丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

紀行文「奥の舗装道」第9章

2010年12月04日 | 個人史
第9章 僕の旅は小さな叫び

16日。今日からバスにガイドがつく。
今まで旅行会社の手落ちで付いていなかったのだが(3組では地理の先生がガイドしていた。毎夜、クラスの修学旅行委員が予習してたりもした)、これで社内が白けないで済む。もっとも急遽やってきたバスガイドという事もあり、学校名を正しく言ってはもらえなかったり。少々ややこしい校名の我が校と言う事もあって、某教師の弁では、正確に呼ばれないのはうちの学校の宿命だとか。
次に行くのは小岩井農場。
岩木富士がきれいに見える。時々遠くから駒ヶ岳の鳴き声が聞こえる。

農場と言うだけあって、広い野原。馬もいればヘリコプターの飛んでいる。みんな羽を得た鳥のように飛び回る。でもやはり何かさえない。

昼、ジンギスカン料理。
旅行前から一番いやだった時間。僕は基本的に牛と鯨の肉以外は食べない主義(後に豚肉も食べるようにはなったが)、というより、口に入れてものどを通らない。それで心配していたのだが、案の定食べられない。一口、口にしただけでもうだめ。この日はご飯だけを食べて早々と外に出る。
それで一人馬に乗る。けっこう良い気持ちではあった。でも一人はつまらない。

 『明日になれば 明日が来るのか……(以下略)』
      (吉田拓郎「僕の旅は小さな叫び」)

移動中のバスの中では新米バスガイドをからかったり。池田と言ってもわからないので、丹波篠山の近くと冗談を言ったのだが、篠山なら知っているという。池田がどれだけ田舎だと思われたことやら。

八幡平に着く。かなりきれいでもあり、かなり俗っぽくもあった。日光の外人好みのキンキラキンに嫌気がさしたことがあるが、似たような気分になった。

北国のせいか少々寒い。
発荷峠で停車。ますます寒い。見下ろせば十和田湖。とうとう来たのです。
旅館は一軒屋。外に買い物に行けるような所もない。とにかく寒い。よけいに出たくない。