世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第2章中米編 「ボクハ、アナタハ、シアワセデスカ?」】

2013-09-19 10:09:38 | 日記
2013年9月18日。


世界一周 ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをぜひともお願い致します!


《グアテマラからメキシコにかけて、僕はたくさんの先住民の村々へ訪問させていただいた。その度に僕は考えさせらえる。豊かさとは?幸せとは?これからの僕たちは、どう生きるべきなのだろうか?》

「メキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスという街に、日本人によってフェアトレードを用いたコーヒー栽培と販売をしている、マヤビニックコーヒーというお店がある」との情報を聞きつけ、僕はサンクリストバル・デ・ラスカサスに足を運んだ。

「マヤビニックコーヒーのことを教えて下さい!」と直接お店に突撃取材を敢行したのだが、マヤビニックコーヒーの運営に携わっていた現地在住の日本人、伊藤さんが、快く取材に応じて下さった。

メキシコに30年以上住んでいる伊藤さんはメキシコの内情にも詳しく、様々なことを僕に教えて下さった。そして本当に有り難いことに、サンクリストバル・デ・ラスカサス周辺の先住民の村々にも案内をして下さったのだ。


そのうちの1つに、「サンアンドレアス・ララインサール」という村がある。伊藤さんの案内のおかげで、僕は村のある家庭の中にまでお邪魔することができた。


マヤの先住民の村々の家。

僕の、僕らの、日本人の感覚からすると・・・

それは貧しいものだ。


なんでそう思うのか?

家は綺麗ではない。

織物をしている家の壁は、泥で固められたものだ。

屋根はただのトタンである。


日々の生活をしている家の中は・・・。

電気は裸電球がぶら下がっているだけ。

壁は、土に突き刺された木が並べられている。

中央に囲炉裏があり、そこでは常に火が焚かれている。


突然訪れた僕にも椅子を用意してくれ、おかゆのような温かい飲み物を振る舞ってくれた。



子ども達の衣服は・・・綺麗ではない。日本の子どもがこのような汚れた服を着ていることは、まずない。

足は、裸足である。靴など履いていない。

髪の毛はボサボサで、そんなに洗髪もしていないのだろう。


それを見て僕は・・・思ってしまう。感じてしまう。

「貧しさ」を。

しかしそれを見て、僕は同時に思ってしまう。感じてしまう。

「豊かさ」を。



そこには「笑顔」がある。


そこには「自然」がある。


そこには「家族」がある。


僕は日本人だ。日本で生まれ、日本で育った。

お金持ちの家ではなかった。でも、ひもじい思いをした記憶はない。食べるに困ったこともない。

「もの」は、それなりにあった。

自分が不幸だとも思ったことはない。


でも、今の自分は本当に幸せなのだろうか。

でも、今の日本人は、幸せに生きているのだろうか。



僕たちは「ものの有無」で、豊かさを判断してしまう。

「ものがある=幸せ」、「ものがない=不幸せ」。そんな方程式を、僕たちは考えてしまう。


彼らの笑顔は、僕に「何か」を問い掛けてくれる。

本当の幸せを、本当の豊かさを、本当の在り方を。



ものはないよりもあった方がきっといい。お金もないよりはあった方がきっといい。

でも、ものとお金があったって、それが幸せの絶対条件じゃない。

物質至上主義、拝金主義。その限界を、僕たちは感じかけている。

「豊かに生きたい、幸せに生きたい。」誰もが思っている。

でも、誰もが思っているにも関わらず、その答えはきっと誰にも分からない。

面白いものだ。誰もが望んでいるのに、誰もがその確たる答えを分かっていない。


服は汚いかもしれない。電球は暗いかもしれない。

パソコンはないかもしれない。コンビニはないかもしれない。

でも、それは不幸なの?それは気の毒なの?


限りがないもの、それは「人間の欲望。」

年収が1000万円になれば、今度は2000万円欲しくなる。1億なら2億、5億なら10億・・・。

それで幸せはついてくるの?それが幸せを呼び込むの?

じゃあ、年収300万円の人は、絶対的に不幸なの?永遠に幸せはやってこないの?

きっとそれは違う。幸せとか不幸せとかって、そんな数学みたいに出てくるものではない。


「日本人が何しに来たの?」彼らは思うかもしれない。

あれ、僕は・・・何をしに来たんだろう。

何を探しに来たんだろう。

時々分からなくなる。

色んなものが分からなくなる。


大切なものは何なのだろう。

幸せって何なのだろう。

僕は今ここで、何を感じるべきなのだろう。



いっつもいっつも、僕は同じ結論になる。「俺は無知だ」と。

いくらソクラテスと肩を並べた僕でも(笑)、「無知の知」ばっかりは辛い。

本当の「シアワセノカタチ」。無知なりに、追い求めていかないとな・・・。


2013年9月17日。激しいの雨の後で冷え込む、メキシコシティの安宿にて。