いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

新鮮な岡田准一に惹かれてSP野望編を観る

2010-11-26 10:34:25 | 時の話題
その映画を観るかどうかは、監督、脚本がだれであるかで判断している元気印。それから、主人公はだれが演じているのかを観て、映画館へ足を運んでいます。あの淀長(淀川長治)さんの影響もあります。
日本映画ベスト○○、キネマ旬報ベスト○○などで評価された作品を持っている脚本家、監督が係わっている映画は、元気印にとって期待通り楽しみ味わい深いものが多いので、今もその習慣は変わっていません。
出演者の人気や世評に誘われ観賞しても失望する映画が多いようなので、だれの脚本をどの監督がメガホンをとったかを確かめてから劇場へ出向きます。

ところが、勤務が非番日の時に「笑っていいとも」に出ていた岡田准一とタモリとの対談を聴いていて、彼は芸能界の垢に染まっていない役者、そんな新鮮さを感じたのです。

お馴染みのポスター張りでは、公開予定の映画ポスター(写真はガイドブックの表紙)が印象に残っていたのでしようか、ついつい「SP野望編」を観てしまいました。どんなスタッフの映画かなどなど、一切お構い無しにです。

SP野望編は、3年前の毎週土曜日23時10分からフジテレビ系で放映されたテレビドラマの映画化でした。こんな予備知識もないまま映画を観たのですが、映画の冒頭から劇場内に向かって強烈なエネルギーを爆発させる映像、アクションの迫力に圧倒されてしまいました。

また、アカデミー賞視聴覚効果賞を獲得した「エイリアン2」、「ターミネータ2」で駆使した「プレ・ビジュアリゼーション」は、SPが警備する会場の雰囲気を盛り上げ、岡田准一のアクションへと流れるストーリー展開に融合した映像に堪能しました。ここでは、波多野貴文の演出者としての手腕が存分に振るわれており、穂垣順之助の編集センスが心憎いまでに活かされています。

プログラム・インタビューで岡田准一は、次のように語っています。

「アクションって、実は相手と密にコミュニケーションを取ってないとできないんです。相手の顔に向けて棒を振り下ろしたりするわけですから。お互い信頼し合って、この人は絶対避けてくれるって信じなければ、思い切りできない。だから本番前にはハグして「せーの!」って言ってお互い呼吸を合わせたりしていましたね」

岡田准一は「笑っていいとも」で、フイリピン武術「カリ」の稽古をしている話をしていました。

オリシという60cmほどの短いラタン(強靭な茎を持つ籐)製の棒を使う技、ダガという両刃の短剣での武闘技を特徴としているフイリピン武術「エスクリマ」のひとつのようです。

ご存知のように、フイリピンにはタガログ族、イパナグ族、ビサヤ族など6部族がおり、それらの部族は固有の武術を持っているようです。
例えば、イパナグ族は「パグカリカリ」と呼ぶ「武装した者同士の決闘」を意味する武術が、ビサヤ族には、「紛争を解決するための決闘」を意味する「カリラドゥマン」を武術としているようです。つまり、争いの決着をつける決闘で使われている武術のようです。
岡田准一がタモリに話していた「カリ」とは、「パグカリカリ」や「カリラドゥマン」から派生した武術のことでした。

エスクリマの特徴は、次のような解説がなされています。

 ★素手を使った技術
 ★ナイフを使った技術
 ★短棒を使った技術
 ★2本の短棒を使った技術

SP野某編のアクションは、それらの技を格闘技に取り入れて、臨場感・緊迫感を高めています。
ナイフと短棒を用いたアクションには、ために演じている気配は全く感じられず、臨場感に満ち溢れていました。主演の岡田准一が「カリ」や「ジークンドー」のインストラクター免許を持っていることがアクション効果を倍加しています。

ちなみに、「燃えよドラゴン」でブルース・リーがエスクリマを演じているようです。
この映画の格闘シーンで印象に残っているのは、ヌンチャクを武器にしたアクションで、リーの代名詞になっていますが、エスクリマではなかった。短い棒を使った技術を指しているようです。
ヌンチャクは、琉球の古武術で使用される武器であることだけを記しておきます。

アクションが話題の主題になりました。
映画の面白さは、それを観た人が決めることなので、十人十色の感想・評価になるでしょう。
SP野某編では、話の途中あたりである映画を連想したので、そのことを書きます。

マーティン・スコセッシが監督・製作した「デーパテッド」は、「インファナル・アフェア」をリメイクしたハリウッド映画で、2006年のアカデミー作品賞を受賞しています。
オリジナル3部作に書かれている美味しい話を1本の脚本に纏め上げて、第79回アカデミー賞・作品賞を獲得する作品に仕上げたスコセッシ監督。外国映画をリメイクした作品がアカデミー賞を受賞したのは、史上初の快挙ですから、さすが映画人です。

香港ルノワール作品「インファナル・アフェア」は、ストーリーの結末が1作で描かれ、その結果をもたらす原因は続編となる2作で描いた脚本の素晴しさに、スコセッシは惚れ込んだのでしょう。
その一方では、アンドリュー・ラウ監督が「無間道」の原題に込めた意図は、映画のタイトルバックで歌われる主題歌の歌詞で訴えているので、何方もご存知でしょう。

 仏陀いわく
 無間地獄に死はない
 長寿は無間地獄の
 最大の苦しみなり

 どうすれば
 地獄から抜け出せる
 苦しみを忘れ去りたいのに
 極楽への道はあまりにも遠い

 涅槃経 第19巻
 八大地獄の最たるものは
 無間地獄という
 絶え間なく責め苦にあう
 ゆえに そう呼ばれている

 笑って大空を眺め
 いつか運命をくつがえそう
 お前は お前
 俺は俺の道を行く
 ほほ笑みの陰で
 心に葛藤が渦巻き
 道が道を滅ぼし
 人は操られていく

これは、「インファナル・アフェア」のタイトルバックに流れてくる主題歌の歌詞から、ほんの一部を書き出したものです。

死のない無間地獄の中で悪戦苦闘するヤン(マフィアに潜入した捜査官)とラウ(警察に潜入したマフィア)は、笑って大空を眺め、いつか運命をくつがえそう。お前は、お前。俺は俺の道をと意地を張って突き進むふたりの先に待ち構えていのは・・・・・。
人は、心に渦巻く葛藤に操られて生きて行かざるを得ない、道が道を滅ぼすしかないのでしょうか?

この主題歌を聴き歌詞を読んでいると、ヤンとラウ、彼らを取り巻く人達が背負っている運命とか宿命のようなものを象徴していることを痛感するし、この映画でラウ監督が訴えている、人の心に潜んでいる闇の世界の奥深さと格闘せねば生きられない人の業のようなものの恐ろしさに震え上がります。

余談です。
歌詞で特定した涅槃経(ねはんきょう)は、あまりにも有名な名前に反比例して、その中身が知られていない希有な経典のようです。お釈迦さまの教えを知る基本仏典が涅槃経なのに(田上太秀著:涅槃経を読む)。

SPは野望編と革命編の2部作から成り、後者の撮影も前者と併せて行われていたようです。
前者で描いていない秘密も後者では明かされるようですから、野望編の途中で「インファナル・アフェア」を連想したのかもしれません。

どちらにしても、SP野望編はキャステイングが見事です。
個性溢れる俳優を揃えているのも、見所のひとつ。スタントマンに任せないでアクションを演じる岡田准一はもとより、堤真一、野間口徹が印象に残ります。時の話題になっている俳優・香川照之は与党の幹事長を演じるなど、ご贔屓の役者がどのように役柄を表現しているか・・・。
それを酒の肴にして映画オタクと楽しめる映画でしょう。
SPが所属している警視庁警備部警護課第四係は、緊張する職場に設定にしてあるので、息抜きに配置した平田敦子がいい味をだしています。

他方、高視聴率をたたき出したテレビドラマの映画化ですから、「インファナル・アフェア」に感じた映画人の心意気をSP野望編に期待する元気印はお門違いだし、SPが命がけで警備する相手が内閣官房長官です。その積りで観るなら革命編に期待が湧いてきます。

ところで、どこかの国の官房長官は、自国の国益を守るための危機管理意識を持っていないなどと毎日、国会の予算委員会で野党の代議士から袋叩きにされても「柳腰答弁」を繰り返しています。
そうなんですよ。
国益を損なっても、柳腰外交と称してその認識が全く感じられない官房長官が世間の話題になっている時にSP野望編が公開されています。生命がけで任務を遂行するSPの責任感に共感はしても、そんなやつほっぽっておけ、と言いたくなるのは、凡人の人情でしょう。

「SP野望編は、元気印が言うような薄っぺらな人情話ではありません。スタッフやキャストに対して失礼千万な感想ですよ」

元気印の「やぶにらみ」感想に、ボケ封じ観音さまの喝が入ります。

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