丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

「ジローズ」のこと

2010年08月25日 | 個人史
関西のアマチュアフォークグループに「ジローズ」というのがいた。
杉田二郎、塩見大治郎、細野徹次郎の3人によるグループで、3人とも「ジロー」という共通の名前が入っていたことから命名される。
「あなたの世界」「まま子」などのヒット曲があり、関西では人気グループの一つだった。

フォークルが解散する時、端田宣彦がジローズのリーダーの杉田二郎に声を掛けて新しいグループ「シューベルツ」を結成することにした。実際には端田宣彦がフォークルに参加する時に、1年限定ということで、1年後の解散をめどにあらかじめ準備していたそうだが。
ということで、リーダーを失う結果と成ったジローズは困惑する。
新に「総次郎」という名前を持つ人物を見つけてきて、新生ジローズで活動を続けるのだが、中心だった杉田二郎を失った痛手は大きく、結局解散することに。

グループが解散となって塩見大治郎はあてもなく東京に出てくることに。そこで「ヤング101」結成の話を聞き込み、参加を申し込むが、オーディションはすでに終了していて断られることとなる。それでもあきらめきれない彼は担当者に必死に頼み込んで、追加加入を許されることとなる。
そんな苦労を経て自分の活動の場を見つけた彼だったが、後に番組ゲストにシューベルツがやってきて、杉田二郎と再会した時、番組内では旧交を温める姿が映されていたが、実際にはどんな気持ちでいたのだろうか、TVで見ていて、そんな気持ちを感じていた。

シューベルツが、メンバーの一人が急死するという不幸で解散した後、杉田二郎はフォークルのメンバーだった北山修とともに、1970年万博の全日本フォークシンガーズの企画に参加、テーマ曲の「戦争を知らない子供達」を作って成功させる。そして、自らがその曲を引っさげて再デビュー。「ジローズ」を再び名乗ることになる。
先のジローズとは違って、あえて「ジロー」の名前にはこだわらず、参加者として加わった人物に無理矢理改名させて「ジロー」を名乗らせる。改名させられた当人はどんな気持ちだったのか。グループ解散後、音楽関係で業界に残り、当然のごとく今は本名を名乗っているが。


そういうような裏事情を聞いているせいもあって、端田宣彦や杉田二郎にあまり良い感情を持っていない。