丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

国語の教科書

2009年08月04日 | 個人史
国語の教科書の一番後ろに載っている長文の小説が好きだった。選ばれて載せられてあるだけに面白い話が多かった。
4月の始業式に教科書を貰って家に帰ると、まずそこを先に読んだ。自分の分だけでは飽きたらずに、兄の教科書の長文も読ませてもらった。4年上だから内容的には少し難しい話が多いのだが、判らないなりにその長文の持つ雰囲気が楽しかった。今でもよく覚えているのが、これは後述で述べるが芥川龍之介の「魔術」や「杜子春」とか。内容は難しかったのでよく覚えてはいないけれど雰囲気が印象的だったのが「くるみ割り人形」という小説。誰の作品なのかはいまだに知らない。

話はそれるけれど、中学英語の長文とかも好きだった。特に模擬テストとかでは教科書に載っていない小説が出されるけれど、まったく新鮮な長文にテストと言うことも忘れてワクワクする。中3の入試模擬テストの英語の長文が、出だしから不気味な雰囲気で、実はラフカディオハーンの「怪談」の一節だったことが読み進んでからわかるのだが、この文章の元がどこから出ているのかわからない。本物のハーンの文章とは違っていたようだから。

それるついでに言えば、教師になってから試験監督で国語の監督中にテスト問題を見るのも楽しい。他の教科で生徒の教科書を見ることはないから、テストで長文に出会うのだが、こんな内容の話が載っているのだと思うと新鮮だ。「ブランコ乗りのキキ」の話は、オリジナルのNHKでの物語朗読をリアルタイムで見て知っていたから懐かしい。戦争をテーマにした「アイスクリーム売り」の話は読みながらジーンとしてきて感動的だ。思わずテストと言うことを忘れてしまう。(監督中に忘れてはいけないのだが)

閑話休題
小学5・6年の時の担任のK先生は国語も得意だったようで、けっこう楽しかった。ときどき朗読競争なども行ったりする。教科書の長文などの朗読をやって、ちょっとでもつっかえたり読み間違えたりすると交替していくという。間違わないでどれだけ長く読み続けられるのかという競争。僕はどもりが激しい時期だったのでその競争には加わることはほとんどなかったが。授業参観でこれをやって、つっかえると、それに気づいた誰かが立ち上がって即座に交替して読み続けるという、ゲーム感覚で、授業参観だから特におとなしくしていたら、後で参観に来ていた母にどうしておとなしくしていたのか叱られた。

6年の3学期頃に長文を交替交代で読んでいくことになった。「残雪」という鶴と人間の交流を描いた小説だった。今回は競争でなく、区切りの良い所まで読んで交替ということだったが、僕の順番になって読んでいきだした時に、急にK先生が呼ばれて教室を出て行くことになった。で、しかたなくそのまま読み続けることになったのだが、いつまで経っても先生は戻ってこない。結局最後まで読むことになってしまった。調子よく読み続けられたのだが、最後まで来て安心感というか余裕が出てきた頃にまたつっかえだして読めなくなったりもしたが、誰も止める者はいなかったので、それでも読み続けることになってとうとう最後まで読み切ったら、クラス中に拍手が起きた。最後の方になってやっと先生が戻ってきたのだが、この時の朗読体験は今でも良い思い出として残っている。

K先生は校区内のお寺が実家で、よくクラスの女子たちと一緒に遊びに行った。そんなときに、「芥川龍之介全集」を貸してもらった。芥川はやさしい話も多いけれど、小学生には難しい話もけっこう多い。「お貞の貞操」なんて話はまるで意味がわからなかった。「芋粥」は、サツマイモのお粥しか知らなかったからこれも理解しにくかった。「トロッコ」は今では中学の教科書にも載っていて授業で詳しく説明もされているけれど、そういう説明がなければ読みづらい小説だった。
ちなみに、数年後、TVで芥川龍之介の短編を元にした連続ドラマがあって、原作をけっこう知っていたから面白かった。映像でやっとわかったという話もあったり。
小学生には難しい話も多かったから、結局全集は最後まで読み通すことができなくて、「河童」を読んでいる途中でギブアップ。長らく放置したあげくに卒業と言うことで先生に返すこととなる。

余談ながら、中学では国語の最初の授業で、どもりはいるか、と聞かれて答えたら、1年間本読みは当ててもらえなかった。つっかえても読みたかったのにな、と思ってしまう。杓子定規な教師だなとずっと思っている。