜の季節ですが、今日は夕方から久しぶりに雨が上がってすこし日が差していました。

大阪城近くのホテルでのパーティーに向かう道すがら、ビルの駐車場入り口から向こう側に大阪砲兵工廠越しに大阪城の天守閣が見えました。


正式には「旧大阪砲兵工廠化学分析場」。大阪に残された数少ないレンガ建造物であり、また、先の大戦を伝えるモニュメントでもあります。

「大阪春秋」という本の平成17年夏号の巻頭写真の説明に下のようなものがあります(筆者一部カッコを修正)


『大阪砲兵工廠化学分析場の建物は、大阪城の北西・京橋口付近にあります。煉瓦造れんがぞう地上2階建で、大正8年(1919)砲兵工廠建築課の置塩章おしおあきらの設計により完成しました。この時代の煉瓦造は、大阪市中央公会堂のように鉄筋コンクリートや鉄骨と組み合わせた混構造(こんこうぞう)が多く、この建築も一種の混構造と考えられます。阪急電鉄神崎川変電所、旧道頓堀変電所など、大正時代の赤煉瓦の建物が次々と姿を消す中、数少ない赤煉瓦建築として、また砲兵工廠の遺構として大変貴重なものです。』

大阪城の立つこの丘は、上町台地の北限にあり、浄土真宗、本願寺第8世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立したころには「石山」と呼ばれていたとのことです。その石山本願寺は織田信長と戦いをし、そののち豊臣秀吉の建てた大阪城は冬の陣・夏の陣と、戦いの場となる。そして、太平洋戦争時にはアジア最大と呼ばれるほどの一大兵器工場となった。

なかなか、きな臭い場所なのですが。今は、大阪城公園を中心に造幣局に続く大川端も、桜並木の名所になっています。

歴史を伝える石垣、歴史を伝える建物。大切にしていきたい風景です。
写真は今日の大川端の桜並木

六角堂:西宮市:木造校舎の桜

2006年04月09日 | 人生は花が必要。

今津六角堂は、今津小学校の敷地内にそのおしゃれでモダンな姿を見せて建っています。各地を転々とし取り壊しの危機にさらされたこともありましたが、現在は建築当時の場所に戻っています。
平成7年の大震災により被害を受けましたが、昨年1月改築され、展示室などとして活躍中です。現在は真新しくピカピカですが、もともとこの建物は、明治15年(1882)に当時の今津村、津門村の寄付などにより今津小学校の校舎として建築されたもので、洋式の小学校建築としては長野県松本市の開智学校についで古いものといわれています。
以上
西宮市のwebサイトから引用


今年も、きれいな桜の季節の中で、長い時の流れの中で、どことなし誇らしげに建っていました。

黄砂

2006年04月08日 | 人生は旅である。
今日は関西地方から、名古屋中部地方にかけて黄砂が大量に降っていました。

黄砂は、主として乾燥地帯(ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など)や黄土地帯で強風により吹き上げられた多量の砂塵が上空の風に運ばれて日本、韓国、中国などで降下する現象をいいます。濃度が濃い場合は、天空が黄褐色となることがあります。一般的には、春季(3月~5月)に多く観測されます。以上気象庁のページから

町全体が薄いベールに包まれて、茫洋とした風景の中に浮かんだように見えていました。太陽がくっきりと丸い形で輝いています。この太陽は三蔵法師がシルクロードで猿達とみたそれだろうと感じていました。