2013年9月18日。
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《グアテマラからメキシコにかけて、僕はたくさんの先住民の村々へ訪問させていただいた。その度に僕は考えさせらえる。豊かさとは?幸せとは?これからの僕たちは、どう生きるべきなのだろうか?》
「メキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスという街に、日本人によってフェアトレードを用いたコーヒー栽培と販売をしている、マヤビニックコーヒーというお店がある」との情報を聞きつけ、僕はサンクリストバル・デ・ラスカサスに足を運んだ。
「マヤビニックコーヒーのことを教えて下さい!」と直接お店に突撃取材を敢行したのだが、マヤビニックコーヒーの運営に携わっていた現地在住の日本人、伊藤さんが、快く取材に応じて下さった。
メキシコに30年以上住んでいる伊藤さんはメキシコの内情にも詳しく、様々なことを僕に教えて下さった。そして本当に有り難いことに、サンクリストバル・デ・ラスカサス周辺の先住民の村々にも案内をして下さったのだ。
そのうちの1つに、「サンアンドレアス・ララインサール」という村がある。伊藤さんの案内のおかげで、僕は村のある家庭の中にまでお邪魔することができた。
マヤの先住民の村々の家。
僕の、僕らの、日本人の感覚からすると・・・
それは貧しいものだ。
なんでそう思うのか?
家は綺麗ではない。
織物をしている家の壁は、泥で固められたものだ。
屋根はただのトタンである。
日々の生活をしている家の中は・・・。
電気は裸電球がぶら下がっているだけ。
壁は、土に突き刺された木が並べられている。
中央に囲炉裏があり、そこでは常に火が焚かれている。
突然訪れた僕にも椅子を用意してくれ、おかゆのような温かい飲み物を振る舞ってくれた。
子ども達の衣服は・・・綺麗ではない。日本の子どもがこのような汚れた服を着ていることは、まずない。
足は、裸足である。靴など履いていない。
髪の毛はボサボサで、そんなに洗髪もしていないのだろう。
それを見て僕は・・・思ってしまう。感じてしまう。
「貧しさ」を。
しかしそれを見て、僕は同時に思ってしまう。感じてしまう。
「豊かさ」を。
そこには「笑顔」がある。
そこには「自然」がある。
そこには「家族」がある。
僕は日本人だ。日本で生まれ、日本で育った。
お金持ちの家ではなかった。でも、ひもじい思いをした記憶はない。食べるに困ったこともない。
「もの」は、それなりにあった。
自分が不幸だとも思ったことはない。
でも、今の自分は本当に幸せなのだろうか。
でも、今の日本人は、幸せに生きているのだろうか。
僕たちは「ものの有無」で、豊かさを判断してしまう。
「ものがある=幸せ」、「ものがない=不幸せ」。そんな方程式を、僕たちは考えてしまう。
彼らの笑顔は、僕に「何か」を問い掛けてくれる。
本当の幸せを、本当の豊かさを、本当の在り方を。
ものはないよりもあった方がきっといい。お金もないよりはあった方がきっといい。
でも、ものとお金があったって、それが幸せの絶対条件じゃない。
物質至上主義、拝金主義。その限界を、僕たちは感じかけている。
「豊かに生きたい、幸せに生きたい。」誰もが思っている。
でも、誰もが思っているにも関わらず、その答えはきっと誰にも分からない。
面白いものだ。誰もが望んでいるのに、誰もがその確たる答えを分かっていない。
服は汚いかもしれない。電球は暗いかもしれない。
パソコンはないかもしれない。コンビニはないかもしれない。
でも、それは不幸なの?それは気の毒なの?
限りがないもの、それは「人間の欲望。」
年収が1000万円になれば、今度は2000万円欲しくなる。1億なら2億、5億なら10億・・・。
それで幸せはついてくるの?それが幸せを呼び込むの?
じゃあ、年収300万円の人は、絶対的に不幸なの?永遠に幸せはやってこないの?
きっとそれは違う。幸せとか不幸せとかって、そんな数学みたいに出てくるものではない。
「日本人が何しに来たの?」彼らは思うかもしれない。
あれ、僕は・・・何をしに来たんだろう。
何を探しに来たんだろう。
時々分からなくなる。
色んなものが分からなくなる。
大切なものは何なのだろう。
幸せって何なのだろう。
僕は今ここで、何を感じるべきなのだろう。
いっつもいっつも、僕は同じ結論になる。「俺は無知だ」と。
いくらソクラテスと肩を並べた僕でも(笑)、「無知の知」ばっかりは辛い。
本当の「シアワセノカタチ」。無知なりに、追い求めていかないとな・・・。
2013年9月17日。激しいの雨の後で冷え込む、メキシコシティの安宿にて。
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《グアテマラからメキシコにかけて、僕はたくさんの先住民の村々へ訪問させていただいた。その度に僕は考えさせらえる。豊かさとは?幸せとは?これからの僕たちは、どう生きるべきなのだろうか?》
「メキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスという街に、日本人によってフェアトレードを用いたコーヒー栽培と販売をしている、マヤビニックコーヒーというお店がある」との情報を聞きつけ、僕はサンクリストバル・デ・ラスカサスに足を運んだ。
「マヤビニックコーヒーのことを教えて下さい!」と直接お店に突撃取材を敢行したのだが、マヤビニックコーヒーの運営に携わっていた現地在住の日本人、伊藤さんが、快く取材に応じて下さった。
メキシコに30年以上住んでいる伊藤さんはメキシコの内情にも詳しく、様々なことを僕に教えて下さった。そして本当に有り難いことに、サンクリストバル・デ・ラスカサス周辺の先住民の村々にも案内をして下さったのだ。
そのうちの1つに、「サンアンドレアス・ララインサール」という村がある。伊藤さんの案内のおかげで、僕は村のある家庭の中にまでお邪魔することができた。
マヤの先住民の村々の家。
僕の、僕らの、日本人の感覚からすると・・・
それは貧しいものだ。
なんでそう思うのか?
家は綺麗ではない。
織物をしている家の壁は、泥で固められたものだ。
屋根はただのトタンである。
日々の生活をしている家の中は・・・。
電気は裸電球がぶら下がっているだけ。
壁は、土に突き刺された木が並べられている。
中央に囲炉裏があり、そこでは常に火が焚かれている。
突然訪れた僕にも椅子を用意してくれ、おかゆのような温かい飲み物を振る舞ってくれた。
子ども達の衣服は・・・綺麗ではない。日本の子どもがこのような汚れた服を着ていることは、まずない。
足は、裸足である。靴など履いていない。
髪の毛はボサボサで、そんなに洗髪もしていないのだろう。
それを見て僕は・・・思ってしまう。感じてしまう。
「貧しさ」を。
しかしそれを見て、僕は同時に思ってしまう。感じてしまう。
「豊かさ」を。
そこには「笑顔」がある。
そこには「自然」がある。
そこには「家族」がある。
僕は日本人だ。日本で生まれ、日本で育った。
お金持ちの家ではなかった。でも、ひもじい思いをした記憶はない。食べるに困ったこともない。
「もの」は、それなりにあった。
自分が不幸だとも思ったことはない。
でも、今の自分は本当に幸せなのだろうか。
でも、今の日本人は、幸せに生きているのだろうか。
僕たちは「ものの有無」で、豊かさを判断してしまう。
「ものがある=幸せ」、「ものがない=不幸せ」。そんな方程式を、僕たちは考えてしまう。
彼らの笑顔は、僕に「何か」を問い掛けてくれる。
本当の幸せを、本当の豊かさを、本当の在り方を。
ものはないよりもあった方がきっといい。お金もないよりはあった方がきっといい。
でも、ものとお金があったって、それが幸せの絶対条件じゃない。
物質至上主義、拝金主義。その限界を、僕たちは感じかけている。
「豊かに生きたい、幸せに生きたい。」誰もが思っている。
でも、誰もが思っているにも関わらず、その答えはきっと誰にも分からない。
面白いものだ。誰もが望んでいるのに、誰もがその確たる答えを分かっていない。
服は汚いかもしれない。電球は暗いかもしれない。
パソコンはないかもしれない。コンビニはないかもしれない。
でも、それは不幸なの?それは気の毒なの?
限りがないもの、それは「人間の欲望。」
年収が1000万円になれば、今度は2000万円欲しくなる。1億なら2億、5億なら10億・・・。
それで幸せはついてくるの?それが幸せを呼び込むの?
じゃあ、年収300万円の人は、絶対的に不幸なの?永遠に幸せはやってこないの?
きっとそれは違う。幸せとか不幸せとかって、そんな数学みたいに出てくるものではない。
「日本人が何しに来たの?」彼らは思うかもしれない。
あれ、僕は・・・何をしに来たんだろう。
何を探しに来たんだろう。
時々分からなくなる。
色んなものが分からなくなる。
大切なものは何なのだろう。
幸せって何なのだろう。
僕は今ここで、何を感じるべきなのだろう。
いっつもいっつも、僕は同じ結論になる。「俺は無知だ」と。
いくらソクラテスと肩を並べた僕でも(笑)、「無知の知」ばっかりは辛い。
本当の「シアワセノカタチ」。無知なりに、追い求めていかないとな・・・。
2013年9月17日。激しいの雨の後で冷え込む、メキシコシティの安宿にて。