いきけんこう!

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元気印シニアとの対話。

トルコ10日間のたび その8:トルコ地震と建物の構造

2011-10-25 22:36:43 | 時の話題
イスタンブールを発ったバスは、ヨーロッパ側のゲリボル半島に位置するゲリボル市へ向かいます。そこから、ダーダネルス海峡をフリーでアジア側のチャナッカレに渡りトロイへ至る順路になります。

写真の家は、2年前の12月2日朝8時、イスタンブール市内のホテルを発ってからのことですから、記憶は定かでないのですが、デジタル写真の記録から逆算して推測すると、イスタンブールを出て2時間位のところのようです。
煉瓦を積み上げて建てている家のような見えたので、旅の思い出に撮ったものです。



バスは、12月5日7時30分にコンヤからカッパドキアを目指して220kmの旅に出ます。
途中、キャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄り20分の休憩後には、再びバスの長旅が待ち受けています。
スルタンハーヌの隊商宿を過ぎてバスの左手に建築途上のビルが見え始めます。
鉄筋を入れた支柱が建物の周りにあるのですが、強度的に大丈夫かな、と思いながらシャッターを切った覚えがあります。



建物の骨組みがほぼ完成した建物は、キャラバンサライに着く60分ほど前の住宅地にあったものです。



8階建てのビルになると日本では支柱と支柱の間に筋交(すじかい)を入れて強度を持たせる工法が一般的です。トルコでは、耐力壁や床で建物の強度を持たせているか否かに関しては、建築基準を調べていないので解りませんが、防振や耐震への備えは決められている筈です。

10月23日午後1時40分(現地時間)ごろ、トルコ東部でマグニチュード(M)7.2の地震が発生し、ワン周辺で建物10棟、エルジシュンで25~30棟がそれぞれ倒壊し、多数の死傷者が出た。緊急に支援が求められている。
このメデイア報道が契機になり、「10日間トルコのたび」で撮った建物を思い出し、デジタル写真を引っ張り出す羽目に。そんな、次第です。

昨年3月に東部エラーズ県でM 7.4 の地震があり41人が死亡。1999年8月には、北西部のM7.4の地震では、1万5千人以上が死亡している、とも報道されています。

今回の地震と写真のような構造の建物との相関関係は、素人判断できません。
日本は今、3月11日の東日本大震災に悠然と立ち向かい、一人ひとりが力を出し合い協力することで、日々前進しています。日本とは縁の深いトルコが、一日も早く立ち直ることを祈念します。

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1 コメント

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Unknown (Ohwaki)
2011-10-26 00:36:00
写真で見ると、地震国トルコにしては脆弱な感じがします。素人の感じです。
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