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アムールトラが運動したり遊んだりする放飼場(ほうしじょう)の回りは、細い鉄棒を格子状に組み金網を張った柵で囲まれています。
『トラがお尻を向けたら注意しましょう』
「もうじゅう館」でライオンを観た時、ガラス窓越しに直進して来た雄ライオンは、元気印の方へくるっとお尻を向けると水鉄砲のごときションベンを窓にかけ、分厚いガラスは、ドスン、ドスンと音を立てて耐えていたんです。
注意を促す看板の現実に直面です。
道産子が山親父と呼ぶヒグマを横目に観ながら進むと手書きの解説板があり、ユキヒョウのゴルビーとプリンが写真入りで紹介されています。
ヒヨウの仲間の中でも美しいと、希少価値が高い毛皮をもつユキヒョウは、檻の中から通路を見上げています。
野生の生息数は、密猟などで1,000頭までに減少したのですが、今は5,000頭までに回復したとされ、絶滅危惧種にも指定されています。
日本の血統登録は札幌市円山動物園が担当しており、そこで生まれたプリンが、旭山動物園でゴルビーと暮らしていたのです。
東山動物園(名古屋市)生まれのゴルビーは17歳のオス、プリンはゴルビーと同じ年。円山動物園生まれのメスで17歳と書かれていますが、どちらに対面したのか判りません。
ニコンD80に映っているユキヒョウをモニターで確認して何気なく頭上を見上げると・・・。
「恐れ入谷(いりや)の 鬼子母神(きしぼじん)、でしたね。元気印さん」
「男は度胸で女は愛嬌 坊主はお経で、学生は勉強、庭で鶯ホーホケキョウ、と啖呵を切りたいところですが、ライオンのションベンのこともあって、それどころじゃあ~ありませんよ」
旭山動物園の隠れた名物に「手書きで情報を発信する解説看板:ふむふむパネル(以下、パネル)」があります。
『アムールヒョウ
アテネ・オス・4歳『兄弟』キン・オス・4歳 <広島>安佐動物園生まれ』
と、紹介してあるパネルには、名前の上に写真が添えてあります。
堂々とした風情を漂わせ、頭上に構えていた鬼子母神はアムールヒョウ(写真)でした。
彼は名乗らなかったので、アテネかキンなのかは定かでありません。
ところで、アテネとキンの「ひいおじいちゃん(曾祖父)」は、ビッグです。
ビッグは、21歳の時に旭山動物園で死んでいます。平成19(2007)年7月15日のこと。その3日後、ホッキョクグマのハッピーが死んでいます。25歳のメスです。
『現在、国内でアムールヒョウを飼育している園館は、たったの3園。
国内で繁殖した個体は、みんなビッグとエイラの子孫になります。
なので、ビッグはアテネとキンの「ひいおじいちやん」にあたります。
血はつながっていますが、もう、オス対オス。一緒にすると闘争のおそれあり。
今は、ビッグとアテネ・キンを交代で外に出しています』
ビッグが生きていた時のパネルです。
ビッグとエイラの子・サクラが神戸市立王子動物園でタマコを生み、広島市安佐動物公園に嫁いだタマコは、アテネとキンの母親になったのです。そして、アテネとキンは安佐動物公園から旭山に里帰りをしたことも、家系図を用いて説明されていました。
開園当初からいたサムが昭和56(1981)年に死んだので、アムールヒョウの飼育を熱望していた旭山動物園。昭和63(1988)年に入り、2頭のアムールヒョウが旭山へ来園します。
旭川市民に愛称を募集した結果、ヘルシンキ動物園(フインランド)の彼はビッグ、センターヒル動物園(アメリカ)の彼女はエイラと命名されました。
彼女は平成14(2002)年に先立っているので、ビッグは曾孫と暮らしていたことになります。
親が子供を育てた自然繁殖を対象にした繁殖賞があり、旭山動物園が受賞対象になった動物は、ホッキョクグマとアムールヒョウです。
後者は、ビッグとエイラが来園してから3年後の3月11日に繁殖したことが対象になっていると思い込んでいる元気印は、この時生まれたサクラが、神戸市立王子動物園へ嫁いでアテネ、キン兄弟の母・タマコを生んでいることを既に書きました。残念ですが、タマコはこの世にいません。
それはそれとして、ビッグは幸せなアムールヒョウでした。
アムールヒョウの平均寿命は、おおよそ15年といわれていますから、21歳まで生きて、曾孫と4年間に亘って一緒に暮らしていますから、大往生でしょう。
さて、平成19(2007)年2月~3月、ニューヨーク動物園の野生動物保護部会(WCS)などが行った調査によると、現在生息している野生アムールヒョウは25~34頭と報告されています。
7年前の生息数が22~28頭、4年前は28~30頭ですから、生存に必要とされている100頭以上の生息数には遠く及びません。
これは、東京都の2.3倍に相当する5,000平方キロの領域に設けた158カ所以上の調査ポイントで確認されたアムールヒョウの生息数なのです。
ユキヒョウと同じように絶滅危惧種に指定されていますが、アムールヒョウ一頭が普通に暮らし子孫を残すには、シカなどの草食動物が十分に生息できる状態のよい
500平方キロの森林が必要である。これは、アムールヒョウが生きてきた本来の環境である、とする学者の指摘です。
「一方、平成14年7月時点では、世界の動物園にいるアムールヒョウは224頭。
すでに動物園にいるアムールヒョウのほうが野生よりも多くなっているのだ。そのほとんどが、動物園生まれである。絶滅に瀕している動物に関しては、とくに動物園での繁殖が期待されている」(動物と向きあって生きる:坂東元著 あべ弘士絵)。
先に書いたアテネとキンのルーツを説明したパネルに込められたもうひとつの伝言です。
「もうじゅう館」の行動展示に話を戻します。
見学者が見上げる頭上は、アテネやキンにとって昼寝をする場所にしか過ぎないのです。
夜行性のネコ科の動物は、昼間はたいてい寝ている。また、自分が上にいるときは優位に立っているとの感覚を持ち、木に上る習性のあるヒョウなどは、特にその傾向が強い(同上)。
彼(写真)の目線は目前にある昼寝場に向けられており、腹の下でカメラを構えている元気印には無関心を装っています。
ぬいぐるみのヒョウのようにふっくらしていますが、手足に鋭い爪を忍ばせて歩く肉食獣を、真下から初めて観た時の驚きは忘れられません。
恐怖感がなかったといえば、張り子のトラです。
「そんなところで、お前は何をしているんだ」
彼は、張り子のトラなんか相手にしません。
猫は、ネコじゃらしで遊んでストレス解消をしていますから、彼は元気印をネコじゃらしの代わりにしている訳です。
彼が生息している極東ロシアの森を再現して、そこに彼を見せる展示方法はランドスケープ型と呼ばれ、全体を把握して細部を作るアメリカ人の発想が生んだ施設とのこと。
そして、「もうじゅう館」建設の設計が動き出した頃、世界の動物園で流行していたのです。
ところが、細部から入って全体を構築することに長けている日本人の能力に拘って「もうじゅう館」を設計し建設したのです。
動物園のユキヒョウは、彼らの能力や習性を発揮している時が一番本質的だし、いきいきとしている。それを伝えるために設計した「もうじゅう館」は、開園してから行動展示をしている施設と呼ばれました。
「いのち」をもっている「動物のいのち」を忘れた動物の見せ方が許せなかった旭山動物園副園長で獣医でもある坂東元(ばんどう・げん)さんの成果でした。
初めに行動展示ありき、ではなかったのです。
でも、げんさんは、旭山動物園の居心地はよくない、と公言しています。
獣医として治療をしたげんさんを「おれ達にイヤなことをしたアイツである」と、旭山の動物たちに認識されているから・・・。
これはペットも同じです。ペット病院へ連れて行くと嫌がらないペットはいません。
だから、旭山動物園の居心地はよくないは、野生を失わずに動物園で生きている動物達に対するげんさんの愛情表現であると、敢えて書きます。
野生動物はペットじゃない。
これが、旭山動物園の主張ですが、「あいつらはとんがっている」と、日本では異端児扱いされています。それに押しつぶされたら日本の野生動物は守れなくなると、旭山動物園の関係者は、腹に力を入れて頑張っています。
旭山動物園をブームで終わらせないぞ。いつか、異端児ではなく、本物になってやる、と。
「そんなところで、お前は何をしているんだ」
元気印に呼びかけたのは、アテネなのかキンなのか。
彼は名乗りませんでしたが、堂々とした風情をもって張り子の虎を威圧する鬼子母神であり続けるでしょう。
『トラがお尻を向けたら注意しましょう』
「もうじゅう館」でライオンを観た時、ガラス窓越しに直進して来た雄ライオンは、元気印の方へくるっとお尻を向けると水鉄砲のごときションベンを窓にかけ、分厚いガラスは、ドスン、ドスンと音を立てて耐えていたんです。
注意を促す看板の現実に直面です。
道産子が山親父と呼ぶヒグマを横目に観ながら進むと手書きの解説板があり、ユキヒョウのゴルビーとプリンが写真入りで紹介されています。
ヒヨウの仲間の中でも美しいと、希少価値が高い毛皮をもつユキヒョウは、檻の中から通路を見上げています。
野生の生息数は、密猟などで1,000頭までに減少したのですが、今は5,000頭までに回復したとされ、絶滅危惧種にも指定されています。
日本の血統登録は札幌市円山動物園が担当しており、そこで生まれたプリンが、旭山動物園でゴルビーと暮らしていたのです。
東山動物園(名古屋市)生まれのゴルビーは17歳のオス、プリンはゴルビーと同じ年。円山動物園生まれのメスで17歳と書かれていますが、どちらに対面したのか判りません。
ニコンD80に映っているユキヒョウをモニターで確認して何気なく頭上を見上げると・・・。
「恐れ入谷(いりや)の 鬼子母神(きしぼじん)、でしたね。元気印さん」
「男は度胸で女は愛嬌 坊主はお経で、学生は勉強、庭で鶯ホーホケキョウ、と啖呵を切りたいところですが、ライオンのションベンのこともあって、それどころじゃあ~ありませんよ」
旭山動物園の隠れた名物に「手書きで情報を発信する解説看板:ふむふむパネル(以下、パネル)」があります。
『アムールヒョウ
アテネ・オス・4歳『兄弟』キン・オス・4歳 <広島>安佐動物園生まれ』
と、紹介してあるパネルには、名前の上に写真が添えてあります。
堂々とした風情を漂わせ、頭上に構えていた鬼子母神はアムールヒョウ(写真)でした。
彼は名乗らなかったので、アテネかキンなのかは定かでありません。
ところで、アテネとキンの「ひいおじいちゃん(曾祖父)」は、ビッグです。
ビッグは、21歳の時に旭山動物園で死んでいます。平成19(2007)年7月15日のこと。その3日後、ホッキョクグマのハッピーが死んでいます。25歳のメスです。
『現在、国内でアムールヒョウを飼育している園館は、たったの3園。
国内で繁殖した個体は、みんなビッグとエイラの子孫になります。
なので、ビッグはアテネとキンの「ひいおじいちやん」にあたります。
血はつながっていますが、もう、オス対オス。一緒にすると闘争のおそれあり。
今は、ビッグとアテネ・キンを交代で外に出しています』
ビッグが生きていた時のパネルです。
ビッグとエイラの子・サクラが神戸市立王子動物園でタマコを生み、広島市安佐動物公園に嫁いだタマコは、アテネとキンの母親になったのです。そして、アテネとキンは安佐動物公園から旭山に里帰りをしたことも、家系図を用いて説明されていました。
開園当初からいたサムが昭和56(1981)年に死んだので、アムールヒョウの飼育を熱望していた旭山動物園。昭和63(1988)年に入り、2頭のアムールヒョウが旭山へ来園します。
旭川市民に愛称を募集した結果、ヘルシンキ動物園(フインランド)の彼はビッグ、センターヒル動物園(アメリカ)の彼女はエイラと命名されました。
彼女は平成14(2002)年に先立っているので、ビッグは曾孫と暮らしていたことになります。
親が子供を育てた自然繁殖を対象にした繁殖賞があり、旭山動物園が受賞対象になった動物は、ホッキョクグマとアムールヒョウです。
後者は、ビッグとエイラが来園してから3年後の3月11日に繁殖したことが対象になっていると思い込んでいる元気印は、この時生まれたサクラが、神戸市立王子動物園へ嫁いでアテネ、キン兄弟の母・タマコを生んでいることを既に書きました。残念ですが、タマコはこの世にいません。
それはそれとして、ビッグは幸せなアムールヒョウでした。
アムールヒョウの平均寿命は、おおよそ15年といわれていますから、21歳まで生きて、曾孫と4年間に亘って一緒に暮らしていますから、大往生でしょう。
さて、平成19(2007)年2月~3月、ニューヨーク動物園の野生動物保護部会(WCS)などが行った調査によると、現在生息している野生アムールヒョウは25~34頭と報告されています。
7年前の生息数が22~28頭、4年前は28~30頭ですから、生存に必要とされている100頭以上の生息数には遠く及びません。
これは、東京都の2.3倍に相当する5,000平方キロの領域に設けた158カ所以上の調査ポイントで確認されたアムールヒョウの生息数なのです。
ユキヒョウと同じように絶滅危惧種に指定されていますが、アムールヒョウ一頭が普通に暮らし子孫を残すには、シカなどの草食動物が十分に生息できる状態のよい
500平方キロの森林が必要である。これは、アムールヒョウが生きてきた本来の環境である、とする学者の指摘です。
「一方、平成14年7月時点では、世界の動物園にいるアムールヒョウは224頭。
すでに動物園にいるアムールヒョウのほうが野生よりも多くなっているのだ。そのほとんどが、動物園生まれである。絶滅に瀕している動物に関しては、とくに動物園での繁殖が期待されている」(動物と向きあって生きる:坂東元著 あべ弘士絵)。
先に書いたアテネとキンのルーツを説明したパネルに込められたもうひとつの伝言です。
「もうじゅう館」の行動展示に話を戻します。
見学者が見上げる頭上は、アテネやキンにとって昼寝をする場所にしか過ぎないのです。
夜行性のネコ科の動物は、昼間はたいてい寝ている。また、自分が上にいるときは優位に立っているとの感覚を持ち、木に上る習性のあるヒョウなどは、特にその傾向が強い(同上)。
彼(写真)の目線は目前にある昼寝場に向けられており、腹の下でカメラを構えている元気印には無関心を装っています。
ぬいぐるみのヒョウのようにふっくらしていますが、手足に鋭い爪を忍ばせて歩く肉食獣を、真下から初めて観た時の驚きは忘れられません。
恐怖感がなかったといえば、張り子のトラです。
「そんなところで、お前は何をしているんだ」
彼は、張り子のトラなんか相手にしません。
猫は、ネコじゃらしで遊んでストレス解消をしていますから、彼は元気印をネコじゃらしの代わりにしている訳です。
彼が生息している極東ロシアの森を再現して、そこに彼を見せる展示方法はランドスケープ型と呼ばれ、全体を把握して細部を作るアメリカ人の発想が生んだ施設とのこと。
そして、「もうじゅう館」建設の設計が動き出した頃、世界の動物園で流行していたのです。
ところが、細部から入って全体を構築することに長けている日本人の能力に拘って「もうじゅう館」を設計し建設したのです。
動物園のユキヒョウは、彼らの能力や習性を発揮している時が一番本質的だし、いきいきとしている。それを伝えるために設計した「もうじゅう館」は、開園してから行動展示をしている施設と呼ばれました。
「いのち」をもっている「動物のいのち」を忘れた動物の見せ方が許せなかった旭山動物園副園長で獣医でもある坂東元(ばんどう・げん)さんの成果でした。
初めに行動展示ありき、ではなかったのです。
でも、げんさんは、旭山動物園の居心地はよくない、と公言しています。
獣医として治療をしたげんさんを「おれ達にイヤなことをしたアイツである」と、旭山の動物たちに認識されているから・・・。
これはペットも同じです。ペット病院へ連れて行くと嫌がらないペットはいません。
だから、旭山動物園の居心地はよくないは、野生を失わずに動物園で生きている動物達に対するげんさんの愛情表現であると、敢えて書きます。
野生動物はペットじゃない。
これが、旭山動物園の主張ですが、「あいつらはとんがっている」と、日本では異端児扱いされています。それに押しつぶされたら日本の野生動物は守れなくなると、旭山動物園の関係者は、腹に力を入れて頑張っています。
旭山動物園をブームで終わらせないぞ。いつか、異端児ではなく、本物になってやる、と。
「そんなところで、お前は何をしているんだ」
元気印に呼びかけたのは、アテネなのかキンなのか。
彼は名乗りませんでしたが、堂々とした風情をもって張り子の虎を威圧する鬼子母神であり続けるでしょう。
安佐動物園にいるアムールヒョウが、元々旭山の
子孫だったのが分かりましたです。
生まれた翌年には「お世話になりました。余所の
動物園で暮らすことになりました」の看板が掲示
されていたのを思い出しましたよ。
結局、ココに出てくるアテネ・キン兄弟の母親は、
2年ほど前に死んでしまいました。代わりに、去年
の夏にフランスからお嫁さんが来て、今はお産の
準備中とかでバックヤードで暮らしています。
野生個体は絶滅寸前なので、血統管理の下、各地
の動物園間での移動となるのは仕方ないですね。
すいません・・・・