丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

高校の教師陣

2010年08月01日 | 個人史
1年の担任教師は物理の教師だった。自作の問題集を作っていて、その中からテスト問題が出題されていた。だからその問題集を購入しているとテストに実に有利だったが、買っていないととたんに不利だった。3学期に成績がやばくなったので、仕方なく購入したのだが。
この教師、1年の時に結婚された。クラスでお祝いをしようということになって、マムシドリンクをプレゼントする。良く効いたと言っていたが、その言葉通り、そのちょうど1年後には「二人目」の子どもが産まれたとか。どういうこっちゃ?

隣のクラスの教師は地理の先生。この教師は得意がロシア語。授業ではロシア語連発やら、ロシア旅行の話をしたりしていたが、大阪万博の時に本当にソ連館に行って担当のロシア人と話をして大行列を尻目に裏口から入場していた。

漢文の教師は趣味で自作の漢詩を作っていて、卒業時に希望者に自費出版の本をくれた。同窓会時に2冊目もいただいた。いまだに読めていない。

古文の教師は源氏物語をやっていて、性格悪い登場人物を「オニオコゼ」と呼び続けていたり、独特の授業でけっこう面白かった。教科書だけでなく、いろいろな教材をプリントして使っていて、原典を読みたいと本気で思っている。

倫理社会の先生は催眠術の魔術師。彼の授業で睡魔に襲われなかった者は一人もいなかった。5分ともたない。

日本史の先生は2年時の担任だったが、一風変わった授業内容で、「お茶の歴史」から始まり、外伝的な歴史をいっぱい扱い、知らぬうちに近代になり、明治時代は西園寺公望の日記を教材に使い、現代が過ぎれば古代になって「神武天皇は実在したか?」「邪馬台国論争とは?」など、日本史のはざまの話ばかりで、大学入試にはまったく役立たなかったが、それはそれなりに面白かった。

世界史の先生は、後に僕が教師になった時に新入生の親として再会するが、世界史は苦手だったので、卒業必要出席日数を取ったら授業に出なくなったので印象がない。

現代国語の教師の話は別項として扱いたい。

数学は毎年二人の教師が違う単元を平行して教えていた。名前のイニシャルで呼び分けて、「数F」「数f」とか、後に教育実習で来ていた先生がそのまま採用されて「数w」が出来、「数m」とかもあった。単元の分け方はわからない。いわゆる代数と幾何という分け方でもなかった。片方でまるでわからなくて15点だったときも、もう片方ではけっこうまともな点数だったり。単元によってムラが大きかった。当時TVで評判の子ども人形劇の主人公を使ったねずみ算からの出題もあったり、後の僕の作ったテスト問題の出題傾向に影響を与える。

芸術教科は選択制で入学時に希望で分かれる。音楽と美術と書道で、当然ながら音楽を取るが、1年の時だけの授業。これは附属中学の教師が附属中学の音楽教室を使って授業を行った。
最終的にテストは「赤とんぼ」の混声3部合唱だったのだが、混声四部合唱にしたいという生徒の希望があって、僕が四部に編曲することになった。しかし元々四部の局ならいざしらず、元々が三部でうまく調和するように出来ている曲を無理矢理四部に書き直したので、所詮無理はあったがなんとか編曲する。
で、合唱上の都合で、僕が二つのパートを歌い分けるはめになり、結果的にはテストとしては不利になったのではないか(つられたと判断されたかも?)と思ったのだが、どうだったか。
合唱でやった「小さい秋みつけた」のピアノ伴奏がとても素敵で、いまだにこの曲を聴くと伴奏に耳を傾けるのだが、あの時ほどの演奏にまだ会えてはいない。

体育はむしろ苦手でしかないのだが、なぜだか体育委員に選ばれてしまった。まあ体操だけは得意だからそれだけはこなせたが、後は苦手な場面が多くてみんなに迷惑をいっぱいかけてしまった。ちなみにプールはまだできていなかった。

英語は3科目あって、リーダーとサイドリーダーと文法作文と。英語は思いっきり落ちこぼれた。中学までの学習がまるで生きてこなかった。特に作文は大の苦手。タネ本を買ってきて合わせたがそのタネ本自体がひどい本でほとんど役に立たなかった。
サイドリーダーのの教師はエロ教師と呼ばれていて、まあ別に特に変ではなかったが、ある意味生徒から親しくからかわれてはいた。迷子犬が学校に住み着いていた時も、すぐに子どもを生み続けるので、その教師の名前で呼ばれていたりもした。
サイドリーダーでは教材になる本を使うと、誰かがすぐにその日本語本を見つけてくる。すると教師は途中でも辞めて別の本に変えるのだが、すぐに生徒は飜訳本を見つける。絶版本を使った時でも古本屋で見つけてきたりのいたちごっこの繰り返し。おかげで英語の短編集がいっぱいたまった。けっこうどれも面白く、推理作家のアガサ・クリスティーの名前を知ったのもこのおかげだった。もっともどの本も完読はしていないのだが。

ちなみにレベルが高い学校だったが、英語のリーダーの教科書が、僕の中学の卒業生の多くが進学した新設校と同じ教科書を使っていたのには少し驚いた。
この教科書は今でも残しているけれど、読む気にはなれていない。