
沖縄・尖閣諸島沖で、中国漁船が日本の巡視船を追逐し衝突した映像をインターネット上に公開した人物が10日、名乗り出ました。海上保安庁から告発を受けた警視庁捜査1課は昨日、沖縄県警との合同捜査本部を設置した矢先のことです。
国会やメディアは、そのことで賛否議論が噴出しているので、何方もご存知でしょうし、月光仮面が現れたと、当意即妙な表現をした著名な方もおられる位ですから、現政権に対する逆風は勢いを増すばかりのようです。
さて、写真の書は山岡鉄舟が書いた「徳」です。
鉄舟がこの書を認めた意図がなんであったのかは図り知ることが出来ませので、「字通」(白川静著・平凡社刊)に当ります。
徳は、得も同音とあります。
そこで、へそ曲がり元気印の勝手気ままな判断で、その双方から熟語を選んでみます。
徳義(とくぎ):道徳と正義
得民(とくみん):民心を収める
得罪(とくざい):罪を受ける
ここからは、明治天皇と鉄舟の話です。
鉄舟のエピソードを漁っていて『文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新』(文藝春秋編)の目次に「人間・明治天皇」があり、山岡鉄舟は名だたる剣客だった、の書き出しに魅せられて購入しました。
そこから、明治天皇の君意(くんい:天皇の意向)に迎合しなかった鉄舟を引用します。
『陛下がまだお若い時のこと、お夕食に鉄舟と某侍従とが御用をしていた。陛下は盃をお手に某侍従に、「わが日本もこれからは、法律で治めなければいけない」とおっしゃった。某侍従は「国を治める大本(おおもと)は道徳にあるかと存じます」とお 答えする。陛下は「いや、それは昔のことだ、今の世に道徳などは何にもならぬ」とおっしゃる』
君意に対して某侍従が抗弁するような訳で、自然一場の議論に発展すると、興に添った陛下は鉄舟に「山岡の意見はどうか、わたしに賛成か不賛成か」とおっしゃり、鉄舟はここではじめて口を開きます。
『おそれながら日本を法律だけで治めようとなされば、人民は皇大明神を拝まないようになろうと存じます、とお答えした。これには陛下もぐっとおつまりになったらしい。見る見るお怒りの御様子をお示しになり、さらに大盃で幾盃かお重ねになった上で、「山岡、相撲一番来い」とおっしゃって、つとお立ち上がりになった』
なおも陛下に厳しく迫られても「おそれ入ったことでございます」と、鉄舟は平身低頭します。
これ以降の話は、明治天皇を投げ飛ばしたとされる鉄舟の相撲逸話で喧伝されているので省略します。
ちなみに、ここに引用した明治天皇と鉄舟の話は、入江相政(いりえ・すけまさ)が、文芸春秋の昭和41年1月号に発表した一文です。
この一文を引用したのは、僭越とは思うのですが、このブログに引用した範囲内での明治天皇は今の内閣や海上保安庁であり、映像をインターネット上に流した人物は、鉄舟に譬えてもおかしくはないからです。
映像をインターネット上に公開したと名乗り出た人物は、日本の法律に従って逮捕した漁船の船長達を裁判も開かないまま釈放する是非を問い、しかも、国家公務員法違反者として告発した自らが所属している組織の理不尽な行動へ徳義を質しているのでしょう。そして、本事件に対する日本人の得民をほぼ得られた今、国家公務員の守秘義務の有無を判断する秘密性が問われている映像をネット上に掲載したとしても、その人物は得罪の心境にあるのではないでしょうか。
なにはともあれ、鉄舟の剣の腕を試そうと御殿の中でいきなり木刀で斬りつけ見事に受け返され、国を統治する考えを問うて、鉄舟の鋭い返答に立腹して相撲を強要する明治天皇と鉄舟とのやり取りには、感慨深いものを感じます。特に、明治天皇は自分の行き過ぎた言動をすぐに認めても、それの実行を強要した鉄舟とは刎頸の交わりを深めていきます。
二人の言動には、政(まつりごと)における徳義や得民とは何かを考えさせられています。
国会やメディアは、そのことで賛否議論が噴出しているので、何方もご存知でしょうし、月光仮面が現れたと、当意即妙な表現をした著名な方もおられる位ですから、現政権に対する逆風は勢いを増すばかりのようです。
さて、写真の書は山岡鉄舟が書いた「徳」です。
鉄舟がこの書を認めた意図がなんであったのかは図り知ることが出来ませので、「字通」(白川静著・平凡社刊)に当ります。
徳は、得も同音とあります。
そこで、へそ曲がり元気印の勝手気ままな判断で、その双方から熟語を選んでみます。
徳義(とくぎ):道徳と正義
得民(とくみん):民心を収める
得罪(とくざい):罪を受ける
ここからは、明治天皇と鉄舟の話です。
鉄舟のエピソードを漁っていて『文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新』(文藝春秋編)の目次に「人間・明治天皇」があり、山岡鉄舟は名だたる剣客だった、の書き出しに魅せられて購入しました。
そこから、明治天皇の君意(くんい:天皇の意向)に迎合しなかった鉄舟を引用します。
『陛下がまだお若い時のこと、お夕食に鉄舟と某侍従とが御用をしていた。陛下は盃をお手に某侍従に、「わが日本もこれからは、法律で治めなければいけない」とおっしゃった。某侍従は「国を治める大本(おおもと)は道徳にあるかと存じます」とお 答えする。陛下は「いや、それは昔のことだ、今の世に道徳などは何にもならぬ」とおっしゃる』
君意に対して某侍従が抗弁するような訳で、自然一場の議論に発展すると、興に添った陛下は鉄舟に「山岡の意見はどうか、わたしに賛成か不賛成か」とおっしゃり、鉄舟はここではじめて口を開きます。
『おそれながら日本を法律だけで治めようとなされば、人民は皇大明神を拝まないようになろうと存じます、とお答えした。これには陛下もぐっとおつまりになったらしい。見る見るお怒りの御様子をお示しになり、さらに大盃で幾盃かお重ねになった上で、「山岡、相撲一番来い」とおっしゃって、つとお立ち上がりになった』
なおも陛下に厳しく迫られても「おそれ入ったことでございます」と、鉄舟は平身低頭します。
これ以降の話は、明治天皇を投げ飛ばしたとされる鉄舟の相撲逸話で喧伝されているので省略します。
ちなみに、ここに引用した明治天皇と鉄舟の話は、入江相政(いりえ・すけまさ)が、文芸春秋の昭和41年1月号に発表した一文です。
この一文を引用したのは、僭越とは思うのですが、このブログに引用した範囲内での明治天皇は今の内閣や海上保安庁であり、映像をインターネット上に流した人物は、鉄舟に譬えてもおかしくはないからです。
映像をインターネット上に公開したと名乗り出た人物は、日本の法律に従って逮捕した漁船の船長達を裁判も開かないまま釈放する是非を問い、しかも、国家公務員法違反者として告発した自らが所属している組織の理不尽な行動へ徳義を質しているのでしょう。そして、本事件に対する日本人の得民をほぼ得られた今、国家公務員の守秘義務の有無を判断する秘密性が問われている映像をネット上に掲載したとしても、その人物は得罪の心境にあるのではないでしょうか。
なにはともあれ、鉄舟の剣の腕を試そうと御殿の中でいきなり木刀で斬りつけ見事に受け返され、国を統治する考えを問うて、鉄舟の鋭い返答に立腹して相撲を強要する明治天皇と鉄舟とのやり取りには、感慨深いものを感じます。特に、明治天皇は自分の行き過ぎた言動をすぐに認めても、それの実行を強要した鉄舟とは刎頸の交わりを深めていきます。
二人の言動には、政(まつりごと)における徳義や得民とは何かを考えさせられています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます