丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

修学旅行

2009年08月09日 | 個人史
三重県を除く近畿地方の小学校の修学旅行先と言えばほぼ全員が伊勢神宮だった、
当時、小学校の団体を受け入れる観光地旅館が近畿では伊勢しかなかったからだという。最近は受入旅館もいろいろ増えたので、小学校では広島に行ったり大山に行ったりとかさまざまになっているが。

昔は国鉄で行くしか方法はなく、高速道路は整備されていなかったから学校からバスで行くと言うことはまず考えられなかった。集約列車と言うのがあって、国鉄では修学旅行の季節に修学旅行専用の団体貸し切り列車を走らせていた。貸し切りと行っても数校が乗り合わせるわけで、車両の貸し切りで、他校と触れ合わないように境目をしっかり教師がガードするというシステムになる。
列車は抽選になるので、まず集約列車を確保してから日程の調整になる。すべて旅行会社がやってくれることなのだが、とにかく調整が大変だったと思われる。

で、伊勢旅行。鳥羽のミキモト真珠島(今は橋でつながったが、当時は船で渡る)や二見浦などを巡って伊勢神宮に行く。小学校だから短い日程だ。

旅行前に学校でお土産の集約を行った。行く前にすでにお土産を購入するという、思えば変なシステムなのだが、伊勢の土産というと「生姜板」で、家族や親類から買うように言われることがほとんどということで、前もって購入数を調べておいて、帰って解散するときに渡すという段取り。準備がしやすいというただそれだけのこと。当時は小学生の小遣いも少ない物だから、大金を持たせることの是非とか、つまらない物を買ってしまわないようにとの配慮というか。
伊勢の名物というと「赤福」なんだけれど、日持ちのかげんから生姜板限定だったような。僕の家は貧しいこともあって注文はしなかった。結局何を買ったか覚えてはいない。おそらく土産は何も買わなかったのかもしれない。

現代の修学旅行は、教師も子どもと同じ料理を食べることになっているのだが、昔は教師はあきらかに別料理を食べていてお酒も出ていたが、別に変だとも何とも思わなかった。教師なんだから子どもとは違うのが当たり前だと思っていた。今でもそう思うが。