第7章 松島旅情
この日は松島巡り。
はじめから期待はしていなかったが、その予想通りであった。
ディスカバー・ジャパンという言葉がある。あの言葉も意味深である。再発見というのは、改めて見直そうという事だけど、そのためには、つまりはその土地を深く心に刻む事。すなわち、自分の物にしなければいけないんだ。早い話が、自分の思い出を作る事。去来抄でも、芭蕉の『行く春を近江の人と惜しみけり』をあげて言っている。古人の心と自分の思い出を合わせた心である。芭蕉にとって松島もそうであったろう。しかし僕には何も印象を受ける物はなかった。少なくとも2泊3日は住まないとだめだ。
そこで一句。
”松島に あるは苦の根と 松尾のみ”
苦と句をかけてみる。良い句が浮かばないという事。
僕にとって松島はゆきずりの風景にすぎない。
「ふるさとよお前は、憎い奴……(以下略)」
(高山ナツキ「ふるさとよお前は」)
旅館は男女別。男子ばかりだと、かくもひどいものなのだろうか、かなり乱れた空気である。旅館自体いかがわしい雰囲気。神経が参ってしまう。
廊下に大人のオモチャの自動販売機があった。100円を入れてハンドルを回すとカプセルが出てくる。何が出てくるのかは運次第だが、いずれもいかがわしいものばかり。
さすがにそんなおもちゃに100円を投じる物はいないのだが、誰かがその機械のハンドルをいたずらに回していると、なんとお金を入れていないにも関わらずハンドルが回ってしまった。当然おもちゃも出てきた。
それを伝え聞いた者達が機械に一斉に群がる事に。
翌朝、機械の前には「品切れ」の張り紙がしてあった。さもあらん。
部屋は大変狭い。どんな風に布団を敷いても二人はみ出してしまう。そこでY氏とジローには押し入れで休んでいただく事にする。
その夜は怪談話。恐ろしさの中で一夜を過ごす。
明くる朝、気がつくと上の押し入れで寝ていたはずのY氏が下で寝ている。わけを聞けば、墜落したとの事。しかも2回も。
この日は松島巡り。
はじめから期待はしていなかったが、その予想通りであった。
ディスカバー・ジャパンという言葉がある。あの言葉も意味深である。再発見というのは、改めて見直そうという事だけど、そのためには、つまりはその土地を深く心に刻む事。すなわち、自分の物にしなければいけないんだ。早い話が、自分の思い出を作る事。去来抄でも、芭蕉の『行く春を近江の人と惜しみけり』をあげて言っている。古人の心と自分の思い出を合わせた心である。芭蕉にとって松島もそうであったろう。しかし僕には何も印象を受ける物はなかった。少なくとも2泊3日は住まないとだめだ。
そこで一句。
”松島に あるは苦の根と 松尾のみ”
苦と句をかけてみる。良い句が浮かばないという事。
僕にとって松島はゆきずりの風景にすぎない。
「ふるさとよお前は、憎い奴……(以下略)」
(高山ナツキ「ふるさとよお前は」)
旅館は男女別。男子ばかりだと、かくもひどいものなのだろうか、かなり乱れた空気である。旅館自体いかがわしい雰囲気。神経が参ってしまう。
廊下に大人のオモチャの自動販売機があった。100円を入れてハンドルを回すとカプセルが出てくる。何が出てくるのかは運次第だが、いずれもいかがわしいものばかり。
さすがにそんなおもちゃに100円を投じる物はいないのだが、誰かがその機械のハンドルをいたずらに回していると、なんとお金を入れていないにも関わらずハンドルが回ってしまった。当然おもちゃも出てきた。
それを伝え聞いた者達が機械に一斉に群がる事に。
翌朝、機械の前には「品切れ」の張り紙がしてあった。さもあらん。
部屋は大変狭い。どんな風に布団を敷いても二人はみ出してしまう。そこでY氏とジローには押し入れで休んでいただく事にする。
その夜は怪談話。恐ろしさの中で一夜を過ごす。
明くる朝、気がつくと上の押し入れで寝ていたはずのY氏が下で寝ている。わけを聞けば、墜落したとの事。しかも2回も。