未来への絆 【江戸っ子畳職人物語】

この物語は畳の仕事や日々の暮らしを通し
      家族の愛と信頼を
  余すところ無くブログ化したものでる。

浅草橋災害ボランティア隊

2011年07月13日 23時51分52秒 | ボランティア

平成23年7月9日10日浅草橋の有志からなる第二回ボランティア隊に参加し、被災地の宮城県

石巻市に、災害支援ボランティアとして参加をいたしました。震災以降、自分の中で、何か

出来ないかを模索し続け、自分なりに出来ることを、行動してきました。

でも、心の中で、もっと何か出来ないか?ともやもやしていたところ、前回参加された方と

お話をする機会を得ました。震災からまもないころ、被災地で活動したことを、自分の目で見てきた

事を、私に話してくれました。今まで、東京でもやもやしていた私に、大切な事を教えてくれました。

「経済も大事だけど、今はまず普通にくらせる状況にする方が先。経済はその後でも良い。

自分たちは普通に眠れるけど、ゆっくり眠れない環境があることを、知ってほしい」

第一回目の活動では、実際に、被害をうけたお宅にお邪魔し、大変な環境化の中で

清掃や片付けをされてきた、生の声を、私に語ってくれました。

自分にも何か出来るのではないか?そんな思いが強くなり、第二回の活動に参加を決意しました

一日目 7月9日(土)

8日(金)の晩に総勢31名 浅草橋をバスで出発し、一路石巻市に向かった。

未だ、震災で受けた影響か、道路はだいぶ荒れた環境だと感じた。前回行かれた方は、これでも

だいぶ良くなったとの話もあった。地震の影響を強く感じた。

朝方、東北道の古川インターにおり、石巻専修大学にあるボランティアセンターを目指した。

その日の行動は、当日にならないと、判らないとの事で、どのような作業になるか判らなかったが

濡れた畳の撤去が非常に困難との話をきいて、畳屋さんの商売道具でもある手カギ

(ひっかけて畳を持つ道具)を10本用意し、ボランティアセンターにお渡しした。

すっかり朝になり、照りつける日差しに、作業の過酷さを理解した。

浅草橋ボランティア隊におりた指令は、地元の方と一緒に道路の側溝のヘドロ(泥出し)を

どのうにつめ片付ける作業になりました。東京とは違い、現地の側溝は、コンクリートが

一枚一枚、剥がれるような、仕組みになっていて、溝の深さは30センチ位。その半分以上が

ヘドロで埋まっていた。このままでは、水の流れが悪くなるばかりか、大雨でもふったら、水が

あふれてしまうために、防ぐためにも、三班に分かれて、作業にあたった。

当日は5団体180名からなるボランティアが、側溝の泥だしにあたっていた。

作業は、炎天下の中、少しずつ少しずつ休憩をとりながら進んでいった。

そんな中、地元の方に、大変によくして頂、心から感謝の気持ちがあふれた。

暑い中での作業でしたので、氷や飲み物、塩分をとるために、よーく冷えた塩分のきいた

きゅうりの味は、忘れられません。本当にありがとうございました。全員で協力して作業しその日の

作業を終えました。非常に暑かったけど、地元の方と一緒になって泥を出し成果を得たことに

一部の満足感と、津波で被害を受けた地区にはまだまだ、ヘドロを撤去しなくてはいけない場所が

あるとのこと、その規模の大きさや人がいくらいても足りない現実を感じました。

作業を終え、石巻市の海岸付近を通ったとき、私はこの活動で、地図を用意していたのですが

その地図に書かれていた、様々な、場所、会社、建物。みんな無くなっていた現実に表現する言葉

を失い、天災に対する怒りや、恐怖がこみ上げてきました。実際に目にする現実は非常に厳しく

テレビなどを通じて見る世界観とは、まるで違っていました。実際にこの目で見た光景を心に強く

焼付け、その日の宿に向かい、一日を終えた。

二日目 7月10日(日)

照りつける朝日が、本日の作業の過酷さを感じ取り、少しでも、お役に立てるように、頑張る

決意をし二日目の作業にあたった。この日は石巻市でも35.6度の猛暑日で容赦なく

照りつける日差しを受けながらも、みんなで協力して、前日同様に、道路の側溝の泥だしに

あたっていた。そんな中、三陸沖での地震が発生し津波注意報まで発令された。

的確なリーダー達の指示のもと、近くの建設中のビルに落ち着いて避難した。

次々と錯綜する情報のなか、みんなで落ち着いて対処が出来た。

又、この際に、地震が与えた恐怖を、別の意味で感じ取る出来事があり、詳しくは書きませんが

この震災が与えた、恐怖という現実を感じました。活動の中止の指令が下り

作業が途中での避難のため、少数精鋭での現場の収束に、又戻りました。

作業が完遂出来ないことが、非常に残念と地元の方に、申し訳ない気持ちで一杯でしたが

帰り際に、地元の方に

「今度はボランティアじゃなくて、この石巻に遊びにおいで」声をかけて頂いた。

正直泣きそうになった。作業が出来ず、ご迷惑をおかけしても尚、こんなにも優しい言葉を

かけてくれた地元の方の声や、そのときの顔は、一生忘れないと思います。

ありがとうの気持ちで一杯になりました。

私が感じた、被災地での現実は、まだまだ相当な時間や、人の手の力が必要だと切に

感じています。今回参加したことにより、被災地の現実に、微力ですが、寄り添う事が出来ました

だけど、又ここからが、寄り添う気持ちのスタートでもあると感じています。

感じ得た現実を、自分なりに考え、自身の気持ちで行動していきたいと考えています。

今回、ことこまかに綴ったことも、読まれた方が、自分なりの気持ちで、被災地に寄り添う事が

出来れば、本望です。

家族には心配をかけたけど、行く前にも子ども達に伝えました。

気持ちを感じ、気持ちで考え、気持ちで行動する人になることを、これからも教えて行きたいと

感じています。最後になりますが、優しく迎えてくれた地元の方。今回、私に話をしてくれた先輩。

私たちの事を考え、行動し常に支えてくれたリーダー達に、深く感謝致します。

本当にありがとうございました。

そして気持ちで寄り添い続け、復興した石巻に必ず遊びに行きたいと思います。

P.S

写真は撮りませんでした。いつか、リーダーの撮影したものをご紹介できればと考えています。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした (サナエ)
2011-07-16 12:20:01
ボランティアに参加したのね。
お仕事もあるのに、本当お疲れ様でした!
TVなどは一部しか放送されないけど、
現状はもっと大変だと言うことが分かりました。
普通に生活出来ている事、感謝です。

実は母方の実家が岩手県で、親戚もいます。
大した被害はないけど、一度生きたいと思います。
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心配ですね!! (四代目)
2011-07-19 00:08:15
サナエ先輩

コメントありがとうございます。
お気遣い頂き、感謝です。

読んで頂いただけでも、重ねて感謝です。

>普通に生活出来ている事、感謝です。

本当にそう思います。又、感謝することを忘れてはいけないとも感じています。子供たちにも必ず伝えたいです。

ご親戚の方、とても心配ですね!!
先輩とお会いして元気をお伝えできればいいですね!!

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