中学に入った時に、週間漫画雑誌とはお別れをした。
それまで少年サンデー、途中から少年マガジンを購読していたのだが、一切読むのを辞めた。
高校2年まで読まなかったのだが、高校2年になって復活した。
きっかけは、あの日本全国を揺るがした衝撃の漫画、「ハレンチ学園」だった。新聞などでそろそろ取り上げられ出した時、どんな漫画なのか興味本位で立ち読みをした。確かに衝撃的というか、それ以降作者の永井豪にはまってしまうのだが、購読はしないで、目当ての漫画だけを立ち読みするようになった。
そんな中、しっかりはまってしまったのが、真崎守という漫画家だった。
月刊少年週刊誌に連載されていた「ジロがゆく」という漫画にしっかりはまってしまった。連載の途中から読み出したのだが、僕の琴線のツボにど真ん中にきた。
以降、真崎守の作品をサガ島売る事になるのだが、後にこの「ジロがゆく」が第二回講談社出版漫画賞なるものを取った時には、やっぱりと思った。
お金が手に入るようになってから、単行本をいろいろ集めていく。
その後、全集が出る事になり、まあ中には僕には合わない作品もあったので、それを除いてすべて集めた。
「ジロがゆく」はいろんな雑誌でシリーズとして書かれていて、すべてを揃えるのもマニアとしての使命でもあった。
学習雑誌で1年間の連載にもなり、後に単行本の一部として出版されるが、書き換えられて出版されたようだった。先年、この学習雑誌連載版のオリジナルと単行本化の両者が比較として同時販売された。
真崎守は最初の頃は単純明快に青春の苦悩などを描いていたが、後になるとある種の宗教的な部分に踏み込んでいって、わかりにくいものになっていく。
ある作品でも、普通の単行本に収めた作品と、全集で出された作品では大きく内容が変えられていたこともある。同じ絵なのに違う台詞になっていたり。テーマを統一しようとしたために、かえって不自然に納めていたりとか。
そんなこともあったのか、志向が変化していったためか、真崎守は映像の方に移っていって、「佐武と市」のTV版をつくったりとか、従来の紙の作品からは離れて行ってしまった。
ある意味、高校時代から大学時代までまたがって、僕の意識を作っていった作家になる。
それまで少年サンデー、途中から少年マガジンを購読していたのだが、一切読むのを辞めた。
高校2年まで読まなかったのだが、高校2年になって復活した。
きっかけは、あの日本全国を揺るがした衝撃の漫画、「ハレンチ学園」だった。新聞などでそろそろ取り上げられ出した時、どんな漫画なのか興味本位で立ち読みをした。確かに衝撃的というか、それ以降作者の永井豪にはまってしまうのだが、購読はしないで、目当ての漫画だけを立ち読みするようになった。
そんな中、しっかりはまってしまったのが、真崎守という漫画家だった。
月刊少年週刊誌に連載されていた「ジロがゆく」という漫画にしっかりはまってしまった。連載の途中から読み出したのだが、僕の琴線のツボにど真ん中にきた。
以降、真崎守の作品をサガ島売る事になるのだが、後にこの「ジロがゆく」が第二回講談社出版漫画賞なるものを取った時には、やっぱりと思った。
お金が手に入るようになってから、単行本をいろいろ集めていく。
その後、全集が出る事になり、まあ中には僕には合わない作品もあったので、それを除いてすべて集めた。
「ジロがゆく」はいろんな雑誌でシリーズとして書かれていて、すべてを揃えるのもマニアとしての使命でもあった。
学習雑誌で1年間の連載にもなり、後に単行本の一部として出版されるが、書き換えられて出版されたようだった。先年、この学習雑誌連載版のオリジナルと単行本化の両者が比較として同時販売された。
真崎守は最初の頃は単純明快に青春の苦悩などを描いていたが、後になるとある種の宗教的な部分に踏み込んでいって、わかりにくいものになっていく。
ある作品でも、普通の単行本に収めた作品と、全集で出された作品では大きく内容が変えられていたこともある。同じ絵なのに違う台詞になっていたり。テーマを統一しようとしたために、かえって不自然に納めていたりとか。
そんなこともあったのか、志向が変化していったためか、真崎守は映像の方に移っていって、「佐武と市」のTV版をつくったりとか、従来の紙の作品からは離れて行ってしまった。
ある意味、高校時代から大学時代までまたがって、僕の意識を作っていった作家になる。