世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第2章 中米編 「イツカニホンニキマセンカ?」】

2013-09-02 08:00:04 | 日記
2013年9月1日。

《僕たちはこのパスポートとそれなりのお金があれば、世界中のどこの国にでもほとんど行くことが出来る。そのことの素晴らしさを、今一度僕たちは知らなければならない。》


コスタリカの海亀ボランティアで仲良くなった、グアテマラから来たというダニエル君。彼のこの一言を聞いて、僕は心を痛めた。

「いつか日本に行ってみたいんだけど、それは難しいんだよな・・・。」

この心の痛みは、別に初めてのことではない。何度も経験してきた。でもやっぱり、心が痛くなる。


僕は現地の人と話をしたり交流したりするのが大好きなので、けっこうあっちこっちで色々と話をする。そして仲良くなるとよく僕が言っていた(言ってしまっていた)一言が、

「ぜひ日本に来てよ!ウチに泊まっていいし、案内するから!」

という類のセリフである。


しかしこのセリフを言って、特に発展途上国の人たちに対して言ったときに、明るい返事が返ってきたことはない。

だいたいみんな、ちょっと悲しい顔をしながら、こう呟く。

「行きたいけど、それは本当に難しいんだ。たぶん無理だよ・・・。」


ベトナムを流れているときのことだ。フエという街で、数人の地元の大学生と仲良くなった。そのとき僕はもう一人日本人の旅人と一緒にいたのだが、彼らは僕らをバイクの後ろに乗せてくれてあっちこっちに連れて行ってくれた上に、食事も現地の人の価格で食べられるように店の人に話してくれたり、本当に色々お世話をしてくれたのだ。

僕たちはぜひ今度は日本を案内してあげたいと思い、何の気なしに「日本に遊びに来てよ!」と何度も言っていた。

そのときの、1人の大学生が言った一言とその表情を、今でも僕は忘れていない。

「ノー、行きたいけど、それは僕たちには一生無理だと思う。」

彼の表情は寂しそうだった。それと同時に、「俺たちは日本人とは違う環境で生きているんだよ」という、何というか、ちょっと苛立ちと悲しみにも見える表情をしていた。

何も考えていなかった浅はか僕たちは、何も考えずに聞き返してしまった。

「なんでさ?日本に来たら、今度は俺たちが日本を案内するよ!」と。

彼は一言、

「日本に行くのは高すぎる。そんなお金ないよ。」

僕は心を痛めた。僕はただ、純粋に恩返しがしたいと思っただけだった。でもそれは、彼らにとっては不可能なお誘いをされただけなのだ。


僕たち日本人は、何だかんだ言っても世界トップクラスの経済大国に生きていることは紛れもない事実だ。だから僕たちはちょっと働いてお金を貯めれば、大抵の人は海外旅行に行ける。物価の安い国に行けば、日本の感覚で言えば、ほんの数百円でかなりの贅沢をできる国もある。僕たちはその感覚を「当たり前」に日々生きている。

でも、逆の立場の国の人が日本に来るとなったら、どういうことになるのか。僕たちが「安い」と感じる真逆の現象が起きるということだ。難しい話ではない。

そうだよな、考えてみたら、「なんだよおい、また日本のボンボン坊ちゃんが遊びに来てるぜ。金持ってるからって年中遊びに来やがって。」と、快く思ってない人も当然いるよな・・・。僕たちはそんなつもりはなくても、向こうの人の立場からすれば、そう思う人がいるのも自然だよな・・・。

だから中には当然、「ちょっと奪ってやるか」と思う人もいるはずだよな・・・。それは不思議なことじゃない。


僕は何の考えもなしに、「日本に来なよ」なんて言ってしまっていた。それは現地の方にとって、「は?行けるわけねーだろ。こっちにはそんな金ないんだよ。日本の基準で考えなんよ。」と思わせてしまうだけなのかもしれない。

親切のつもりで言っていた一言が、ただの不可能とエゴの押し付けだったのかもしれない。

ただ苛立たせていただけなのかもしれない。


僕に今まで親切にしてくれた多くの方々は、おそらく人生の中で一度も行くことができないであろう日本という国からやってきた僕のために、色々と助けて下さっていたのだ。

もしかしたら、「また来たか、この金持ち日本人が」という思いもあるのかもしれない。でもその中で、彼らはみんな僕に優しくしてくれたのだ。


僕たちが海外に行くということは、僕たちが思っている以上に深い思慮を持って行わなければならないことなのかもしれない。

変な言い方だけど、この世界中の人間の中で、ほんの一部の限られた者にしかできないことなのだから・・・。

だからどうってことではないけど、僕たちはそのことを心に留めて、特に発展途上国には足を踏み入れないといけないのだろう。

これも変な言い方だけど、彼らには僕らと同じことはできない。しかし僕らは自分たちの「特権」利用して、貧しいと言われている国に土足で上がらせていただいている。そのことの意味を、今一度僕たちは噛みしめないといけないのだと思う。


僕はそのことに気づいて以来、「日本に来なよ」と言わないようにしている。もしかしたら考えすぎなのかもしれないけど、なんだかとても失礼なことを言っているような気が僕にはやっぱりするのだ。

僕はずっと「日本の子ども達にはもっと海外に出てほしい。特に発展途上国と言われている国に行って、日本の常識とはかけ離れたものを感じて、人間を深めてほしい。」と言い続けてきたし、今でも言っている。でもそれは、一歩間違えれば、本当に失礼極まりないことをすることと同列なのかもしれない。1人の「日本」という国からやってくる人間としての覚悟と、相手国とその国民への本当に深い感謝の意と尊敬の念がなければ、行ってはいけないことなのかもしれない。

ベネズエラで仲良くなったホセ君とも色々な話をしたが、僕からは「日本に来なよ」という言い方はしなかった。話の流れの中で、「いつかもし日本に来れたら・・・」というようなことはあっても、以前のように何の考えもなしに言うことはしなかった。

冒頭に紹介したダニエル君も同様だ。彼は自ら日本に行きたい旨を話してきたが、お金の問題だけでなくビザの問題など、日本に入国することの難しさを少しだけ話してくれた。

そういえばスリランカを流れていたときも、日本にぜひ行きたいから保証人(みたいな感じの人?)になってほしい、と話を持ち掛けられたことがあった。色々な意味で日本に行くということは、多くの国の人にとって容易なことではないのだ。


僕はまだまだ、いくつもの国を流れる予定だ。僕は何を思って、それぞれの国に足を踏み入れさせていただくのか。僕は何を思って、その国の人たちと話をさせていただくのか。本当の「放学」にするためには、まずは心の土台が固まっていなければならない。僕なんて、そんな心の基礎すらまだまだグラグラだ。


本当に僕は未熟だなぁ。まだまだ、もっともっと、成長しないといけないなぁ・・・。

2013年9月1日。ホンジュラスの首都テグシガルパの旧市街にある、従業員がメチャクチャ親切な安宿にて。