トルコ地震 余震200回超、死者432人に
10月26日付産経新聞朝刊は、負傷者は約1,300人、損傷を受けた建物は2,200棟以上、余震は200回を超した、と伝えています。
48時間・・・赤ちゃん助かった
生後2週間の女の赤ちゃんが48時間ぶりにアパートの瓦礫から助け出された時の模様をカラー写真入りのトップ記事を読み進んでも、瓦礫の中に残されている赤ちゃんの家族などの安否には触れられていません。救命救急隊の使命は、生存者の救出が最優先です。救急隊員が感知するだけの生体反応はなかったのでしょう。
写真は、イスタンブールで2泊したシエラトンホテル前から見える建築中のビルです。
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平成9年12月8日、「ボスフォラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光」へ向かう前に撮ったものです。前回書いた建物とは異なり、高層建築では建築資材を吊り上げるクレーンが建物の上に3基設置されています。
工事現場の周りに設けられた囲いに看板があったのですが、いかんせん日本語以外は疎いので説明は省略します。
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ホテルから徒歩で数分の所に幼児・子供用品を専門に扱っている店の背後にホテル前から見えた高層ビルが聳えています。
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写真を撮ってから、開店直後の店内に立ち寄りましたが、正面に掲げているブルーの文字e‐bebek を頼りにネット検索。一発でトルコ語のWABサイトが表示されたのです。狭くなった世界を改めて実感しました。
ところで、27日のトルコ地震続報は、次のように結ばれていました。
「住民のほとんどを少数民族クルド人が占めるワンでは、対応に遅れが目立つ中央政府への反発が強まっており、トルコ政府は被災地へ治安部隊を展開した」(産経新聞朝刊)。
暴動など発生していないのに、治安部隊が地震で被災したワンで行動を起こした。その理由は?
クルド人問題は、トルコがECへ加盟する壁となっている。何かで読んだ記憶が・・・。
クルド人は、歴代のトルコ政府によって「山岳トルコ人」と位置づけられてきたが、その民族的・文化的存在すら無視してきたクルド人への抑圧政策を緩和し、クルド語の使用を認め、文化的価値を尊重する政策を実施しようとしている。ただし、クルド人問題は、トルコのみならず、イラン、イラク、シリアなどの諸国に分散しているクルド人の民族的自立を求める運動とも連動しているために、きわめて微妙な問題である(永井道雄監修 『新・中東ハンドブック』トルコの直面する諸問題:講談社刊)。
1昨年前のトルコツアーでは、クルド人に関する話題は皆無でしたが、「トルコ10日間のたび」を書くために集めた資料のなかに紛れ込んでいたんです。これで、ワンへ治安部隊を派遣した事情が少しだけ分かりました。
さて、約2400人で編成した救助隊、6個大隊の軍が被災地において、徹夜で救助活動をしている。
その反面、クルド人問題の他に刑務所から受刑者約150人が脱走している。
そんな背景が、ワンへの治安部隊派遣を強いたのでしょう。
建物の崩壊については、1999年のトルコ地震を調査した京都大学防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は、建築基準が守られていない印象を受けたと指摘している。前回書いた建築構造(1番下の写真)が建物崩壊に影響しているのでしょうか。
「元気印さん。それは、身の程知らずというものです。餅は餅屋で、キチンと建てています」
ボケ封じ観音さまに痛棒(つうぼう)を食らわせられました。
朗報です。
倒壊した建物の下敷きになった人々の生存率が急激に下がるとされる災害発生から72時間経過した10月26日、大学生(26歳)が61時間ぶりに倒壊したアパートの瓦礫から救出されている。これからも、一人でも多くの人が救出されんことを期待します。
10月26日付産経新聞朝刊は、負傷者は約1,300人、損傷を受けた建物は2,200棟以上、余震は200回を超した、と伝えています。
48時間・・・赤ちゃん助かった
生後2週間の女の赤ちゃんが48時間ぶりにアパートの瓦礫から助け出された時の模様をカラー写真入りのトップ記事を読み進んでも、瓦礫の中に残されている赤ちゃんの家族などの安否には触れられていません。救命救急隊の使命は、生存者の救出が最優先です。救急隊員が感知するだけの生体反応はなかったのでしょう。
写真は、イスタンブールで2泊したシエラトンホテル前から見える建築中のビルです。
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平成9年12月8日、「ボスフォラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光」へ向かう前に撮ったものです。前回書いた建物とは異なり、高層建築では建築資材を吊り上げるクレーンが建物の上に3基設置されています。
工事現場の周りに設けられた囲いに看板があったのですが、いかんせん日本語以外は疎いので説明は省略します。
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ホテルから徒歩で数分の所に幼児・子供用品を専門に扱っている店の背後にホテル前から見えた高層ビルが聳えています。
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写真を撮ってから、開店直後の店内に立ち寄りましたが、正面に掲げているブルーの文字e‐bebek を頼りにネット検索。一発でトルコ語のWABサイトが表示されたのです。狭くなった世界を改めて実感しました。
ところで、27日のトルコ地震続報は、次のように結ばれていました。
「住民のほとんどを少数民族クルド人が占めるワンでは、対応に遅れが目立つ中央政府への反発が強まっており、トルコ政府は被災地へ治安部隊を展開した」(産経新聞朝刊)。
暴動など発生していないのに、治安部隊が地震で被災したワンで行動を起こした。その理由は?
クルド人問題は、トルコがECへ加盟する壁となっている。何かで読んだ記憶が・・・。
クルド人は、歴代のトルコ政府によって「山岳トルコ人」と位置づけられてきたが、その民族的・文化的存在すら無視してきたクルド人への抑圧政策を緩和し、クルド語の使用を認め、文化的価値を尊重する政策を実施しようとしている。ただし、クルド人問題は、トルコのみならず、イラン、イラク、シリアなどの諸国に分散しているクルド人の民族的自立を求める運動とも連動しているために、きわめて微妙な問題である(永井道雄監修 『新・中東ハンドブック』トルコの直面する諸問題:講談社刊)。
1昨年前のトルコツアーでは、クルド人に関する話題は皆無でしたが、「トルコ10日間のたび」を書くために集めた資料のなかに紛れ込んでいたんです。これで、ワンへ治安部隊を派遣した事情が少しだけ分かりました。
さて、約2400人で編成した救助隊、6個大隊の軍が被災地において、徹夜で救助活動をしている。
その反面、クルド人問題の他に刑務所から受刑者約150人が脱走している。
そんな背景が、ワンへの治安部隊派遣を強いたのでしょう。
建物の崩壊については、1999年のトルコ地震を調査した京都大学防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は、建築基準が守られていない印象を受けたと指摘している。前回書いた建築構造(1番下の写真)が建物崩壊に影響しているのでしょうか。
「元気印さん。それは、身の程知らずというものです。餅は餅屋で、キチンと建てています」
ボケ封じ観音さまに痛棒(つうぼう)を食らわせられました。
朗報です。
倒壊した建物の下敷きになった人々の生存率が急激に下がるとされる災害発生から72時間経過した10月26日、大学生(26歳)が61時間ぶりに倒壊したアパートの瓦礫から救出されている。これからも、一人でも多くの人が救出されんことを期待します。
興味深く拝読させて頂きました。