2013年9月26日。
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《ここはメキシコ・カリフォルニア半島の先端にある街、ラパス。僕がこの街に来て最初に感じたこと、それは「人がいない・・・」しかし、それは間違っていた。それと同時に、僕は人類の本質を感じさせられたのだった!》
「フェリーは12時間ですよ。」とガイドフックには書いてあったのだが、結局17時間かかったマサトラン⇒ラパス間のフェリー。2夜連続の夜行移動でちょっと疲れていた僕だが、透き通るような青い空とバカみたいに綺麗な海に励まされ、テンション上げてラパスの街に繰り出した!
のだが・・・あれ?人がいない・・・。いや、いないということはないが、何だかとっても少ない・・・。
ガイドブックには一応それなりの観光地だと書いてあるのだが、なんでこんなに閑散としているんだろう・・・。
海岸沿いの綺麗な道にもほとんどいない・・・。
こんなに美しいビーチにも、ほとんど・・・。
僕は良からぬことを考えた。「ま、まさか実はすっごい治安の悪い街で、人が出歩けないとか・・・?ケニアのナイロビや南アフリカのヨハネスブルグみたいに・・・?」
いや、まさかそんなはずはない。人数は少ないが、出会う人々はみんな笑顔だしフレンドリーだし。危ない雰囲気など微塵も感じられない。
初めてやって来た街を散策するのが大好きな僕は、凄まじい存在感を示している太陽の下、街中を練り歩いていた。
そして夕方、僕は自分の考えが間違っていたことを気付かされた。
一度宿に戻って夕日を見ようと外に出ると、いるわいるわ!海岸沿いの通りは人でごった返しているではないか!
昼間はいなかったのに、この時間から海やビーチで戯れている人もいるではないか!
理由は単純だ。昼間はあまりに暑いので、みんな家の中でじっとしているわけだ。そして夕暮れから夜にかけて、人々は動き出す。
そう、ここは灼熱の太陽が輝く砂漠気候。夜になると驚くほど気温が下がるのだ。乾燥しているし、とっても心地よい。
そういえば、砂漠の街に行ったときはいつもそうだった。昼間はみんな体力温存の時間で、夜になると活動が始まる。
ちなみに僕がオーストラリアのゴールドコーストのレストランで働いていたとき、中東からバカンスでやって来た人々でごった返しているときがあった。彼らの生活リズムは他の人たちと異なっており、夜遅くなってから夕飯を食べに来るのだ。それは砂漠気候の中で生きるリズムなのであろう。
でもぶっちゃけ、迷惑だった(笑)。「もう店を閉めるぞ」という時間に大量に押しかけて来るし、マナーや態度も悪かった。さらに、これは万国共通であるが、子どものしつけがなってない!そこら中を走りまくり、看板やテーブルを倒したり。でも「ごめんなさい」の一言もないし、親も注意せず。金持ちの子どもってのは世界共通でこうなるのか?と、マジでムカついていた。あ~懐かしい話!(笑)
えーと、ごめんなさい。それは余談でして。
夕方、再び街に出た僕は、「なんだ、そういうことだったのか」と一人で納得しながら、人々の様子を眺めていた。
そしたら、何だか感じるのだ。
その平和な光景から、人々の「愛」を。
僕たちが求めていることなんて、みんな同じなんだということを。
夕日の中、1人リラックスして読書を楽しむ人。
ゆったりと2人の時間を楽しむ夫婦。
犬の散歩を楽しむ人。(ピンボケでごめんなさい)
涼しいこの時間から子どもを遊ばせて、それを見守る家族。
健康を気遣い、ウォーキングに励む女性。
語り合おう恋人同士。
夜はやっぱりビールでしょ!
とっても穏やかな光景だった。
みんな、とっても生き生きしていた。
今の「平和」を心から楽しんでいるように、街の人はそこにいた。
やっていることなんて、日本と変わらない。
いや、世界中どこの国の人とも変わらない。
みんな求めているのだ、「当たり前の平和な生活」を。
誰だって殺し合いなんてしたくない。
暴力に怯えて生きていきたくはない。
誰だって飢えたくない。
誰だって危ない都市に住みたくない。
でも、こんな平和な生活の陰に、何億人ものスラムの人たちがいる。
メキシコシティの郊外にも、大規模なスラムが広がっていた。
僕たちは、難しいことを求めてはいない。
「当たり前の幸せ」
きっとみんなが、それを求めているだけなのだ。
それなのに、それを「当たり前」のように享受できている人と、「当たり前」のように享受できない人がいる。
なんて不公平で、なんて不条理なのだろう。
でも、それが今の世界だ。
それが現実だ。
幸か不幸か、僕たちは日本人は「享受できる側」の人間なのだろう。
難しいことを考え出すと、またわけが分からなくなる。
だからこの日、僕は祈ってみた。
「世界中の人々がいつか、今僕の目の前に広がっているような、当たり前の幸せな生活ができますように」と。
僕は超能力者じゃないから、祈ったところできっと何も変わらない。
でも、これから先の未来、きっと僕にだって「変えられる」何かがある。
そうだよな、その実現のために、僕は教員を辞めて今旅をしていて、先の希望に燃えてるんだ。
間もなく日が沈む。
何か気分がいいぞ!
よし、そこのコンビニでビール買って帰っちゃおうかな!(笑)
それもきっと、誰もが望んでいる「当たり前の幸せ」なのだから・・・。
2013年9月26日。部屋にゴキブリがちょいちょい出てきて心が折れそうになっているメキシコ国境の街、ティファナにて。
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《ここはメキシコ・カリフォルニア半島の先端にある街、ラパス。僕がこの街に来て最初に感じたこと、それは「人がいない・・・」しかし、それは間違っていた。それと同時に、僕は人類の本質を感じさせられたのだった!》
「フェリーは12時間ですよ。」とガイドフックには書いてあったのだが、結局17時間かかったマサトラン⇒ラパス間のフェリー。2夜連続の夜行移動でちょっと疲れていた僕だが、透き通るような青い空とバカみたいに綺麗な海に励まされ、テンション上げてラパスの街に繰り出した!
のだが・・・あれ?人がいない・・・。いや、いないということはないが、何だかとっても少ない・・・。
ガイドブックには一応それなりの観光地だと書いてあるのだが、なんでこんなに閑散としているんだろう・・・。
海岸沿いの綺麗な道にもほとんどいない・・・。
こんなに美しいビーチにも、ほとんど・・・。
僕は良からぬことを考えた。「ま、まさか実はすっごい治安の悪い街で、人が出歩けないとか・・・?ケニアのナイロビや南アフリカのヨハネスブルグみたいに・・・?」
いや、まさかそんなはずはない。人数は少ないが、出会う人々はみんな笑顔だしフレンドリーだし。危ない雰囲気など微塵も感じられない。
初めてやって来た街を散策するのが大好きな僕は、凄まじい存在感を示している太陽の下、街中を練り歩いていた。
そして夕方、僕は自分の考えが間違っていたことを気付かされた。
一度宿に戻って夕日を見ようと外に出ると、いるわいるわ!海岸沿いの通りは人でごった返しているではないか!
昼間はいなかったのに、この時間から海やビーチで戯れている人もいるではないか!
理由は単純だ。昼間はあまりに暑いので、みんな家の中でじっとしているわけだ。そして夕暮れから夜にかけて、人々は動き出す。
そう、ここは灼熱の太陽が輝く砂漠気候。夜になると驚くほど気温が下がるのだ。乾燥しているし、とっても心地よい。
そういえば、砂漠の街に行ったときはいつもそうだった。昼間はみんな体力温存の時間で、夜になると活動が始まる。
ちなみに僕がオーストラリアのゴールドコーストのレストランで働いていたとき、中東からバカンスでやって来た人々でごった返しているときがあった。彼らの生活リズムは他の人たちと異なっており、夜遅くなってから夕飯を食べに来るのだ。それは砂漠気候の中で生きるリズムなのであろう。
でもぶっちゃけ、迷惑だった(笑)。「もう店を閉めるぞ」という時間に大量に押しかけて来るし、マナーや態度も悪かった。さらに、これは万国共通であるが、子どものしつけがなってない!そこら中を走りまくり、看板やテーブルを倒したり。でも「ごめんなさい」の一言もないし、親も注意せず。金持ちの子どもってのは世界共通でこうなるのか?と、マジでムカついていた。あ~懐かしい話!(笑)
えーと、ごめんなさい。それは余談でして。
夕方、再び街に出た僕は、「なんだ、そういうことだったのか」と一人で納得しながら、人々の様子を眺めていた。
そしたら、何だか感じるのだ。
その平和な光景から、人々の「愛」を。
僕たちが求めていることなんて、みんな同じなんだということを。
夕日の中、1人リラックスして読書を楽しむ人。
ゆったりと2人の時間を楽しむ夫婦。
犬の散歩を楽しむ人。(ピンボケでごめんなさい)
涼しいこの時間から子どもを遊ばせて、それを見守る家族。
健康を気遣い、ウォーキングに励む女性。
語り合おう恋人同士。
夜はやっぱりビールでしょ!
とっても穏やかな光景だった。
みんな、とっても生き生きしていた。
今の「平和」を心から楽しんでいるように、街の人はそこにいた。
やっていることなんて、日本と変わらない。
いや、世界中どこの国の人とも変わらない。
みんな求めているのだ、「当たり前の平和な生活」を。
誰だって殺し合いなんてしたくない。
暴力に怯えて生きていきたくはない。
誰だって飢えたくない。
誰だって危ない都市に住みたくない。
でも、こんな平和な生活の陰に、何億人ものスラムの人たちがいる。
メキシコシティの郊外にも、大規模なスラムが広がっていた。
僕たちは、難しいことを求めてはいない。
「当たり前の幸せ」
きっとみんなが、それを求めているだけなのだ。
それなのに、それを「当たり前」のように享受できている人と、「当たり前」のように享受できない人がいる。
なんて不公平で、なんて不条理なのだろう。
でも、それが今の世界だ。
それが現実だ。
幸か不幸か、僕たちは日本人は「享受できる側」の人間なのだろう。
難しいことを考え出すと、またわけが分からなくなる。
だからこの日、僕は祈ってみた。
「世界中の人々がいつか、今僕の目の前に広がっているような、当たり前の幸せな生活ができますように」と。
僕は超能力者じゃないから、祈ったところできっと何も変わらない。
でも、これから先の未来、きっと僕にだって「変えられる」何かがある。
そうだよな、その実現のために、僕は教員を辞めて今旅をしていて、先の希望に燃えてるんだ。
間もなく日が沈む。
何か気分がいいぞ!
よし、そこのコンビニでビール買って帰っちゃおうかな!(笑)
それもきっと、誰もが望んでいる「当たり前の幸せ」なのだから・・・。
2013年9月26日。部屋にゴキブリがちょいちょい出てきて心が折れそうになっているメキシコ国境の街、ティファナにて。