丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

豊中市の事

2010年12月23日 | 個人史
転居して、そして、さらに転居しても今も住んでいる豊中市は、大阪市と池田市に挟まれた北摂地区にある市である。人口約35万人。

池田市と川西市が猪名川という県境を流れる川を挟んで、共通する事柄が多いのでいわば姉妹都市のような関係があるように、豊中市も同じく猪名川を挟んで隣にある伊丹市との関わりが深い。
大阪空港は伊丹空港とも称するが、両市の間にまたがって位置している。ちなみに大阪空港の水道水は地下水を利用しているとかで美味しいという評判だ。池田市と川西市の水も猪名川から取っていて美味しく、水道水をそのまま飲めたのだが、豊中市では淀川から水を取っているのであまり美味しくない。

話を戻して、伊丹空港には伊丹から行く事は大変不便で、乗降口は豊中側にある。だから豊中側から行かないと飛行機には乗れない。敷地の多くの部分は伊丹にあるようなので伊丹空港と称するのだろうが。

豊中と伊丹で共通するのが、ゴミ処理施設を共同で利用している事。だから豊中と伊丹のゴミ分別方法は同じ。
ちなみにゴミ処理上のあるあたりは、弥生時代の遺跡があったところで、遺跡見学施設もある。

豊中市には「島」とか「津」という文字が入った地名が多い。弥生時代にはこのあたりは海で、島が浮かんでいたり、入江が多くあったようで、その名残が地名に出ている。だから貝塚もいろいろ発見されている。朝鮮半島からの渡来人も多くこの地に来たようで、服部という地名はその名残。

市内には服部緑地公園という大阪府内有数の緑地公園がある。もっとも阪急電車のもよりの駅は服部ではなくその隣の曽根であって、間違える人も少なくない。

豊中市は大きく分けて4つの地区に分けられる。
北部・中部・南部・千里地区

千里地区だけ離れている。地域的にも別のイメージがある。
豊中市民は多くの場合は阪急電車を利用して大阪市内に出るのだが、千里地区だけは北大阪急行を利用する。ここだけ文化圏が違う。
元々桃山台という地域があり、上新田という古い地の集落はあったのだが。新田小学校というのが明治の小学校で文化遺産になっている。奥地なので都会との交流は元々少なかった地域だが、万博で電車が開通し、急に開けた地域になる。ニュータウンが作られてモデル地区のようになったのだが、30年もたつとすっかりオールドタウンになってしまって、再開発が進められている。当時の子どもがそのまま住み着いて年取ってしまうのだから仕方がない。

北部地区は空港もあり、大阪大学もあり、開かれた地域でもあり、西国街道という豊臣秀吉の大返しに利用された道として歴史的な意味もあり、また「マチカネワニ」という恐竜時代のワニの化石も発見されて、市のシンボルにもなっている。
中部地区は市役所や市民会館もあって文化的な中心街か。
古代からも文化の中心だったようで、古墳群もあったり。大きな神社があって、樹齢何年というご神木が商店街のお店の中に突っ立っている。
南部地区は商業地域として有名ではあるが、やや雑多な地域でもあり、良く言えば飾りっ気がないというか、悪く言えばやかましい様相も見せる。若い素直な女の子は夜中には近寄らない方が賢明かも。飲み屋街も多く、そこの住民も世間慣れしている人が多い。

上流から下流までさまざま取り込んだ街というのが豊中の実態。