丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

中学の修学旅行

2010年06月26日 | 個人史
関西の中学校の修学旅行先と言えば、昔は関東方面と相場は決まっていた。
今でこそ信州や長崎など、受け入れ先も民宿などの受け入れ形態もそろってきて、移動手段も新幹線が利用できるようになってきて事情が変わってきているけれど、昔は交通手段は、修学旅行団体専用の特別編成の集約列車で、数校まとめての移動がほとんどだった(おそらくは文部省や教育委員会の指導での制約があったものと思われるが)。

現在でも関東地区の中学校の修学旅行先は京都・奈良が多いようで、ここらに行くとグループ単位の行動など形態は昔と変わっているけれど、かなりの数の修学旅行生が目立つ。逆に関西地区から東京方面への修学旅行は少なくなったかもしれない。もっともTDLへ行くケースもあるからちょっと事情は違ってくるけれど。

兄の学年では同じ東京方面でも一泊目は鎌倉で泊まり、二泊目が東京というパターンだったが、僕の学年では一泊目は富士五湖の河口湖で泊まり、二泊目が東京というケースだった。そんなわけで鎌倉に行けなかったのが実に残念で、後年一人で鎌倉散策に何度も出かけたりもしているのだが。

集約列車で富士山のもよりの駅まで行って、そこから観光バスに乗って河口湖まで。ちなみに、3台以上のバスの場合、1台目がベテランが乗って、次のベテランは最後尾のバスに乗るようだ。修学旅行の場合、ほとんどが新米ガイドで、けっこう軽く見られているというか、案内不安定なガイドばかり。

昔は今と違って関西と関東の交流や事情通などなく、お互いがお互いを知らないケースがほとんど。東京では「皇太子ご成婚」でTVが一般家庭に普及し、東京オリンピックでカラー化が進んだそうだが、関西では皇室は身近ではなく、東京オリンピックでようやくTVが普及し、大阪万博でカラー化が進んだ。そして大阪万博以降にようやく東西の文化交流も進んで、お互いの違いも知るようになってきた。それまでは、主なTV番組が東京で作られているせいもあり、漫画雑誌も東京で製作されていたので、漫画等でのパロディーで、関西ではやっていないCMを扱った物が多かった。セブンイレブンが関西に来たのはつい最近のこと、亀谷万年堂などいまでも関西人は知らない。OIOIもこの2・3年でやっと関西に進出したばかり。だのに40年前のTVや雑誌ではさも当たり前のようにそういったCMを扱ったものを流していて、あたかも日本中のすべての人が当然知っているごとくにやっているという、実におごりたかぶった文化を感じていた。まあもちろん関西しかやっていないCMもあるけれど、関西人はそれを東京まで持ち込もうとは思わない。ある漫才師が関西では有名な薬局チェーン店にひっかけたネタを地方で演じて誰も笑ってくれなかったという話があるが、関西人はそこでローカルネタを知るのだが、関東人は自分自身が東京ローカルだとは決して思いたがらない。
で、バスガイドに戻ると、そういう意識のガイドが多く、東京人なら知っているだろうというネタをあたかも関西から来た中学生も知っているものと思い込んでガイドするのだから、話がチンプンカンプン。まあガイドの話など誰もまともには聞いていないからいいようなものだが。東京に出て、ここが「あの」サンアイ・ビル」と案内されても、それって何?の世界。今ならマルキューやアルタとかよく知っている名前も多いけれど。
恐れ入るのは、おそらく当時の大人でさえ知らない歌の替え歌で富士五湖を紹介するのだから、誰もついては歌えない。この曲、その時は曲名もまったく聞き取れなかったが、元歌がdそういう歌か知った今でも、いまだに元の歌を聞く機会がない。

と余談はおいといて、
バスで富士山のまわりを回る。昼食は白糸の滝で。「滝の白糸」なんて話は中学生が知るわけもないから。その後風穴見学。そして旅館について一泊。夜に何をしたかまったく記憶にない。
翌朝、河口湖の前で記念撮影。天候が少し悪くて、河口湖に逆さ富士はうまく映っていなかった。
バスで一路東京へ。まだ高速道路は完備されていない。東京では皇居前の二重橋で記念撮影。国会議事堂前で1枚。中の見学。そして東京タワーへ。SMAPの歌でお土産品は「努力と根性」と書いたウェイトというのがあるが、本当に売っている。まだ高層ビルもなかったから、皇居が見えるくらいだったか。
夜の東京を走って旅館で一拍。部屋での記念写真がかなりくつろいだ雰囲気の写真で思いで深い。
翌日は羽田空港。川西にはすぐ南に伊丹空港があるのだから別に羽田空港は珍しくも何ともないのだが。まあお土産品を売っている店がそんなにないから寄ったという意味もあるのだろう。ここで僕はお土産として、写真を入れて首に掛けるロケットを買った。当然あこがれのTさんの写真を手に入れて入れるつもりで買ったのだが、とうとう写真は手には入らずじまい。旅行後、写真屋がスナップ写真の販売もやっているのだが、お金もなかったし、ばればれの写真を買うわけにもいかなくて結局手に入れられなかった。I先生が湖の岸辺で彼女の写真を撮っている現場に遭遇して、背景の中に紛れ込むことに成功したのだが、その写真を貰えないかと言いに行ったら変に勘ぐられてしまったのであきらめてしまった。唯一のチャンスではあったのだが。
帰りは品川操車場から集約列車に乗って帰るはずだったが、どういう事態に遭遇したのか一向にわからないが、そこで何時間も足止めされることに。おそらく4時間くらいはいたのではないだろうか。ひょっとしたら予定の列車に遅れて、急遽別の列車の手配をして遅れたのではないかと類推するのだが確証はない。まあとにかくなんとか無事に帰って来れた。

実はこの修学旅行から帰ったその日が英検の受験日だった。
初めての受験で、しかも修学旅行あけということもあって、5級の受験とかなり低めの級を受けたのだが、早朝に帰宅して少しだけ仮眠して受験会場に出かける。けっこう眠たくて途中で一度うつらうつらした時もあった。ちょっと聞き取りにくい問題もあったが、正解だろうと思われる時に全体がざわついたりしたのでそれに○をするという、ちょっと反則技も使ったが。
上の級だと会話とかもあるので、しゃべるのが苦手と言うこともあって上の級は受験しなかったのだが、結果として5級は楽々合格した。その後上のクラスは受験することもなかったが。